今日、祈りの答えを即座に体験することができた。これは不思議なこと、そう、小さな奇蹟である。
私は右目に緑内障を持っているらしい。60歳の特別人間ドックでひっかかり、検査の結果わかったので、まだ程度は軽いらしい。それで、眼圧を下げる目薬を毎晩差すことになった。歯もダメ、耳も怪しい。鼻に至っては対症療法頼りの、ほぼあきらめ状態である。記憶力など頭の中身の方は、まだ大丈夫だと思っているが、緑内障・・・・確かに「老い」を実感させられることにはちがいない。しかし私にはキング牧師のように「希望」どころではなく、なんと燃えるような「確信」がある。それは神は生きておられ、これからさらに私を用いてくださるという確信である。なぜ確信だと言えるのか?そろえは今日あった、こんな小さなことにも如実に知れるからなのだ。
さて緑内障を患っている私は二ヶ月に一度ぐらい、定期検査をうけて、目薬を処方してもらわなければならない。それで期限の今日、ドルカスにせかされ、確かにそうだと眼科医に行く。いつもは30人ぐらいの待合室(駅ビルの超ハヤリの医院)が、今日は比較的空いていた。30分でほぼ受診完了。あとは会計だけ、とやれやれと腰を下ろし、いつになく呼ばれる前に財布を準備しようとすると、一瞬血の気を引く事態に・・・・・。財布を忘れていたのだ。
「さあ困った、どうしよう」と考えてとっさに思い出したのは、忘れん坊の自分のために、カバンにとっておきの隠し財源があったこと。小さなビニル袋を取り出して見ると、中には千円札と百円と五十円と十円の合計1160円也があった。「あ~あ、これでは足りない!」と。なにしろ再診料、眼圧の検査料、処方箋代で千円少々なりでは、あまりにも心許ない。というか、これでは絶対足りない!と思った。
そこで食い逃げならぬ、「すみませぬ(>_<)病院代を後払いにm(_ _)m」と懇願する不様さを回避すべく、ドルカスにヘルプメールを出した。すると「まだ化粧をしていない」とかナンとか・・・・消防車かパトカー並の、迫る会計時間直前の、緊急事態にそぐわぬ、いかんともしがたい状況がゆるされた。
こうなったら、後は一つしか無い。神様に祈ることだけだ。「神様、どうか助けて下さい。会計で今持っているお金でOKになりますように!どうか助けて下さい。会計係に働きかけて、1160円以内に収めて下さい。お願いします」と真剣に祈った。祈ってすぐに、「〇〇〇〇さん」と会計の呼び出しがあった。前に足を踏み出す私の心はもう、「申し訳ありません」のペコペコ謝りのイメージトレーニング状態である。
しかし神は生きておられる。会計の金額は1150円!10円を残して足りる。「払える!」のだ。写真の通りの小さなビニル袋から、私がコインを一つ一つ取り出すのを、会計係は「この人、大丈夫?」とばかり目を皿のようにして見ている。しかしお金はちゃんとあったのだ。それも最小のコイン10円玉1枚だけを残して。「神は生きておられ、しもべのこんな祈りにも答えて下さった」のだ。
これは小さな、本当に笑われるような小さなことかも知れない。しかし私には神が生きておられ、しもべを見捨てられない出来事と分かった。してみると神は、神が語られたことは必ず成就する確信が与えられた。小さくても大きな一歩。神に感謝します。
※写真は後で再現した撮影で、100円玉が10円玉に間違って撮影されてます・・・・・ケパ