絵本「百万回生きた猫」をご存じでしょうか?佐野洋子さんの絵本で、結婚前、長崎の絵本館で見つけ、私がドルカスに読み聞かせてプレゼントした本でした。もちろん彼女は・・・・大ファンになってくれました。
きょうあるペットショップで、その絵本の主人公の猫そっくりの猫に会いました。うっとりと見ていたら、店員の人が承諾もなく猫をドルカスに抱かせました(写真)。たまらない顔をしてドルカスは猫を抱き、猫の方もまったく緊張するでもなく、人なつっこくドルカスを見上げています。
ところが我が家は「派遣」が多く、何泊も留守をします。飼えない事情があるのですが、ドルカスは大の猫好き、そしてきょうの出会い・・・・私の強力なライバルの出現なのでしょうか(^_^;)。さあ、ドルカスは飼うのでしょうか?それともあきらめるのでしょうか?結果報告は、「一晩祈って」からの、明日になりそうです。 (ケパ)
電車で通うようになったのは、何年ぶりの事だろうかと思う。中学一年生だった13才の時から約2年、きわめてローカルな国鉄の単線で、しかも蒸気機関車での通学経験しかない。思い出すのは夏などトンネルに近づくと、あわてて窓締めをしたものだ。だから正しくは汽車通学だった。
半世紀近く経って再び電車通勤。しかも丸の内線や東西線などの首都メトロの乗り継ぎである。対比が著しい。
これは一個人内でのことだが、年代差、とうぜん乗り物差、ロケーション差、混雑差の差がきわめて大きい。しかし、実際のところ、そんなに違いを感じてない。今も昔も、どんなに設定が違おうとも、所詮見知らぬ人同士が密室に乗り合わせ、ひと時をともに過ごす。顔見知り同士であれば話をするし、迷惑な酔客が居る。違うのは国際化で外国人客が普通になった事だ。
ただ非常に違いを感じることが一つだけある。化粧をする乗客がいることだ。妙齢の方がいきなり道具を出し、 まつ毛をカールしたり、おしろい塗ったりの一通りのことを鏡を見ながらする。これは恥ずかしいことだと思う。まったく私的な空間と化している。今日もそんな人がはす向かいに居たので、それならと、ちょうど電気シェーバーを持っていたのでひげそりをしようとしたら、妻は腰を浮かし逃げ出そうとした。ついでに歯磨きをしたいと思ったのだがこれも断念せざるを得なかった。車内中がそうなったら、とついわたしは想像するのだが・・・・。(ケパ)
昨日の午前中ケパさんが出かけて留守の時間帯 「あっ!留守の間に、主婦しよ^^」と思
い、聖書を広げる代わりにアイロンを広げた。自慢ではないのだけれど、久々のアイロン掛けだったのです。なぜって、アイロンを広げる場所がなかった事と、家にいる時、私の時間の優先順位が最後尾に近かったのでした。洗濯の干すとき、「ぱんぱん」と、叩いてシワを最小限にし、何とかアイロンをかけなくてもよい状態のYシャツで、ケパさんには我慢してもらっていたのでした。ですからアイロンを出して久々のこの作業が楽しくて、せっせとYシャツにアイロンをかけたのです。気持ちがよかったぁ そして、ブログ記事かな、と言うと「それ恥ずかしくない?主婦として」と、助言があったので、それもそうねと、ブログに書くのは止めたのでした。
今朝、寝室でケパさんが呼ぶので行くと、「困ったぁ・・どれから着ていいの?全部アイロンかかっていて、クリーニングしたみたいで、着れないよぅ。」
あれ~ それって私の主婦の仕事を褒めてくれてるのぅ。 でもおまけの「いやー これからも、とは期待しないけれど、ありがとう!!」って。 ほとんど牧師と行動を共にする毎日ですので、確かに主婦業が疎かになってしまう。ですからアイロン掛けは時々と言うことで、我慢していただきましょう。 (ドルカス)
今日は都営の大江戸線に乗った。中野坂上駅から勝どき駅までの乗車だったが、ほぼその乗車中、写真のような光景に出会った。席が空いていても都営地下鉄の職員は、手を重ねて直立不動の乗車姿勢である。そして大人数の移動のためか、4人ぐらいできちんと正方形に乗車口の広い所に立っている。さぞ都民の批判にさらされての、少し過酷なまでの職場
規律なのだろうと察して、もと公務員として同情が湧いた。「これぐらい当たり前」と思われる向きもあるだろうが、夫や父がこうしていたら、と考えていただきたい。
子どもの頃は父が役場に勤めていたので、お小遣いが不足したら母に10円、祖父に10円とかき集め、それでも足りないなら父の職場に行って10円とせびっていた。庁舎では大人たちがせわしく働く中、子どもはどこにでも行くことができた。そしてどこででも声をかけられ、相手してもらえた。今では考えられないが、そんなゆとりがあった。公私のけじめ厳しい時代は、単純に良くなったと言えるのだろうか?このようないささか過剰に感じる規制を強いられ、互いのゆとりの心を失って行き付く先に何があるのだろうか?(ケパ)
「ふと気がついたら、身近な所にあった」青い鳥のような、そんな経験をするとうれしい。
結婚して小さなことから、二人の一致を感じ、みこころを確認したことがある。控えめな趣味なのだが、二人ともカバンが好きだったのだ。
一昨年だったと思うが、某県立美術館の売店で小さなショルダーバッグを手に取った。工房「おのみち帆布」と誇らしくラベルが取り付けてあって、「なんで帆布らしき(ありふれた)ものなのに・・・・?」と疑問に感じながら、とにかく、しばらく試用してみることにした。
今まで皮革にしか関心がなかったが、使ってみて「肌になじむ丈夫」さに惹かれた。たしかに雨にも傷にも強い天然素材だ。古くは大勢の命をあずける帆に、その時代が終わっても仕事柄運動会のテントでお馴染みのものだった。そういえば2千年も前の使徒パウロもテント職人だった。材料は綿布なのにどうしてこんなに強いのか、その秘密を調べると、「これはすごい!」と納得。時を超え、人々の知恵が込められていた。
今回偶然妻が見つけた特産市で、願っていたタイプの帆布カバンを見つけた。メーカーは米沢の「牛や」。祈って祈って、そして与えられたのがこれです。帽子はオマケ。感謝です。
以前教会 オフィスがあるビルのまわりは、椋鳥が多いことを書きました。今日はたくさんの鳩が船橋駅前のデッキに集合しているのを見かけました。この辺り、ずいぶんいろいろな鳥が多いようです。写真でもわかるように、集団で日向ぼっこをしているようで、じっと動きませんでした。これら鳩がたくさん生きていけるのは、きっと大量のえさが駅近辺からもらえるからでしょう。
聖書での事ですが、大洪水の終わりごろになって、箱船のノアは鳩を放して水の乾きを見ました。キリストのバプテスマ時には、聖霊が鳩のように下っています。このように鳩との関係が深いのですが、わたしは鳩が苦手です。
なぜなら昔のこと、広島の平和公園に子どもたちを引率して木陰で休んでいると、その木に鳩が大量にとまっていたのです。鳩が一斉に飛び立った瞬間、雨のように上から降ってきました。大量の白い糞が・・・・・。下で休んでいたわたしはどうなったでしょうか?以来、「君子、危うきに近寄らず」適当な距離感を実践しております。(ケパ)