今日も快食、快眠、快便!

「快食、快眠、快便」を座右の銘として実行すべく、その達成度と日々の記録やあれこれ。

愚痴るの続き

2019-10-31 10:34:29 | 愚痴


性格って生まれつきなのかな。
不遇の人生でも明るく前向きな人もいるし、恵まれた家庭で愛情深く育っても性格の悪い人はいる。
母のあの性格も持って生まれたものなのかとも思うけど、少なからず母の生い立ちに起因するところはあると思う。

またも長文になりそうなので興味のない人はスルーしてください。

母の母、つまり私の祖母は日本橋で大きな質屋の次女として生まれた。
跡取り息子がいなかったからか、長女(祖母の姉)が婿養子を取った。
祖母は当時許嫁のいる身だったが、なんと14歳の時に姉の夫にレイプされてしまったのだ
それで祖母はお嫁に行かれなくなったとか。
母いわく、質屋の資金繰りに困った祖父が祖母のお嫁入りの際に用意していた持参金に手を付けてしまったので祖母はお嫁に行かれなくなったと言うのだが、義妹の持参金だけじゃなく体まで手を付けるなんて許しがたい男のクズだ

以後、姉妹なのに正妻と愛人という立場で一つ屋根の下に住んでいたが、どちらにも不幸だったろうしすごく辛くて地獄の日々だったに違いない
だけど大正時代の初めにお嬢だった14歳のかよわき乙女が家を出て1人で生きていくなんて、当時は無理だったと思う。

祖母は母と実母(関係が複雑すぎて訳わからないわね 笑)の2人の娘を産んだけど、祖母の姉である正妻は母の上に4人の男の子を産み、実母の下に女の子を1人産んでいる。
コレ聞いただけでもかなりひどい
正妻は一番下の女の子を出産後まもなく亡くなり、結局祖母が後妻となり、姉の4人の息子と乳飲み子の女の子、そして自分の子ども2人の計7人を育てることになったのだが、息子たちからは祖母が祖父を誘惑して自分達の母親を死に追いやったと思われ、相当恨まれいじめられたようだ。
まるで韓国の愛憎ドラマみたい~
実母の死後、従前戸籍を取った際に知ったのだが、祖母が後妻として入籍したのは正妻の死後すぐじゃなくて何年も後のことだった。
まじまじ確認してないのではっきりわからないけど、8年くらい経ってたと思う。
そんな仕打ちの祖父に対して何だか無性に腹が立った

クズ男の祖父は、実際別宅である愛人の家で死んだ。
余談だけど、私が幼稚園の頃「おじいちゃんが死んだ」ということで連れていかれたのは母の実家ではなく愛人の家だった。
それは鮮明に覚えている。
どこまで祖母を愚弄すれば気が済むのか、結局祖母は義理の息子達に追い出される形で結婚後の母や実母のところに転がり込むように世話になっていたっけ。

で、母なのだが、男の子ばかりのところに初めて生まれた女の子だったので、祖父から大層可愛がられ、顔も祖母の姉に似ていたので兄達からも可愛がられたようだ。
一方実母は2番目の女の子だし、祖母似だったから姉である母とはかなり差別化されたらしい。
母はよく祖父から「お前は台所に入らなくてよい。女中が台所仕事をするような家に嫁げ」と言われていたから結婚前に一度も台所に立ったことがないということを自慢げに話す。
たしかに母の実家には家政婦さんもいたらしいが、家族が多かったので家事のほとんどは祖母がやっていて、実母もよく台所に立たされたと言っていた。

子どもの頃、母は時々兄達の部屋に呼ばれてお菓子をもらったり兄達の仲間に入れてもらっていたのだが、実母は呼ばれることがなかったのだとか。
実母はその話を私にした時「呼ばれるのは自分だけで、なぜ妹は呼ばれないのだろう。次は一緒に連れていこう」と思わなかったのかなと不思議がっていたけれど、後に実母が母にその時の話をしたら、「え?あんたいなかったっけ?全然気がつかなかった」と言われたとか。
またある時、夜中に祖母が部屋を抜け出すので、実母がこっそり後をつけると裏の神社の境内で祖母が泣いていたことが何度かあった、と。
ひと部屋に祖母と娘2人の3人で寝ていたが、母は全く気づかず、自分の母親が夜中に人目を忍んで泣いているなんて考えたこともなかったようだ。
妹が家事を手伝っていたことや、実は家計が苦しくて祖母が御用聞きに支払いを延ばしてもらっていたことも全く知らなかった

