ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

異言

2011年10月24日 | 聖書

Cjf14  みなさん、異言(いげん)をご存じでしょうか?聖霊のバプテスマを受けたすべてのクリスチャンに先ず与えられる賜物で、神に向かって話す外国語のようなものです(参:1コリント14章2節)。自分の口から語っているのに、語り手自身が「いったい自分が何を言っているのか?」わからない賜物、それが異言なのです。

 この異言について、聖書では(使徒の働き2章4節から11節)で最初の異言の現れを描写しています。ここでは非常にメッセージ性の強い異言が、各国々の言葉で語られたのです。わたしもクリスチャン生活になって30年以上経っていましたが、このような聖霊の賜物があることを信じ、聖霊のバプテスマを受けてから開かれてきました。信じていなかった時とか、聖霊のバプテスマを受けるまでは、異言とか預言など聖霊の賜物は現れませんでした。ですから「(そんなおかしなものは)ない!」と思っていました。しかしそれは間違いだったのです。聖書は真実です。聖書にある通り、本当にこれらはあったのでした。Photo

 「異言が語れる?だからどうだって言うの?」と思われる方も多いと思います。しかしそう思われる向きは、信仰においてかなり損をしておられるのです。神が恵みでくださるものに、不要なものはありません。多くの場合、1テサロニケ5章の「絶えず祈りなさい」など、異言の祈りで祈ると、いつでもどこででも祈ることが出来るようになりました。それだけでなく、既述のように聖霊の賜物が出るようになりました。これらは素晴らしい神の恵みであり、祝福なのです。まさに「神と共に生きる」喜びが包むのです。食わず嫌いをやめてクリスチャンの方は、ぜひ聖霊のバプテスマ、異言などをお受けになっていただきたいと思います。  (ケパ)

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