IKEA(イケアというスエーデンの大型家具販売店)で、写真のようなお茶をしていて、ふと「わかった!」ということがあった。
それは表題のことで、かねて疑問に思っていたことなのだ。と言うのも、小学校教諭をしていて母親たちとの話題に「先生、うちの子、本をぜんぜん読まないんですよ・・・・」と、ようく相談を受けてきたからだ。確かに本が読める、ということは学力の土台であるので、「そんなうまい方法があれば教師だって苦労しないよ」と思いながら、いろいろ考えてはいた。
かく言う私はすっごい本好きな子で、物心ついた時から本の虫だった。小学校時代などは図書室か本屋に必ず居たほどだった。よくいじめられたために、逃げ惑うのが一番つらかったが、本屋は格好の逃げ場所だった。
どうして自分は本が好きなのか、考えてみてもわからなかった。ただ子どもの時から好きだったとしか言いようがなかった。
しかし、である。これが「分かった」のだ。それは文字を読み、文字からの「空想力」があると言うことなのだ。ではどうして空想力があるのか?それも同時に分かった。それは「空想の世界に逃避することで、甘美な思いにしたれ、つらい現実から慰められ、ヒーローにもなれた」いわば代償的行為だったと。
さらに言うなら、たくましく生きて行ける子、肯定的に自分を評価できる子ではなく、空想の世界にしか自分の場を見い出せない子が、本好きな子どもになるのだ。だから近年のゲームにはまってしまう子は、空想することまで奪われて、ほんとうにかわいそうだと思う。本好きな子には、ゲームのようなプログラムの、空想をまったくゆるさないような状況はつらくなるはずだからだ。
どんな親だって子どもには幸せになって欲しいと思う。本好きな子どもとは、空想に逃げるしかなかった不幸な子どものことだから、親にはつくれないのだ。 ケパ