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ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

いよいよカンボジアチーム

2018年09月21日 | 派遣
来週から、カンボジアチームが遣わされる。

カンボジアチーム


始まったこのブログから、チーム参加者はだれ?と20名を想像している。
今回はGiftsが参加し、他にもパトリスなど、賛美チームがメンバーにいる。そして最後に入られたのは関西の森さん。

メンバーと一緒にアイススケートorボーリング、みんなが大好きなBBQ。
そうそう、海にも行くのよね。
そして夜には孤児院で聖会。今回も洗礼式あるのかな。

カンボジア聖会はオンラインであるだろうか、楽しみですね。

大きくなった子供達を思いながら、執り成し隊で参加します。

ドルカス


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ベトナム戦争と報道

2018年09月20日 | 本・知識
今はインターネットのおかげで、ニュースや情報は取捨選択できる。ただし、どのニュースが正しいか、見分ける目が大切になったが。

しかし今から20数年前は違った。私の見方ではウィンドーズ95が出る前の時代、多くのニュースや情報は大手新聞社の系列か、またはNHKに独占されていた。それがどんなに偏っていたとしても、何しろそれしか知り得ないのだから、批判の材料なく、巨大情報メディアの言いなりである。お隣の中国が自由なGoogleなどを締め出し、百度(バイドゥ)で情報統制しているのはこのためである。だから大手新聞社の彼らは、政府権力に次ぐ、当時は第2の権力者であった。

ベトナム戦争が終結したのは- 1975年4月30日だった。その日、その時、私はちょうど大学卒業して1年あまり、社会人の2年目に入った直後だった。
私はテレビで観たサイゴン(現ホーチミン市)陥落の様子を忘れることが出来ない。不思議だったのは、戦いの主役であったはずの南ベトナム民族解放戦線(通称ベトコン)の姿は一切なく、赤旗を振りながら戦車に乗った北ベトナム正規軍の姿ばっかりであったことだ。

少ししてその謎が解けた。それまでの20年近く、某大手新聞社らが報じ続けてきた南ベトナム民族解放戦線は、実在しなかったのだ。実態はすべて北ベトナム軍であって、共産主義やゲリラ特有の、西側マスコミを味方につけ戦いを有利に進めるための宣伝工作だったのだ。ところがこの私は、北ベトナムの南への侵攻だとは全く思わず、腐敗した南ベトナム政府に対して、その民衆たちの抵抗運動だと思わされていたのだ。南ベトナム民族解放戦線はそのように謳っていたはずなのだ。

おそらくこの宣伝工作に、最も引っかかって有効だったのが日本の大手新聞社だったのではないだろうか。しかし如何に愚かでも、早晩正体はバレていたはずで、20年近く最後までそれを訂正しなかったと言うのは、最初からの確信犯であったと思わざるをえない。
その偏向報道の流れに乗って学生運動をした私たち若者たちは、私を含めて本当に哀れである。中には検挙されて前科が付き、一生を台無しにした者も多かったと思う。

しかしベトナムで起こったこの1975年の事実すら、某大手新聞社は北ベトナムの正義が勝ったような慶祝扱いに終始した。自分たちが流し続けた南ベトナム民族解放戦線の真実、それを一切読者に知らせず、謝りもしなかった。権力を批判する権力社は、恥も良心もなかったらしい。どうしてそのような新聞社が大手を振って今も存在できているのか、実に不思議だ。

日本人には判官びいきというのがある。事の真実はどうでも、とにかく弱い者に同調し、味方する。ゲリラ戦の必勝法は、だましなどのような、どんな手を使ってでも、マスコミに同情させ、報道させ、自分たちの支持者を増やす戦い、情報作戦が成否を分ける。もともと力が弱いからゲリラ戦をしているのだし、西側世界の最大の弱点は報道の自由であって、真実は相対化されなかなか伝わらないことだ。ゲリラはそれが狙いである。

今でもISなどの情報作戦がどれだけ効果的かは論を待たない。この情報作戦が日本で非常に成功している例は、私はハマスであると思う。ハマスとはイスラエル南部海岸にあるガザを実効支配している自治政府のことだ。今の日本では、イスラエルは悪で、ハマスはかわいそうと言うのが通り相場だろう。(赤い所がハマスが支配するガザ地区。離れた所でヨルダン川西岸にパレスチナ自治政府がある)

昨日もNHK番組ではガザの女性起業家を日本に招いて、ソーラーパネルでその支援をしようとしている番組があった。電力に事欠く生活を、ガザの住民がなぜ強いられているのか? NHKはうまくその根源を避けていたが、イスラエルは分が悪い。ところが同じ状態にあるはずのパレスチナ自治政府(ヨルダン川西岸地方)では、一切電力状態は困窮していない。この根源である真実は、ガザを支配しているハマス自身にあるのだが、事情にうとい日本人は、あべこべに理解している。

