明日はカンボジアの孤児院の子どもたち九人が日本にやって来る。私は最初、2004年の8月に四週間にわたって一人で孤児院を訪れ、その生活をつぶさに体験した。その後の2012年にも、今度はドルカスと一緒にチームで、短期間再訪もした。その間、子どもたちはみな大きくなり、今では私の身長を越す子もたくさんいるらしい。この子たちと日本で再会できるとは、本当に嬉しいことだ。(下はその時のもの)

孤児院への最初の訪問では、私は外からやって来た外国人のおじさんで、英語も、もちろんカンボジアの言葉(クメール語)もできないので、ただ一緒に遊んだり、食べたり、小さい子は抱き寄せたりし、とにかく体を動かしてのコミュニケーションをはかった。当時私は教師をしており、孤児院で少しだけ日本語を教えもしたので、「ロックロー」と呼ばれた。意味は「先生」という意味のクメール語だった。

その時の私の一番心に残ったことは、日本の子どもたちとカンボジアの子どもたちの笑顔の違いである。小学校教師であるからして、いつも子どもたちは接しているわけで、笑顔にはものすごく驚いた。カンボジアの(多分、孤児院の)子どもたちは、どうしてこんなに明るいのだろうか。日本の孤児院(児童養護施設)も若い時分に訪問したこともあるので、その明るさの違いは明瞭であった。
これはおそらくどの子も二、三歳のころに、父親が無理心中を図って鉈で妻である母を殺し、幼子の頭部を今も残る傷をつけ、ついには自殺したシナーとか、酒代に幾度も父親から売られ、代価を払いもせずに連れ戻し、また酒のために売る、これはキャンとカイ兄弟の父親の話であったが、こような実に深刻な経験をしてきたせいではなかったろうかと思う。彼らはこの恐るべき境遇から解放され、愛ある日本の手の中で、笑いで満たされるようになった。今ではミッションスクールに通って大学進学を実現させるまでになっている。一見して非常に不幸せな境遇が、本当に素晴らしい笑顔の境遇の土台なのではないか、と。
人間の幸せ、不幸せについて、深く考えさせられることではあった。
ドルカスと行った時は、期間が短く、その他大勢の一員だったこともあり、一人で訪れたような濃厚な交わりはできなかった。ただ彼らは皆、ミッションスクールの中・高等学校の生徒であって、家庭訪問よろしく、その教室を見て回ったりして一層の理解を深めることはできた。 ケパ

孤児院への最初の訪問では、私は外からやって来た外国人のおじさんで、英語も、もちろんカンボジアの言葉(クメール語)もできないので、ただ一緒に遊んだり、食べたり、小さい子は抱き寄せたりし、とにかく体を動かしてのコミュニケーションをはかった。当時私は教師をしており、孤児院で少しだけ日本語を教えもしたので、「ロックロー」と呼ばれた。意味は「先生」という意味のクメール語だった。

その時の私の一番心に残ったことは、日本の子どもたちとカンボジアの子どもたちの笑顔の違いである。小学校教師であるからして、いつも子どもたちは接しているわけで、笑顔にはものすごく驚いた。カンボジアの(多分、孤児院の)子どもたちは、どうしてこんなに明るいのだろうか。日本の孤児院(児童養護施設)も若い時分に訪問したこともあるので、その明るさの違いは明瞭であった。
これはおそらくどの子も二、三歳のころに、父親が無理心中を図って鉈で妻である母を殺し、幼子の頭部を今も残る傷をつけ、ついには自殺したシナーとか、酒代に幾度も父親から売られ、代価を払いもせずに連れ戻し、また酒のために売る、これはキャンとカイ兄弟の父親の話であったが、こような実に深刻な経験をしてきたせいではなかったろうかと思う。彼らはこの恐るべき境遇から解放され、愛ある日本の手の中で、笑いで満たされるようになった。今ではミッションスクールに通って大学進学を実現させるまでになっている。一見して非常に不幸せな境遇が、本当に素晴らしい笑顔の境遇の土台なのではないか、と。
人間の幸せ、不幸せについて、深く考えさせられることではあった。
ドルカスと行った時は、期間が短く、その他大勢の一員だったこともあり、一人で訪れたような濃厚な交わりはできなかった。ただ彼らは皆、ミッションスクールの中・高等学校の生徒であって、家庭訪問よろしく、その教室を見て回ったりして一層の理解を深めることはできた。 ケパ