母は可愛がられていたとはいえ、兄達や一番下の妹とは違う「日陰の身」であることは無意識のうちにも感じ取っていたと思う。
だから自分の存在価値というものを認めてもらうことが唯一の生き残り術だったのではないか。
それは本能的なものだから、母親や妹にまで意識が及ばず、とにかく自分が気に入られるためにはどうすればいいかだけを考えてきた結果、自分オンリーな性格が形成されたと思われる。

祖母の事情を考えると決して卑屈になる必要はないけれど、でも普通お父さんを恨むよね。
昔の事とはいえ、そんな複雑な家庭環境はなかなかないもんね。
母の祖父への恨み節は聞いたことがないけど、母はそんなドラマチックな生い立ちを自分のこととして認めたくなかったのかな。
だから母は祖父から自分だけ特別に優遇されたことを喜んでいるし、疎開時に学校に多額の寄付をして周囲から一目置かれたことや、6畳ほどの広さの檻にシェパードを飼っていて訓練費用が大学費用くらいかかった話を今でも自慢げに話す。

自分の存在を認めさせる術として「人より優位に立つ
それが母の目標であり幸せになっちゃったんだろうね。

そんなだから今も昔も友達が1人もいないし、家族からも疎まれている。
母もある意味クズ男の被害者だからかわいそうな気もするけど、やっぱり優しい気持ちにはなれない私。

そして愚痴るの続きの続きにツヅク。
(まだあるんかい 笑)

 

 ハッピーハロウィーン

 

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愚痴る!(長文です)

2019-10-24 14:21:11 | 愚痴


愚痴といえば母の事。
母への愚痴はエンドレスだなぁ。

今更だけど母に話が通じない訳を分析してみた。
母は事実がどうであれ、常に持論を「真実」として結論付けている。
事実が違っていても自分が作り上げた結論が「真実」だと思い込んでるから、どんなに事実を説明しても全く聞く耳を持たないのである。
ということが改めてわかった。
不毛な水掛け論に嫌気がさして、こっちが口を閉ざすと、母は「勝った(自分が正しいから)」と思うのだ。
それが悔しくてたまらない

この記事を書くきっかけとなったのは、またもやすっごくつまらない話だけど、今朝母が、私の夫がしょっちゅう新しい下着を買っている、と不愉快オーラを出しながら言ってきた。
いや、全然買ってませんよ
うちは洗濯が母の唯一の仕事で、毎日干してるから見たことがない下着があればすぐわかると言うのだが、事実は最近下着を買ってないし、ましてやしょっちゅうなんてことはない
それなのに、「買ってない」と言っても全く聞かないので、こんなつまらないことで言い合うのは時間の無駄だからこっちが黙るわけだけど、そもそもなぜ私の夫が新しい下着を買うことが母を不愉快にさせるのか
夫が自分の稼いだお金で下着を買うのに母に文句言われる筋合いもないし、仮にしょっちゅう買ったとしても母には何の関係もないし怒られる理由もないはずだ。
そんなことを考えると私は納得がいかないしムカムカするのである。

お金もないくせに新しい下着なんか買っちゃって自分だけ贅沢してるというのが母の不愉快オーラの理由だ。
カフェオレ夫に対する母のイケズは、すべては夫が高収入じゃないことに由来しているのである。

