映画「復活」が上映中である。大方の評価もとても高い。けれども「玉に瑕」という表現で、「キリスト役の俳優がアラブ人では、いかなるものか?」と言うのがある。アラブ人とはイスラム教徒(ここではムスリムと表現する)の間接的表現である。映画が始まるだいぶん前にこの情報を目にした時、「まさか、ね」だったが、上映されている最近も広まっているようで、コメントにも見ることがあった。イスラム教の知識が少しでもあれば、いかに俳優といえども破門覚悟でないと、キリスト役は絶対に引き受けられないはずだから、「あり得ない」はずだが・・・とどうしても疑問に思った。
実際に映画を観ての私の感じは、(アラブ人かどうかわからないが)彼はクリスチャンである、と言うものだった。確かに風貌はアラブ的である。しかしムスリムではあの演技はできない。たとえ演技でも、キリストの愛とあたたかさがはっきりと伝わってきたからだ。しかしそれでも「アラブ人」という見方が払拭されないので、少し調べてみた。
彼の名はクリフ・カーティス。なんとニュージーランドの入れ墨で有名なマオリ族の出自である。そして映画ではチェチェン人の役もしているので、そこら辺の画像が流布して「アラブ人」の証拠にされたのかも知れない。マオリ族はアニミズム的な宗教を信奉している。そこで気になって調べようとしたが、英文サイトにしかなく、拙い言語力で翻訳してみると、彼はマオリ族ではあってもカトリック教徒の家庭の育ちであって、子どもの頃は、教会のミサで白い服を着た従者をしていた、と。これはかなり熱心なカトリックの出ではないか。そして彼の体に入れ墨がないのも当然である。クリフは子どもの頃からキリストの役をしたいと熱望していた。演劇学校を自国とスイスで終え、数々の映画に出演し・・・それで映画で幾度か見かけたことがある・・・今回のオファーが来た時、五十少し前でしかも非白人の自分が、キリスト役を演じられることを心から喜んだ、とある。かれはこの映画のために、キリストになりきるために、家族と四十日間別居してまで心を備えたらしい。
この映画は史実に忠実たらんと徹底している所が多い。復活という常人には信じがたいこと、しかも事実をテーマにしているのだから、当然の態度かも知れにない。そのこだわりはイエスをジーザスでなく当時の言語であるアラム語で「イエシュア」と呼ばせたり、従来長髪の白人で描かれてきたキリストに多国籍俳優のクリフを抜擢した。なぜなら当時のユダヤ人は現代人が思い浮かべるアシュケナージ(白人)ではなく、スワラディ(背が低いアジア人)であったことがほぼ定説だからだ。
事実は真逆であった。これは私の想像であるが、このような風評が流布した背景には、クリフのキリストに対する人種的な偏見があったのではないか、ということである。キリスト教は西欧社会のもので、これまで数々の絵画、映画にもイエス・キリストはすべて白人として描かれていた。舞台設定はアラブ風にし、民衆もそのようにしても、キリストだけは自分たちと同じ白人・・・その概念を打ち破られたくなかったのではないか、と。情報がネットでは様々に流布される。
しかしその情報に流されず、私たちは自分の見たこと、感じたことを土台に判断しなくてはならない。クリスチャンの場合は、聖霊が内住し、(実際の生の声は少ないが)聞くことができる。世に流されてはならない。神に従って真実を求めよう。クリフが演じたキリスト、かなり多くの部分、「さもありなん」と私は同感する。この映画の価値を風評で損ねてはならない。 ケパ