今日たまたまあるホームセンターに買い物帰りに、
ちょうどその駐車場から、隣接する養護学校(現在は特別支援学校)の運動会の様子を観る機会があった。4階にある駐車場から観ていると、ちょうど組み体操が始まるところだった。
この運動会とか、その組み体操となると、たちまち元教師の感覚に戻ってしまう。小中の養護学校と思い、もとプロの目で「体形や展開はどうか?」「どういう演技レベルまで要求するのか?」とチェックしてしまう。観ていると、どうも生徒の体格が大き過ぎるし、できた技も高度であった。家に帰って調べてはじめて、小・中・高の学校であり、特に高等部の人数が小・中合わせたよりも多かったので納得した。最後まで高校生に気づかなかったということの理由だが、遠目であったせいもあるが、わたしの勤めていた県では高等部まで一緒という例はなく、「無い」という固定観念を持って観ていたことが大きかった。自信たっぷりの体験で物事を見ようとすることのこわさを実感する。見えていても、見えていなかった。
ところでこの演技だが、苦心しながら見事にタワーを完成させた。生徒たちはさぞ達成感が持てたことだろう。隣で観ていた妻はもう、感動で涙さえ浮かべていた。素直に観客になりきっていた。ところがつまんないことに私は、最後まで「けが人が出ないように、教員の補助体制は?」などとチェックしていた。なんだかソンをしたような気がした。 (ケパ)