元々がお嬢様育ちの母だが、母の理想は収入も地位もある人と結婚して何不自由のない専業主婦として安穏に暮らすこと。
小さいながらも印刷会社を経営する男性と結婚し、妹夫婦からカフェオレを養子として迎え、理想の家庭生活を送っていた。
しかし幼いカフェオレを遺して夫が急死し、自分が働きに出なくてはならなくなった。
なんせ50年以上前のことだから、シングルマザーが働くのは並大抵のことじゃなかったと思うし、苦労もあったと思う。
だからそんな中で私を育ててくれたのは本当に感謝しているけど、母にとっては再婚して再び専業主婦になるまでの10年間がものすごい屈辱だったようだ。
それをず~~~~~~っと引きずっていて、余談だけど母は事あるごとにその10年間の苦労話を聞かせてくる。
もう耳にタコだし、ケンカした時には「自分は子どもが欲しかったわけじゃないけど夫(私の養父)が妹の夫(私の実父)と勝手に約束して私を養子にした。夫が死んで苦労して育て上げた」ってことを恩着せがましく言うだけならまだしも、私がいなければどれだけ自由な生活ができたかってことまで言い出すのである。
(平静時には「そんなこと言うわけない」と、ケンカ時に飛び出した本音を完全否定。「そんなこと思ってない」が自分で作った結論だから、発言の事実は完全に母の中で消滅しているので、反省も自責の念もないから余計に厄介だ)

母は世間体とか他人からどう見られるかがすべての人なので肩書や学歴や収入にこだわる。
だけど私が選んだ夫は母の理想と真逆な人。
収入は多いに越したことはないが(笑)人を蹴落としてまで出世を望んだりしない素朴で優しい人柄に惹かれたのだ。
当時は気がつかなかったけど無意識に母の理想を軽蔑して真逆の人を選んだのかな、とも思う。

母は娘の夫が高学歴高肩書で高収入ということを世間に自慢したかったのだが、その夢が絶たれてしまったのが相当悔しいらしく、同居以来何もかもを夫のせいにするのである。
だからテレビでアスリートや何かを成し遂げた成功者を取り上げてると「やっぱり親がしっかりしてないと。お金がないと何もできない」と必ず言う。
暗に「あなたの夫は甲斐性なしだから子どもが苦労している」的な含みを入れての言い方をしてくる(私のひがみ?)
ケンカ時の本音では「近所で何て噂されてるか…」と言うが、誰も私の夫の収入を知らないし、そんなこといちいち言う人いないから
第一あなたの夫じゃないって言いたいよ(実際言ったけど、それで自分の考えがおかしいって気づく人じゃない 苦笑)


シングルマザーとして10年間苦労して、お金、お金ってなっちゃったのかなぁ。
今母は、家や貯金がそこそこあって小金持ちになってるが、それは母が一生懸命働いてコツコツ貯めてそうなったならいろいろ諭されても理解できる。
コレはうちのお金事情を暴露することになるのだが、今の家は最初の夫が遺した家(私の実家)を売って買った。
実家は猫の額のような小さな家だったけど、都内の一等地でバブルだったからすごい値だったし、結婚4年で急死した再婚相手も遺産や保険金を遺し、彼の遺族年金や恩給で母は年金太りである。
こう言っちゃ何だけど、故意じゃない後妻業みたいな…。
しかも光熱費はもちろん、母の食費や生活費は同居開始からの30数年間ずっと私の夫が出しているので、母の年金はすべて貯金に回っている。
だから自分は家や貯金があって安泰だけど、カフェオレ家族は将来が心配って非難されても、誰のおかげでそれだけ貯金できたと思ってるんだって言いたくなっちゃうわけよ
これが健康なのに働かないとかならともかく、たしかに贅沢はできないけど、私もイラストの仕事はこずかい程度にしかならないのに夫の収入だけで子どもたちもを私立大学に行かせて、ローンもなく、旅行も行って、とりあえず欲しいものは買える程度の生活力はある。
どれだけ高収入なら満足するのやら…

