きょうは我々日本人にとって忘れることができない日です。被災地のこと、その被害者、そして今なお復興途上で帰宅できない方々、放射能汚染で苦しんでおられる方々のことを思って、取りなしと祈りの一日としたいと思います。そのこともあって、その日をより思い出すため、その瞬間の私たちの様子をYouTubeに上げた作品を今一度観ました。
「大地震、その時」

ちょうどその時、京葉高速に入ったばかりでしたが、間近で建設途中だったスカイツリーを撮ろうとしてドルカスがカメラを用意していたのです。突如、車が激しく左右に揺れました。スピードは出てますし、その瞬間これは前輪のタイヤがパンクですわ、大事故になる! しかしハンドルを必死に押さえるものの、タイヤが右に、左にどうしてキックするんだ? その後、これは経験したこともない大きな地震とわかって速やかに減速し道路左に寄って停止したものの、あまりにも大きな揺れに、神戸の橋桁が折れた場面を思い出し、「これは橋桁が落下するぞ!」と思いました。ですからその時は高速道路の高さから、車ごとの10メートル程度の落下に備えていました。また三十分近くは経っていたはずですが、船橋市内の中央公民館あたりで、余震に街路樹に取り付く人の様子から、再びあの時のことをありありと思い出しました。
当時私たちは教会事務所を10階に借りていましたので、エレベーターが使えず、苦労して上がり、すぐに船橋から杉並の自宅に帰ることにしたのですが、ものすごい渋滞で、12時間ほどかかって帰ったことを忘れられません。浦安、江東区と途中液状化で白い粉が吹いたような道路を、歩くより遅いスピードで帰る時、困ったのはトイレです。途中コンビニに寄っても店内はごった返し、保存食料品はまったく棚になく、特にトイレが汚れていました。それでドルカスをなんとか残し、私は最悪どこででも用を足せるからと近くを物色しました。するとすぐ近くに人気がない中、電気のついた事務所があって、「すみませんーん、トイレをお借りできませんか?」と私は中に入ってみました。鍵は全くかかっていませんでした。整然と片付けられた事務所の奥に、トイレはちゃんと明かりををつけて明示してありました。きっと私のような人が先に訪れていて、事務所では職員を帰すに当たり、勇断を持って開放されたままにしておられたのです。先を争うひどい渋滞とコンビニでの殺伐とした雰囲気から、その時、心を洗われたような気がして、私はこの事務所の責任者に心から感謝したことを忘れることができません。 ケパ
「大地震、その時」

ちょうどその時、京葉高速に入ったばかりでしたが、間近で建設途中だったスカイツリーを撮ろうとしてドルカスがカメラを用意していたのです。突如、車が激しく左右に揺れました。スピードは出てますし、その瞬間これは前輪のタイヤがパンクですわ、大事故になる! しかしハンドルを必死に押さえるものの、タイヤが右に、左にどうしてキックするんだ? その後、これは経験したこともない大きな地震とわかって速やかに減速し道路左に寄って停止したものの、あまりにも大きな揺れに、神戸の橋桁が折れた場面を思い出し、「これは橋桁が落下するぞ!」と思いました。ですからその時は高速道路の高さから、車ごとの10メートル程度の落下に備えていました。また三十分近くは経っていたはずですが、船橋市内の中央公民館あたりで、余震に街路樹に取り付く人の様子から、再びあの時のことをありありと思い出しました。
当時私たちは教会事務所を10階に借りていましたので、エレベーターが使えず、苦労して上がり、すぐに船橋から杉並の自宅に帰ることにしたのですが、ものすごい渋滞で、12時間ほどかかって帰ったことを忘れられません。浦安、江東区と途中液状化で白い粉が吹いたような道路を、歩くより遅いスピードで帰る時、困ったのはトイレです。途中コンビニに寄っても店内はごった返し、保存食料品はまったく棚になく、特にトイレが汚れていました。それでドルカスをなんとか残し、私は最悪どこででも用を足せるからと近くを物色しました。するとすぐ近くに人気がない中、電気のついた事務所があって、「すみませんーん、トイレをお借りできませんか?」と私は中に入ってみました。鍵は全くかかっていませんでした。整然と片付けられた事務所の奥に、トイレはちゃんと明かりををつけて明示してありました。きっと私のような人が先に訪れていて、事務所では職員を帰すに当たり、勇断を持って開放されたままにしておられたのです。先を争うひどい渋滞とコンビニでの殺伐とした雰囲気から、その時、心を洗われたような気がして、私はこの事務所の責任者に心から感謝したことを忘れることができません。 ケパ