ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

変わって行く時代に求められるもの

2019年04月11日 | 示されたこと
「私は武士の娘です」は「まんぷく」で祖母役の松坂慶子の決めゼリフだった。以前ブログでこのことを言ったが、もうこの国には身分差別があったことなど、実感が無くなったということだろうか。
 
最近「七人の侍」という黒澤映画を観て、改めて時代の違いを感じてしまった。この映画には〈長老〉が出て来て、村人の話し合いで結論が出ない時には、その指示に全員が従うのだ。
映画で長老は、かつて野武士軍団の被害に遭わなかった唯一の村を例に出す。長老の指示はその村を例に取り、戦いに長けた武士を集め、村を襲う野武士と戦うことだった。
姥捨(うばすて)山でも、姥捨の名に背いて孝行息子たちに匿われた祖母が、隣国がふっかける難題を見事に解き明かす。「灰で縄をなう方法」などなど。老婆は見事に答えて功を挙げ、殿様の姥捨令を撤回させるのだ。
しかし今の時代にはインターネットがある。人も知恵も、みな指先一本でググると得ることができる。これでは老人の知恵など、尊重されなくなるのが当然ではないか。
老人大国の日本の年寄りがリスペクト(尊重)されなくなっただけではない。姥捨山のごとく、生きていけないほどの少ない年金では、死ぬまで働き続けるか、すべてを処分して保護を受けるしかない。しかし働こうにも高齢者の職場は限られ、不安定で計算が成り立たない。
時代は変わった。高齢者は自らの努力で生きていくしかない時代となった。その中で老人ゆえの知識はインターネットにとられたとしても、長い経験の中で培われた知恵はデジタル化できるものではない。引退し、ただ死を待つのではなく、最後まで働いて、若い人たちに生き様を見せて行くのも良いのではないだろうか。そのように肯定的に捉え、後に続け、とばかりに立ち向かう必要がある。(プロテスタントをはじめたルター)
 
特に信仰の世界においては、この「生き様」を若い人に見せることが、決定的に重要である。血肉の命を超えて「私たちの国籍は天にあり」(ピリピ3:20)と告白することである。
 
 
 
ケパ
 
 
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