それにシングルマザーで苦労したのはわかるけど、働いたのはたかだか10年。
再婚相手に死なれて私達と同居するまでの数年間も働いてないから、最初の結婚までの期間を差し引くと母は55年間も専業主婦なわけだ。
専業主婦って言っても同居してからは食事の支度や掃除(前述の通り洗濯はしてもらってる)は私がしているので、母は洗濯が終わったら日がな一日ソファでテレビを観る毎日。
近所に義理の息子の自慢はできなくても理想の専業主婦生活が叶ってるじゃんね。
それなのに何が不満なんだか(不満はカフェオレ夫の収入なんだろうが、母が幸せになるのと娘の夫の収入は全く関係のない事だ
そんなに暇だから、24時間カフェオレを監視している。
カフェオレ達がちょっと外出すればすぐに机の上や引き出しの中を探って手紙や手帳を見る。
もちろん夫のタンスの引き出しも開けて見る。
毎日カフェオレ夫婦が何時に起きて何時に消灯したかをカフェオレに報告(なぜ報告するのかわからないけど、私は把握してるのよってことをアピールしている)
近所への買い物でもどこへ何を買いに行って、それが今必要かどうかを聞く(必要だから買い物に行くのであって、カフェオレ家のお金で何を買おうと勝手でしょ
(前に私の口紅を使った話を書いたけど)人の物を無断で使ってしらばっくれる。
夫婦の寝室でも勝手に入る(仏壇が寝室にあるからある程度仕方ないんだけど、何でもない時でも入る。しかも畳なのにスリッパのまま上がる

そもそもね、都内の実家が地上げにあって引っ越すことになった時(私はすでに結婚して娘①が生まれていた。その時は都内の別の場所で別居していた)ちょうどいい広さのマンションでも買って1人で暮らすも良し、いずれ高齢になった時に一緒に住むなら孫が小さいうちにみんなが暮らせるような広さの家で同居するのもアリかと思い、選択を母に委ねた。
結果、母は同居を選択したのだが、同居するにあたって家賃は払わないけど母の分も生活費を私達が負担するというのは私達からの提案だ。
しかしそんな約束は微塵も覚えてなくて、「娘達は家賃が払えないし、家賃を払いたくないから同居を希望(私達の方から!)した。だから自分の生活費を娘達が払うのは当然」という結論を同居1年も経たないうちに作り出して、以後何を言ってもそれ以外の話は受け付けない。
もちろん私達は家賃が払えなかったわけではないのに、母は「私の家に住まわせてやっている」と思っているから何に対しても不遜な態度になるのである。
だから私達夫婦が生活費を出してるおかげで自分の年金が丸々貯金に充てられるってことを説明しても完全スルーだ。
むしろ住まわせてもらって感謝しろって感じ

最近思うのは、たしかにこの家は母の名義になってて、「私の家」「私の家」って母は言うけど、父の建てた実家を売って手に入れたわけで、母は実家を相続した時に名義を自分一人にしたからこうなってるけど、本来なら私にも半分相続権はあったのでは?ってこと。
実際ケンカした時にそういう話を出したことがある。
その時母が言ったのは「固定資産税を払ったきたのはこの私だ」と。
その発言にはびっくりしたよ。
だって父が亡くなったのは私が小学校2年生の時。
小2の子どもに固定資産税が払えるわけがなく
そういう理由で自分名義に
いや、私、家がどうとか、権利や相続がどうとか全く関心がないし、固定資産税を払ってないのは本当だけど、本来は私も堂々と住む権利があるんじゃないかと思うと「住まわせてやってる」にはなんか納得がいかなくてすっごくモヤモヤする

あ~、こういう人だってわかってれば絶対に同居しなかったのに。
それに、当時は母も50代で若かったから1人で暮らした方が自由な生活も楽しめて、新しいボーイフレンドもできて、視野も広くなって、娘に依存しすぎることもなかったかも。
それだけが後悔、後悔、後悔

今更言ってもどうしようもないけどさ、きっとこれは私達夫婦へ神様が与えた修行なんだよね
今思えば、母に子どもができなかったのも「子どもを持ってはいけない人」だと神様が思ったからなんじゃないかな。

夫ももはや「病気なんだよ。ボケたと思えばいいよ」と。
いつかわかってくれるとか、話せばわかるっていう幻想は捨てて、ボケて作り話を繰り返していると思えばいちいち頭に来ないのかな。
ただ、否定しても肯定しても結局は夫に刃が向かうから私も黙っていられなくなっちゃうんだよね


ネグレストや虐待の毒親で苦しんでる人を思えば申し訳ないくらいささいな毒だけど、どうしても早いお迎えを望む罰当たりなカフェオレ。
とにかく24時間監視は止めてくれ


はぁ~、毒吐いて少し軽くなったけど、まだ言い足りない~~~(笑)