情報は両方からとるのが基本である。ハマスの宣伝工作の目的とはこうだ。強いイスラエル軍が戦闘機などで、弱い一般人を無差別に攻撃し、子どもや女性を殺害している。「こんな非道なイスラエルを許すな!」と、全世界の人、国々がイスラエルに怒り、その応援団でイスラエルとの交渉を有利に進めたい。

以前よく流されたニュースに、イスラエル軍戦闘機がガザ地区の一般家屋に対し、ミサイル攻撃をした。(それがどうして一般人の家屋なのかは問われず)ガザ地区は、このような悲惨な状態にありますと、いたいけな子どもが傷つき運ばれている現場の映像を流しながら伝えるものだ。それを観させられる人々は、当然イスラエルへの敵意を持たされる。

これには訳がある。ハマスのミサイル攻撃は、一般人家屋だけでなく、時には病院とか学校、民家がよく選ばれる。そこには犠牲となるべき家族や人が住んでいる。西側の報道機関は、その時間になると待機させられ、イスラエルの攻撃直後に即座に現場に連れて行かれる。凄惨な現場では、どんなにイスラエル軍がひどいことをしたか、全世界に報道して下さいと言うわけだ。

これには周到な一つの仕組みがある。記憶間違いでなければ、「ハマスの息子」という本でそれは明らかにされていた。ハマスはまず犠牲者を選ぶ。日頃からハマスにあまり協力的ではない人々が選ばれる。選ばれた彼らの住むその住宅から、上空をパトロールするイスラエル軍機に向けて対空ロケットが発射されるが、家族が逃げることは許されない。逃げてハマスに撃たれて死ぬか、それとも名誉の殉教をして死ぬかが唯一の選択だ。運が良ければ生き残れるかも知れない。

攻撃を受けたイスラエル軍は発射先に向けて、当然反撃する。すると直ちに西側の報道機関が、ハマスに案内されて凄惨な現場に到着するわけだ。仕組まれ、お膳立てができているニュースを西側の記者達は、自国のメディアに流すわけだ。
これは一石二鳥の効果がある。つまりハマスに非協力的な態度を取るとこうなる、と見せつけて脅し、何も知らない西側世界の人々を見方につけることで、軍事ではかなわないイスラエルを追い込んでいくものだ。典型的なゲリラ戦の例である。

このような報道を、何も知らされない判官びいきの日本人は、「イスラエルは悪。気の毒なガザの人々を助けなくっては」と善意で行動する。まさにそれこそが作戦の成功なのだ。ある意味、このような効果が報道によって為されるからこそ、カザの人々はハマスによって殺され続けて行くのだとも言える。恐ろしいことだ。

いいですか。わたしは狼の中に羊を送り出すようにして、あなたがたを遣わします。ですから、蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい。」(マタイの福音書10章16節)



ケパ



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感謝な事〜

2018年09月19日 | 感謝
いつかこの数字が来ると願ってました。
ケパドルblogのアクセス解析。

PV (閲覧数〕500超えた時に、IP(来訪者)200人を超える時が近い。その日が来ますように、blogが、持ちいられるように〜と祈った。

2010年10月から、コツコツ2人で日々の事など綴り続けることが出来た。
まずは、10人も見てくれる人はないだろうと思いながら毎日続け〜〜
感謝なことです。

とうとう超えたよ。来訪者200人
ハレルヤ〜〜

さらに続けてますよ。
これは、船橋教会の歩みの記録でもあるからね。
愛読者の皆様。さらにお祈りと、応援とよろしくお願いします。

ケパさんとドルカスは、まだまだ書き綴ります。ハレルヤ


ドルカス




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秋刀魚

2018年09月18日 | 食べる
今朝、ニュースで北海道東部沖で漁獲された秋刀魚が、銚子漁港に水揚げの様子を見た。

魚船横付けに、大型クレーンで持ち上げられた漁獲網が、トラックのシートの上にザザザーと山積み。

銚子に行った事思い出しながら、今日は行きつけのスーパーに、秋刀魚が並ぶぞ〜〜と、

今夜のメニューはこれかな〜〜
焼き魚は骨が嫌だと、あまり食卓に並べないけど〜〜これを見たらね食べたくなる。

一匹では足りないと言うケパさんの声に三匹パックに持ち直して、秋刀魚三匹お買い上げなり〜


約束通りケパさんの皿には二匹並べて、いただきます〜す。
新鮮で美味しかった。。。食べた後にもあの嫌なゲップ出なかった(๑˃̵ᴗ˂̵)

ちなみに付け合わせは、かぼちゃの煮付け。これもケパさん大好きね〜

ドルカス



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人生で一番大切なこと

2018年09月17日 | 示されたこと
ほんの五日前、私は67になった。Facebookはそれを友達にバラまいてくれるので、何通かお誕生日祝いが来る。で、来たものに返事を書いた。

「何を書こうか?」思い巡らすと、どうしても次の言葉しか浮かばない。「生かされている限り、御心を行って行けるように祈ってます」と。

三日してメッセージのために聖書を調べていて、ふと次の箇所目に開かれたと言うか、ストンと 合点し腑に落ちた。これはFacebookで返事したことを、天のお父様がみ言葉をもって「O.K.」と裏づけてくださったのだと。(時々見るNKJV大判聖書 赤線を引いたshameに注意!)


