ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

羊と山羊

2014年12月04日 | 聖書
明日はいよいよ、といつもドキンドキンするのだが、船橋カリスマ聖会である。もし読者の皆さんでお時間が許されるなら、ぜひ来ていただきたい会です。
牧師である私は、そこで「羊と山羊(やぎ)」と題して短いメッセージをする。ここでも前回同様に、「習っていたピアノが、何の役に立つのだろうか?」が180度変わったようなことがある。
それは私が小学生時代に、ニワトリ二十羽と山羊一頭を飼っていたことである。田舎町で軒を連ねた近所があったとはいえ、一歩奥へ行くと自然が豊かであった。そこで私は毎朝晩、ニワトリ小屋に行き、餌を作っては与え、山羊を草地に連れて行っては長いロープで日中は留めてきた。

この山羊との思い出は格別で、さまざまな事件と共に、その頑迷なというか、野生の強さを思い知ることとなった。一言でいうと、自主性100パーセントであって、子供とはいえ飼い主には聞き従いができない動物なのである。
ところが似たような家畜でも、羊はまったくの別物で、イスラエルやギリシャで実際に見たり聞いたりしてその違いに驚く。これほど従順でかつ、無力な動物はいないと思う。山羊は群れても、決して並ばない。自分の道は自分で決め、果断に行動できる。元学校教師の視点でいえば、自己実現ができている。しかし羊はまさにリーダーの後を一列に並び、勝手には進まない。忠実さはこの上ないが、自主性や覇気がない。

これらの体験や知識が、聖書でキリストが語っていることをよく理解させてくれる。明日はその話も交えて語らせていただこう。せっかく、(実は神の計画で)山羊を飼っていた少年だったのだから。 ケパ
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