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素朴な疑問

2019-10-17 15:25:03 | 気がついたこと


避難所。

今年の台風で避難所暮らしを余儀なくされている方、避難所に行かれず犠牲になられた方がたくさんいらっしゃる。

こちら横浜市でも最終的には全域に避難勧告が出た。
我が家の場合、災害時の避難所は近所の小学校だというのはわかっていたが、おかげさまで近隣は特に大きな被害もなく、おそらくその避難所に行った方は皆無だったのではないだろうか。

すごく無知でお恥ずかしいが、避難所って誰が開けて、誰がお世話するの

役所の職員? 町内の世話役?

「ためらわずに避難所へ」ってすごく言ってたけど、避難所に行ったとき鍵はすでに開いてるものなのか?
ホームレスが避難所の使用を断られたってニュースが話題になってた…ということは、誰か住所確認できるものを持っている人がいるってことだよね。
ということは、やっぱり役所の職員?
でも災害時の役所はすっごく忙しいはず。
避難所って結構たくさんあるから、それぞれに職員を派遣するのは難しいんじゃないだろうか。
しかもうちの近所の小学校に避難した人はおそらく皆無と思われるが、それでも避難所を開けてお世話するために職員を派遣させるって結構人員の無駄遣いというか…なんだか申し訳ないような。
よく知らないけど、小中学校って早朝に門を開けたり鍵を開けたりする担当の近所の人がいるらしいよね。
でも避難所開設したい時にたまたまその人が不在だったら?
開設するって決まった時点で役所の人が駆けつけるのかなぁ。
今回みたいに週末だと(しかも台風なら事前準備が可能だが、地震とかね)それぞれの派遣地区が決まってたとしても自宅が遠かったり、外出してたりで急には駆けつけられないじゃん。
そしたら避難所に入りたくても入れないというような状況にはならないのだろうか。

町内会で役が回ってきた時、防災委員っていうのがあって、それもくじ引きやじゃんけんで決めるわけよ。
防災委員に当たっちゃった人は、年一回、避難所となる小学校の備品確認や使い方を教わったり消火活動を試したりはするけど、避難所の鍵を開けるとか避難民をお世話するとかそういう話は一切なかった。
仮に防災委員の数人がお世話係になるとしても何の覚悟も知識も情報もないし、無理だと思う。
実際避難所で過ごすことになったら、みんなで助け合ってってことにはなるんだろうけど、とにかく避難所開設に当たっての初期対応がどうなってるのか、災害のニュースを聞くたびに不思議に思うのである。

それがいつもすごく謎で、いつかブログで書こうとは思ってたけど、こんな時期に能天気にそんな記事UPするのも不謹慎なくらいの被害状況だ
避難せざるを得ない方は大変だけど、避難所でお世話に当たる方、本当にご苦労さまだよ。
大きな災害の時は自分だって被災されてることも多いだろうし、仕事とはいえ本当に頭が下がる思いです。

とにかく被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く日常の生活に戻れますように

 

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犯罪の匂い

2019-10-10 11:43:37 | 愚痴


週末台風が近づいてるけど…被害がありませんように


ここ数年、リサイクル業者を名乗る人からの電話が多くないですか?

着古したTシャツ一枚でも」と言ってくるけど、着古したTシャツ一枚のためにわざわざガソリン代かけて取りに来るなんて怪しすぎる
アレって、結局貴金属狙いの押し売りならぬ押し買いだそうですね。
断ってるのに強引に家の中に上がり込んで二束三文の値段で貴金属を買い取っていくのが手なんだとか。

私はいつも「ないっ」と言って素早く電話を切るんだけど、先日母がやらかしてくれました

私の留守にリサイクル業者からの電話に出た母。
何も言わずにすぐに電話を切るように日頃から言い聞かせてたけど、年寄ってさぁ、ホント駄目だよね。
私が帰宅したら、業者から電話があって、断ったけど「タオル一枚でもいいから」と言うからと、銀行の粗品のタオルとか用意してる。
これからそれを業者が取りに来ると言うから、「何で来ることを許したーーーー」とめっちゃ激怒した
本人は「娘はそういうの嫌いだから」って何度も言って断ったって言うけど、「娘」とか余計な情報を与えるなっつーの

