今晩、船橋は夜霧に包まれた。年に数えるほどの、霧が珍しい。
私は毛利元就の居城の地、安芸の広島は吉田で育った。土師ダムが出来るまでは、吉田は実に霧の深い地で、夏など毎朝九時近くになるまで、深い霧の中のあった。視界がわずか数メートルしかない霧なので、車を運転するようになるとひどく困った。自転車ほどのスピードも出せないからである。
雪は私は嫌いだ。雪解けの季節になってその醜悪さにうんざりする。だが、霧は好きだった。深い乳白色の霧の中、高校までの道のり、そばを何人かが歩いているのはわかるのだが、誰ともわからずに皆が影のように歩き、教室に入る。また、その途中の狭い道、道の反対側の足音や影が、ひょっとして意中の女の子なのかも、とワクワクして歩いたことも懐かしい。
船橋の霧は薄くてそこまでではない。つい、育った他の深く白い霧を思い出し、そんな秘密性とか意外性があって、それがなぜか心地よかったことを思い出す。
ケパ