ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

国情と団体行動

2016年06月03日 | 随想
東南アジアを旅して、数少ない私の経験でも彼我の国の違いを感じさせられることが多い。今日も学んだが、私が聞いたA国の公立学校の教師は、教室の子ども(親たち)から補習代という名の自分宛の賄賂(という認識はないだろうが)は当然のことである。なぜなら公務員の給与では生活が成り立たなくいため、子どもを帰して午後からするいろいろな副業の方が大切なようである。教師の中には午後から同じ教室で補習をする教師もいる。補習を受けなければ事実上、進級できない。そのための費用を親が私的に負担するのは当然だというわけである。つまり補習費用を出せない貧しい子どもたちは、結果として落第し続けることになる。だから卒業できないし、中退者続出である。ひどい例では、教室以外での副業のために、教師が不登校になるケースも。公立学校ではまともな教育を期待できないという。(写真の日本NPO孤児院は、そのような環境から子どもたちを少し費用はかかっても私学に通わせ、教育を守っている)

B国ではなんと出国手続きの手荷物チェックで、目を付けたとばかり係官がやって来て、「金を出せ」と賄賂を要求された。断れば「あっちへ行ってもらわなければならない」と別室を指差す。国際空港の検査官と言えば、その国が誇る公正な役人のはずなのだが・・・・。
少し古いが友人の話で、赴任のためC国空港の荷物チェックに立つと、手荷物のパソコンや携帯電話などが選り分けられた上、別室に連れて行かれた。そこで係官から使い道をどうのこうの質問されたと言う。彼がどんなに説明しても、彼は納得せず、結局は没収されたと言う。要するにこれは、賄賂を要求されたのではないかと私は思ったのだが。

これらの例には、貧しさ、と言う面もあるだろうが、文化という面も大いにあるように思う。与えられた地位や職権というものに対する、根本的な考え方、いわゆる「公」の意識が異なるからだ。
それは自分のためのもので、上手に運用して収入の一部にするためのものなのだ。ただ世界の建前は彼らは承知しており、取れる者から取るため、団体旅行などでこのような目にあうことは少ないと思う。しかし一人で、しかも一目で日本人とわかるような出で立ちであれば、世界のあちこちである程度覚悟しなければならないことだろう。日本人は団体行動を好むというが、そんな風に見られることにひるんではならない。渡航する国によってではあるが、国の玄関先や公務員ですらこうなのだから、最低三名以上かのグループ、団体でなければ危険な現実がある。
ちなみに私たちのミッション(宣教支援母体)で派遣に行く時は、この原則を周知し守っている。それは素晴らしい守りだと私は思う。 ケパ


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