今日も快食、快眠、快便!

「快食、快眠、快便」を座右の銘として実行すべく、その達成度と日々の記録やあれこれ。

ややこしや~

2021-01-26 16:55:03 | 愚痴


母が亡くなって、その後の手続きやら何やらに奔走している

面倒くさいのは、私が母の養女で、母が再婚していること。
年金の未支給金の受け取りや銀行や土地・家屋、お墓の名義変更とかするのにね、相続人確定の証拠として母が生まれてから亡くなるまでのすべての戸籍を取得しなきゃいけない。
生前から母の従前戸籍はリサーチ済だったので各役所に請求まではすんなり進んだ。
ところが私が母の養女である旨が記載された戸籍謄本には母の名が再婚前の旧姓で載っている。
再婚先の除籍謄本を請求した際はわざわざ遠く青森の役所から電話がかかってきて、現在の苗字と違うので母と私の親子関係を証明するために何通もの戸籍謄本やら何やらを再度送ったりのやり取りが続いた。
再婚前の除籍謄本請求でも私の戸籍謄本を送ったり、生命保険の受け取りやお墓の名義変更にも親子関係を証明する書類をつけなければならず、フツーの人よりかなり面倒くさいことになっている。
まだね、再婚先の除籍謄本は届いてないんだけど、再婚相手には前妻や前々妻の子どもが4人もいるのである。
母からは、再婚相手の子どもとは養子縁組していないので、子ども(相続人)は私だけだとずっと聞かされていた。
多分大丈夫だろうと思うけど、今になって顔も知らない兄弟と遺産分けなんてことになったら更にややこしくなる
ドラマじゃないんだからそれだけはやめてほしいよ

余談だけど、母の出生も複雑で、母は祖母(母の実母)の姉の実子として戸籍に載っている。
以前にこの顛末は記事にしたのだけど、当時祖母は祖父の愛人のような立場だったから表向きは正妻の子ってことになってる。
母は昭和6年の3月生まれってことになってるけど、実のところ昭和5年の8月くらいに生まれたらしい。
だけど正妻の子どもで母のすぐ上の兄が昭和5年の3月に生まれてるのに、同じ親から同じ年の8月に次の子が生まれるのはさすがにおかしいでしょう~ってことで、母の出生届は翌年の3月に出されたのである。
だから母は本当はすでに90歳になっていたのだ。
昔だからそんなテキトーなこともできちゃうんだろうけど、母の実母である祖母は正妻である姉の死後、残された9人もの子ども(正妻の子7人、実子2人)を育てたのに結局祖父と入籍できたのは正妻の死後8年も経ってからだということが今回従前戸籍を取得してわかり、やっぱり祖父はサイテーな男だと思った次第。
あ、でもね、昔の戸籍は字が達筆すぎてほぼ読めない


そんなこんなで手続きはまだ当分続きそう。
やれやれ…これ以上ややこしいことにならないことを祈る

 

 

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また買った

2021-01-23 14:40:23 | プリン行脚


コロナ禍だけど母の死後の手続き等で区役所やら銀行やら、不要不急以外の用事でちょいちょい外出

用事が済んだらソッコー帰宅してるけど、先日久しぶりに本屋に立ち寄った。
そしたら…

また買っちゃったよ~、プリンの本。

なんか今ね、昔ながらの固めプリンがブームらしく、その手の本が続々出てる。
以前に買った「プリン本」と内容がかぶってるところも多いけど、見てるだけで幸せになる
コロナで食べ歩きもままならないから、しばしこの本で夢を見ます。

 

 

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お一人様の時間無制限

2021-01-19 11:27:49 | 気がついたこと


晴れて自由の身になって半月過ぎた。
仕事が忙しくなる前にいっぺんに手続きを済ませようとしているからか、毎日忙しくて自由時間なし
ホントやることがたくさんあり過ぎて、のんびり好きなテレビを観たり、昼寝したり、おやつを食べたり…が全くできず、超無駄のない生活を送ってます(笑)


それはさておき、先日美容院でコロナ禍の飲食店時短営業の話題になった。
美容師さんいわく、緊急事態宣言で飲食店の営業は夜は8時閉店、ランチも自粛要請になってるけど、お一人様で時間無制限ならOKじゃない?と。
ふむふむ。
たしかにコロナには年末年始も昼も夜もないから、夜はダメで昼なら大丈夫ってわけじゃない。
黙食が推奨されていて、どうせ二人以上でお店に入ってもおしゃべりできないなら「お一人様の食事」で時間無制限にすれば仕事帰りや一人暮らしの方は夕飯が食べられるし、飲食店側も営業を続けられる。
お一人様でも、もちろんソーシャルディスタンスは取ったうえでの営業だから利益はコロナ前より落ちるだろうけど、店を閉めるよりはいいんじゃないかな。
時短要請しなければ、国だってお金出さなくて済むわけだからオールOKな感じじゃない?

