ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

公教育VSチャーチホームスクール

2016年03月02日 | 聖書
昨年、ホームスクール関係者たちと触れ合う機会があった。チア・ジャパンの方たちとである。そして私は元とはいえ、公教育の教師であった。普通立場的には、対立する位置にある。ただ共通点があった。それは互いにクリスチャンであるという点だ。

私が現役の時、ホームスクールを知った時の感想はかなり否定的なものだった。「家庭で教育なんて、できるわけがない」だった。それは教育のプロとしての自尊心もあったが、子どもの実情を知る者としての実感であった。またもし実際にあるとすれば、教育計画(カリキュラムと教科書、実験設備など)や評価、実際に教育にかけられる親の時間はもちろん、最大の課題は同年代の子供との社会性の育成だろうと思った。だから、ムリムリと。

反面、公教育の問題も大きかった。特に正直、道徳が最悪であった。だいたい道徳なんて、教えたからといって、性格や人格を変えられるとは誰も思わないであろう。実際に教えていて、建前でなく、結局は子どもの利己心に訴える以外に他に方法はなかった。空しい教科であった。また、深刻ないじめ問題や、子ども同士の影響も、良い影響を与え合う可能性より悪い影響を受けていく可能性の方がはるかに高い。特に問題なのは、反聖書的、サタン的な本質である。日本のお役所や公教育では、宗教を完全に排除する。そして教えるのは人間を称揚した人本主義である。人間は本来善であり、限りない可能性を有している、と。三十年教師をしていた私が言うのだから、間違いない。

それはキリスト教から見れば、全くの見当違いである。人間は人類の祖、アダムとエバが罪を犯してから、誰一人例外なく罪人である。全くの正反対である。もともと教育とは教会のものであった。それを国家が産業の要請に応えて「産業革命に必要な低廉で規範性の高い、大量の労働者の生産」の命題で、教会から教育を取り上げた歴史がある。公教育は教育の土台からして人間教という偶像崇拝を犯しており、進化論という不信仰者の単なる仮説を真理であるかのよう教える。公教育の内容たるや、キリスト教とは全く相いれない、むしろ敵対するサタン的なものである。

そこでチア・ジャパンのことに戻るが、聖書に準拠した素晴らしい教科書が山積みされ、指導書があり(写真)・・・を目の当たりにして私は脱帽した。指導法についても、様々な保護者同士の研修会があって、レベルの高いものであった。もし私がこのチア・ジャパンを知っていたら、ひょっとして自分の娘たちをこれで育てていたかも・・・もしかしたら免職覚悟でしていたかも知れないと思わされた。クリスチャンホームの皆さん、子どもの教育を学校任せにせず、是非チェックしてみてください。 ケパ


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