ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

一度は死を覚悟した

2019年03月18日 | 証し

今日の夕方近く、突然に電話が鳴った。それは月刊誌「🌈雲の間にある虹」からで、以前それに載せていただいた私の記事の号を「今、大量に処分しようとしている。欲しくはないか?」と言うものだった。おまけにそれは私がいくつか書いた記事の中でも、その号だけ在庫が少なかったもので、即座に「喜んでいただきに伺います」と答えた。

それは「結腸ガンの疑いからのいやし」と題したもので、その内容をかいつまんで言うと、検診の結果、大きなガンを疑われ、急遽、確認のための内視鏡検査を受けたあらましである。※2010年11月号 手元に在庫がある限り、無料でお渡しします。

 

この時私は、こんなに大きなガンが急速にできたのであれば、生存にあまり希望は持てないなと思った。それで祈った。「神さま、私は天に召されて行くのでしょうか。それならそれで構わないのですが、あなたからいただいている使命、教会の牧師として立ちリバイバルの使命を果たせ、が未だです。更にドルカスに約束した二人一緒に携挙されよう」が果たせなくなるのでしょうか」と。

結局この時私は、死を現実に覚悟しながら、「天国へ行ける」喜びの方が自分を強く支配し、恐れに優っていたことに自分自身驚いた。愛する父の元に行けるという喜びと平安があったのだ。死の苦しみがあったとしても、それは生みの苦しみ、いっときのものだ。

 

内視鏡検査は別室で数人の医師が見守る中で行われ、私もモニターを見ていたが結果的には全くの異常がなかった。あのレントゲンの大きな腫瘍らしきものはいったい何だったのか?信じられないほどの結果だった。

翌日のこと、この結果をP牧師に問われた際、聖霊が私を強く促したため示しを告げ、使命を果たすための「マケドニアの叫び」牧師派遣第1号となった。後で考えてみると、それを実現させる絶妙なる神の計画、マケドニアの叫び、レントゲン写真の取り違えとしてしか理解しようのないものであった。

この経験で、クリスチャンは死を恐れるどころか、血肉の体の制約からの解放を喜ぶという体験をしたし、もし命がこれからもあるのであれば、使命を果たすために宣教に立つようにと示され、この船橋に牧師として即座に派遣される成り行きになったのだった。

 

定期検診とそれからを、神様は実に絶妙なタイミングで、その計画を進めてくださった。そのことを思い出し、畏れ、主を褒め称える。

 

†「たとえ私たちの地上の住まいである幕屋が壊れても、私たちには天に、神が下さる建物、人の手によらない永遠の住まいがあることを、私たちは知っています。私たちはこの幕屋にあってうめき、天から与えられる住まいを着たいと切望しています。

コリント人への手紙 第二512節聖書 ©2017

 

 

ケパ

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