う~ん、これぞコロナと共生しながら経済も止めない新しい生活様式なんじゃないか
美容師さん、ナイスアイデア
それはそれで問題はあるのかもしれないけど、政府や行政はなんで視点を変えた考え方ができないんだろうね
そうそう、その美容師さんが言うには、仕事終わりの時間は飲食店が閉まってるのでお弁当屋さんに寄ったら、すっごい行列で超密だったそうだ。
なんかうまい具合にバランスよく生活できる方法がないものか…と思う今日この頃。

 

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お年玉キターーーー!

2021-01-14 11:46:52 | 日記とか


1月も早くも半ば。

母が年明けに亡くなりました。
数日前に葬儀も無事終わりました。

急だった。
脳梗塞で入院するも後遺症は軽く、食欲もあり、リハビリしたりおしゃべりもしていて、回復が早いので早めに緩和ケアの病院か施設に転院する相談をしましょうと入院先の医師から言われていたのでちょっとビックリ
亡くなる1時間前まで看護師さんとおしゃべりしていたというから、本当に急だったみたい

去年は「お年玉が来るといいな」と思ってたけど、まさかホントにお年玉の時期だとは。
散々困らされた挙句死んでいくものと思っていたから、娘の結婚式(予定ないけど)の当日とかに死ぬんじゃないかと予想してたけどそれはなかった
ただし、亡くなった日は姉の誕生日だったよ(苦笑)
やっぱり何かあるな~と謝ったら、「そんなこといいよ、いいよ」と姉は言ってくれたけどね。

生前元気な時は「介護認定は受けたくない」「癌になっても告知しないで」「ぽっくり死にたい」と言っていた母。
生への執着がハンパない人だったので結構長引くんじゃないかと思っていたけど、自分を年寄と認めたくない、いつも美しくありたいという思いが勝ったのか、病気でボロボロになる前に美しいまま逝った。
しかも亡くなったのは介護認定調査員との面談前日だった。
そして癌の精密検査の結果がわかったら告知することに決めてたのに、結局告知を受けることもなく旅立った。
すべてが母の思い通りの死に方である。
最後まで自分(のわがまま)を貫いたよ~

急ではあったけど、こちらは癌とわかって余命宣告されてからそれなりの準備もしていたので冷静な対応ができた。
これからが正念場と思っていただけに、介護の「か」の字も私にさせることなく亡くなったのだけはありがたく、本当に感謝です。
母は精神的には私達に依存してたけど、よろけても支えようとする手を振りほどくような人だったから、よっぽど介護されたくなかったのかな。
もちろん何不自由なく育ててもらったことも感謝している。
いろいろあったけど、人としてどうあるべきか、どう生きるべきか、逆に学ばせてもらった気がする。
ありがとうございました。

しつこく夢の話だけど、何かを急いで伝えに来たらしい実母と祖母と女優の深浦加奈子さんの夢。
あれが去年の6月頃だった。
死亡診断書見たら、癌に罹患したのは半年くらい前だと書いてあった。
さすがにそれはちょっとビックリだったけどね。
そう考えるとやはり祖母たちは母の病気を知らせるために夢枕に立ったのか
せっかく急いで伝えに来てくれたのに、結局何もしなかったので役に立たなかったけど…笑

そんな訳で意外なほどの急展開で本当の解放記念日がやってきた。
夫なんか抑圧されていたものから解放されたためか、すごい勢いで母の部屋の断捨離を始めている
私はというと、もう買い物に行くのも何をするのもいちいち忖度したり言い訳を考えたりしなくてよくなったけど、まだ実感がないのか、習慣ってコワイね~、つい自分の行動の口実をシュミレーションしちゃうのよ。

解放されたとはいえ、大殺界的などん底期間はまだ丸一年残っている。
今年のおみくじにも「運勢が開ける」とあるものの、「慎み深く」とか「用心して進め」とか「おごらず」と但し書き付きだ。
どうやら「すべてこの人はしんぼう強くしてのち運ひらく」らしい。
まだまだコロナ禍だし、健康にも気をつけながら今年は慎重に事を進めます。

母との軋轢で長い間私を励まし応援してくださった皆さま、本当にありがとうございました。
これで少しは「愚痴」が減るかなぁ。
これからは明るくて楽しい、そして時々ブラックな記事をUPできたらと思います。

 

 

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