私はテニスが大好きな牧師である。何しろ46年もずっと続けている。しかもシングルスを得意とするプレーヤーでだ。
試合には勝つには強打で打ち勝つか、「柔よく剛を制す」風のコントロールで勝つのが普通だ。しかし年齢を重ねていくと、勝負では試合運びというか、「読み」がいかに大切かということを痛感する。
ご存知のようにシングルスではコートが広い。つまり相手が右か左か、どのサイドを狙ってくるかがわかっているかいないかで、ほぼ勝負が決まる。わかっていれば、捕球ができるだけでない、たちまち形勢逆転、以後の展開を主導できるからだ。
二十歳の時にクリスチャンになった私は、それから三十年もたって、聖霊の神さまを知った。キリスト教の神は父・子(キリスト)・聖霊の三位一体であって、それまではただ、知識で知っていただけだった。求めてそうなるまでにはずいぶん時間もかかったが、その聖霊さまを中心とした早天の祈りのすばらしい交わりの中で、聖霊さまは実に多くの言葉を私に語ってくださった。その中の一つに、『これから私に起こること』があった。
「あなたは(重大な)選びをするようになります」「結婚します」「牧師として東京へ出て、多くの学びをしますが、それは一つの段階にすぎません」「しばらくして牧会に立ちますが、そこが・・・」…etc。当初はまったく理解できないものもあったが、後になって語られたこれら全ては、ただ一つのことを除いて、すべて実現していた。実際、振り返ってみると身震いするほどである。と同時に、神は自分に従おうとする愛する子には、すべてを語ってくださり、備えをさせてくださることがよくわかる。「あらかじめわかっている」、これはテニスのように、人生の勝利の秘訣である。実際もし、これらのことが予告されていなかったとしたら、私はそのすべての選びとチャンスに失敗していたと思う。
『せかいのおわり』パウロ秋元著(雲の間にある虹出版)という新著が出た。副題に「これから起こること 聖書」とある。黙示録を読んでも、少し前まではわからなかったいろんな事が、今やどんどんクリヤーになってきた。世界の終わりは間違いなく今の時代にやって来るだろうし、それに対し、あらかじめ教えられて知り、御心の対応をして備える者には、神が勝利を与えてくださるための書物であると私にはわかる。
まずはご一読を。論議はその後で。
ケパ
試合には勝つには強打で打ち勝つか、「柔よく剛を制す」風のコントロールで勝つのが普通だ。しかし年齢を重ねていくと、勝負では試合運びというか、「読み」がいかに大切かということを痛感する。
ご存知のようにシングルスではコートが広い。つまり相手が右か左か、どのサイドを狙ってくるかがわかっているかいないかで、ほぼ勝負が決まる。わかっていれば、捕球ができるだけでない、たちまち形勢逆転、以後の展開を主導できるからだ。
二十歳の時にクリスチャンになった私は、それから三十年もたって、聖霊の神さまを知った。キリスト教の神は父・子(キリスト)・聖霊の三位一体であって、それまではただ、知識で知っていただけだった。求めてそうなるまでにはずいぶん時間もかかったが、その聖霊さまを中心とした早天の祈りのすばらしい交わりの中で、聖霊さまは実に多くの言葉を私に語ってくださった。その中の一つに、『これから私に起こること』があった。
「あなたは(重大な)選びをするようになります」「結婚します」「牧師として東京へ出て、多くの学びをしますが、それは一つの段階にすぎません」「しばらくして牧会に立ちますが、そこが・・・」…etc。当初はまったく理解できないものもあったが、後になって語られたこれら全ては、ただ一つのことを除いて、すべて実現していた。実際、振り返ってみると身震いするほどである。と同時に、神は自分に従おうとする愛する子には、すべてを語ってくださり、備えをさせてくださることがよくわかる。「あらかじめわかっている」、これはテニスのように、人生の勝利の秘訣である。実際もし、これらのことが予告されていなかったとしたら、私はそのすべての選びとチャンスに失敗していたと思う。
『せかいのおわり』パウロ秋元著(雲の間にある虹出版)という新著が出た。副題に「これから起こること 聖書」とある。黙示録を読んでも、少し前まではわからなかったいろんな事が、今やどんどんクリヤーになってきた。世界の終わりは間違いなく今の時代にやって来るだろうし、それに対し、あらかじめ教えられて知り、御心の対応をして備える者には、神が勝利を与えてくださるための書物であると私にはわかる。
まずはご一読を。論議はその後で。
ケパ