相手は元々電話番号以外にこっちの住所とかの情報をもっているのかわからないけど、少なくとも「来る」ってことは母が住所を教えた可能性もある(本人否定)。
全くどうしてそういうことするんだか。
とにかくコレは詐欺だから、今後リサイクル業者から電話があったら絶対に何も答えずにすぐに電話を切るように何度も念を押した。
ただ、もちろん素直に聞く人じゃないし、自分の非を絶対に認めない人だから自分が責められて分が悪いと感じたのか、すぐさま夫の悪口で応戦してきた
それも全く夫には落ち度のない関係のない事を夫のせいにして責め立ててくるから余計に腹がたつ
素直にさ、「ごめんね、今度から気をつけるわ」って言やぁ済むことなのに。
もっともそんな人ならこんなに苦労しないか(苦笑)

その数時間後、例のリサイクル業者から「これから行きます」と電話がかかってきた。
カフェオレが「お断りします」と言ったら、案の定電話口の男が(母にかけてきたのは女)「え?さっき行ってもいいって言いましたよねぇ」と脅すような口調で言ってきた。
そこですかさず「お断りするので来ないでください」と言い放ち、速攻電話を切った
もしうちの住所を知ってたら無理やり押しかけてくるんじゃないかとちょっと心配だったが、その後は訪問も電話がかかってくることもない。
ただ、その電話を切った後、怒りと恐怖がこみあげてきてその時仕事で細かい絵を描いてたんだけど、ものすっごく手が震え出して数時間絵が描けなくなった。
だから余計に頭にきちゃったよ

結局母には厳しく注意してもダメだと思ったので、一日中留守電にすることにした。

皆さまも断捨離中だからとこれ幸いと思わず、リサイクル業者の電話にはご用心くださいな

 

 

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KANREKI

2019-10-07 06:56:32 | 日記とか


ついに還暦になりました!
60年も生きてきたのに、60年分の歴史や生きてきた感を全く感じてないカフェオレ。
それだけ何も成し遂げることなくダラダラ過ごしてきちゃったんだろうね

 

夏最後のあがきなのか、10月だというのに真夏日の土曜日、娘達が代官山のオシャレなイタリアンで還暦祝いをしてくれました。

そんな気を使わなくていいよ~と思って今まできたけど、せっかく私のために計画してくれたことだから喜んで受け入れた方が気持ちがいいんじゃないかと思い直し、素直にお祝いしてもらうことにした。
ちなみに母は招待されなかったが、例のごとく当日になって「血圧が高い」「お腹が痛い」と言い出した。
スルーして出かけたけど

さて、その洒落乙なレストランでは個室を予約してくれていた。
ちびっ子達がいたから…というのもあったと思う。

部屋に入るとこんな感じでセッティング。
お皿の上に乗っているのはこの日のメニュー表である。

まず最初に出されたのはメニューには載ってない突き出し的なもの。

クリームチーズがサーモンに巻かれている。

次にパンが運ばれてきた。

手前のガラスの器にオリーブオイルが注がれて、熱々のパンをつけていただく。
オリーブオイルはちょっぴりスパイシー。
実はこのオリーブオイルの器、最初はどう使うかわからなかった。
裏が空洞になっているので、裏返してフィンガーボールとして使うんだよなどと予想しながら話していたら、ウエイターさんが裏は返さず小さな窪みにオリーブオイルを注いだのでなるほど~となった。

次は穴子とストラッキーノというチーズを使った前菜(だと思う…メニュー表には食材しか記されていないのでこの店のコンセプトらしい)。

上の部分がパイでサクサクして美味しかった。

そして渡り蟹とアンコウとトマトを使ったスパゲッティ。

麺がアルデンテより硬く、でも芯まで火が通ってるっていう硬さ。
家庭では出せない食感と味。

次もパスタ。熊本あか牛とサマートリュフが入っている。

正直本物のトリュフを食べたの、初めてかも
娘①は香りに感激してたけど、私はふ~ん、こういう香りなのかと。
どういう香りなのか…シナモンぽい感じがしたんだよね、わたし的には。

