ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

悲惨な事件に自分を重ねて

2019年05月28日 | 随想
今朝の7時45分に起こった川崎市登戸の殺傷事件、12歳の女子児童と保護者たち2名の犠牲者を出し、そのほか残り15人も大怪我を負った。
実に計画的な犯行で残忍な犯行だ。永遠のいのちを持たない人々のやることは、本当にゾッとする。犠牲者の方々に対して、あまりにもお気の毒で言葉も無い。
 
ところで犯人は51歳の男だそうだ。それを聞いて、私も51歳の時に自棄のやんぱち・・・自暴自棄になって、破壊的な計画を思い立っていたことを思い出した。道連れに他の人の命まで巻き添えに、とは思わなかったが、本当に取り返しのつかない愚かなことをしかねない状態だったことを思い出す。
 
なぜか? その3年前に家族は遠隔地に別居し、代わりにアルツの母の介護に立ったのだが、その母が2年すると施設に入れてしまった。それから1年、私は実家の広い家に一人で暮らすようになり、自分の生きる意味まで見失ってしまったのだ。
 
信仰もその御体(みからだ)である教会を失って何年も経っていた。そして私を必要としてくれる家族も介護も、その時には全て失ってしまっていた。どんなにカラオケを歌って憂さを晴らしても、ますますやるせない思いが募るだけだった。
 
また、50歳を過ぎれば、人生の見通しもつく。身体も容姿も衰え、仕事は先が見え、家族も居ないとなれば、いったいこの先に何の希望があるのだろうか? 無い!
だから一度すべてを壊したくなって・・・抑え我慢してきた肉欲、放蕩をリリースし、極める。その結果なんて、もうどうでもいいじゃないか、悲しむ者も居ないのだ、と。
 
今回の登戸殺傷事件の犯人の心境も、似ていたのではないだろうか、ふとそう思うのだ。
私の場合は、それを実行しようとしたその時、神が介入してくださり、ストップをかけてくださった。あまりの自分の本性の罪深さに、泣き崩れて悔い改めるしかなかった。
 
自分の本当の罪深さを悔い続けていたその時、神はご自分を現わされ、私に語りかけてくださったのだった。
 
ああ、神が私を憐れんでる下さらなかったら、そう思うと冷や汗と感謝、その恵みの大きさに心が震えるばかりである。
 
 
 
 
 
ケパ
 
 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする