
こんなにたくさんの八重桜を見たことがなかった。ソメイヨシノに比べればかなり濃いいピンクで、咲く時期も少し遅い。そして落ちて来る花びらも、重さがあることだ。
特徴的なのは、ソメイヨシノなど他の桜と違って、満開でもわずかに若葉がすでに顔をのぞかせていることだ。(さすがに今日は小雨の中、ほとんど散っていた法典公園、八重桜)

ここ船橋市法典公園はサッカーとテニス専用の施設で、テニスコートだけで13面ある。と言うことは、私が1番来ることの多い場所である。ここにこの、八重桜が咲いている。どちらかと言えば私もソメイヨシノ派だが、ここの濃い目のピンクも艶(なま)めかしくて、これもまた変化形で良いんじゃないかな、と思う。
そして、この桜がこのように散って思わされることに、
「人々はまた高いところを恐れ、道でおびえる。アーモンドの花は咲き、バッタは足取り重く歩き、風鳥木は花を開く。人はその永遠の家に向かって行き、嘆く者たちが通りを歩き回る。」(伝道者の書12章5節 新改訳©2017)
の言葉を思い出す。
これは中学1年で習った平家物語の「諸行無常」と通じるものがあるのだが、全く違うのは、そうだからこそ①汝の少き日に汝の造主を記えよ(これは15歳、初めて伝道所に行って、その入り口に飾ってあった聖句で、この12章1節にある)、②いつさばきの日が来るかわからないから、だから③神を恐れよ、神の命令をまもれ。これが人間にとってすべてである(同 13節)
と今、神を信じることの大切さを推し勧めていることだ。仏教的な、ただ虚しさにしたるだけではないところが大違いだ。クリスチャンには希望がある。
ケパ