次はお魚かお肉かをチョイスできるメイン料理。

私と娘①はお肉(金華豚のグリル)

豚肉なのに牛かと思うくらい柔らかかった。
右の黒いものは竹炭のお塩。

夫と娘②はお魚(イトヨリ鯛のポアレ)

ドルチェはピスタチオのムースにミックスベリーソースがかかったものだが、私のだけ特別仕様



食後の飲み物はいろいろ選べたのだが、私はミントティーをチョイス。

贅沢で家族そろっての素敵な時間。
本当にありがとう、娘たちよ。

あ、でもね、スマートカジュアルとはいえドレスコードがあるようなお店は緊張の連続だった

まずそのオリーブオイルの器が謎だったし、パンもどのタイミングで食べるのかわからなかった。
パンは多分食事と一緒に、例えばお料理のソースをつけながらいただいたりするんじゃないかと思うけど、カフェオレ家は料理が運ばれてくる前にあらかた食べてしまい、ウエイター氏に「そんなに先に食べられたら料理がくる前にお腹がいっぱいになる」的な指摘を受けた
そう言われて慌てて食べかけを置いて後からいただいたが、最初食べた時は熱々のふわふわだったパンが後から食べた時はカッチカチだったので、益々どのタイミングで食べるのかわからなくなった。

子どもにも対応するとのことだったが、結局子どもたちにはスパゲティしか運ばれてこなくて「お腹空いた~」と言っていた。
それはこちらが注文しなかったからだけど、「お子様にはパスタをご用意しています」とのことで、パスタに使う食材を聞かれたりしたが、大人はコース料理だったので子どももパスタ以外に何か出ると思ってた。
娘達がどういう風に予約してあったのかわからないけど、その後子ども用の料理については何も聞かれなかったし、娘達も「これだけ?」って顔してた。
どうやら夜は子どもNGで、昼間も子どもはめったに来ない大人な店なんじゃないかな。
2~3歳の幼児じゃないから、そんなに騒いだりお行儀が悪かったとも思わなかったけど、ウエイター氏に何回か注意されてしまった
駅からお店までの道中、代官山はどこも人が行列だったが、このお店に入った時は開店直後ということもあって席がまだ空いていた。
そんなこともあって、店に入るなり孫①が「人気がないお店だね~」などと発言したから恨みを買ったのか
まさかね

そしてお料理が運ばれてくるとウエイター氏が説明をしてくれるのだが、小声で聞いたことない単語連発だから何言ってるかさっぱりわからなかった(笑)
こっちも特に聞き返すこともなく終わったが、今思えばわからなければ何回も聞き直して、メモれば良かったなと思った。
(そうすればブログにも詳しく書けた 笑)
多分ウエイター氏も「こいつら知ったかぶりしてるけど、言ってもわからないだろうな~」と思いながら説明してたんだろうと思う。
うん、そういうオーラが出てた。
例えばトリュフを使ったクルクルのパスタ、そのパスタの名前を言ってたけど、長くて横文字でよくわからなかった
こっちも知らないことは素直に聞いて、名前だけでなく、もっと「ポアレって何ですか?」とか「それはどんなソースですか?」とか「何を使ってるんですか?」とか、突っ込んで聞けば良かったと。
だって、仕事とは言え、相手はわからないからスルーしてるのわかってるのに一生懸命説明するのって空しいし、時間の無駄だもんね。
時間の無駄を承知で聞いてない説明をわざわざさせるのも失礼な気がする。

まぁ、分不相応な店に行くならちゃんとマナーを勉強してから行けって話かもしれないけど、これからは知らないことは素直に知らないと言って、聞く。
ということを心がけたいと改めて思った。
(あ、もしかしてアレコレ聞くのはかえってマナー違反なのか

そんなこんなな顛末はあったけど、本当に娘達には感謝です。
そして還暦過ぎても改める点に気づかされたことにも感謝。
これからも家族そろって健康で楽しい60代を過ごせたらと思うカフェオレです。


 

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