1ペテロ4章1~2節】
キリストは肉において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉において苦しみを受けた人は、罪との関わりを断っているのです。
それは、あなたがたが地上での残された時を、もはや人間の欲望にではなく、神のみこころに生きるようになるためです。


確かに私が受けた試練=先の妻が精神の病になって十数年、最終的には、天に召された=ことも、今は最高に感謝することだ。渦中にいた時はどん底の暗く悲しい日々だったのだが、それがなければ今日の聖霊のバプテスマは無かったし、心の底から御心を行って行きたいと思う、心からの願いは起こりようがなかった。
こうして人生最悪は最高の益に変わった。十字架の死が神の勝利に大逆転したように、私の不幸せも最高の幸せに変えられた。

そして、このみ言葉の「もはや人間の欲望にではなく」の部分がきつーく入って来た。そうなのだ。「御心に・・・」「御心の・・・」ばっかり同じ言葉を唱えていても、相変わらず人間的な欲望に囚われ支配されていて、どうして「御心がわかる」のだろうか?

となると私の今の状況はまさに、神の配慮であることを知った。悔い改めなければならない。真に神の【もの】として立ち返らなければならないと思わされた。
ほむべきかな神。神の知恵は、人には図り難し。



ケパ




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メッセージは

2018年09月16日 | 教会のこと
今日のメッセージ箇所は

✝️2ペテロ 2章6節
聖書にこう書いてあるからです。
「見よ、わたしはシオンに、選ばれた石、尊い要石を据える。この方に信頼する者は決して失望させられることがない。」
新改訳2017

今日のデボーションからですね。

ドルカス



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今日も

2018年09月16日 | 教会のこと
礼拝が、始まりました


聖餐式です



ドルカス



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9月16日主日の朝

2018年09月16日 | 教会のこと

お早うございます
9月第3週の主日です。
今日もご一緒に礼拝参加しませんか?
今日は第4会議室です。オンラインが途切れませんように〜祈りつつ書いてます


ドルカス



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祈る事

2018年09月15日 | 祈り
主の十字架クリスチャンセンターでは、数年前から、「エルサレムの平和の為に祈る集い」を10月の第1日曜日行なっている。

この「平和の為に祈る集い」の紹介映像は👇こちら
エルサレムの平和を祈る


聖書詩篇 122篇には
エルサレムの平和のために祈れ。「あなたを愛する人々が安らかであるように。

と書かれています。
わたし達クリスチャンは祈ります。

更に、11月から新しい年と語られているこの群れでは、10月は一年を振り返り、良い事も悪い事も感謝して祈ります。

いつもの月より更に喜んで感謝して、沢山祈れることは、なんと喜ばしいでしょう。


昨年二人で参加したイスラエルチームでは、イエス様が再臨されるオリーブ山から旧エルサレムを見ながら祈りました。


いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

テサロニケ人への手紙 第一 5章16~18節

ドルカス




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映画「きらきら眼鏡」〜喪失感がテーマ

2018年09月14日 | 映画•映像
映画にはどのシーンも、身近に私たちが目にしている船橋の景色があって、あらためて親しみを覚えた。しかし実際に映画を観るまで、よくあるご当地映画に近いものだと思っていた。が、なかなかどうして、内容のあるお薦めできる良い映画だ。これは原作がしっかりしているためなのだ。だからこの映画はかなり良作に仕上がっている。(船橋だけ7日から。他地域は15日から)

(以下はWeb上のあらすじ紹介文である。)
愛猫を亡くし、喪失感にうちひしがれていた立花明海は、西船橋の古書店で普段は読まない自己啓発系の本を買う。すると、中に元の持ち主の名刺が栞代わりに挟んであり、明海が最も心を動かされたフレーズにはすでに傍線が引かれていた。気になった明海は意を決して名刺の「大滝あかね」に連絡をとる。
初版発行: 2015年11月22日 著者: 森沢明夫(下は原作の表紙)

この愛猫が映画では、三年前の海難事故で主人公の恋人が死んだことに置き換えられている。題名のきらきら眼鏡とは、《(悪いこと、つまんない日常でも)ものごとをキラキラ輝かしいもののように見る心の眼鏡をかける》という意味らしい。良いこと探しのポリアンナ物語現代版であろうか。

映画では、古本の持ち主だった女性(大滝あかね)の彼氏がガン患者だった。で、あかねは彼氏が死ぬかも知らない恐怖に備えようと、事故で彼女を失った明海に関心を持つのだった。どのようにして、喪失感から解放されたのだろうか、と。

この映画は死ぬことを恐れ、のたうつあかねの恋人。長年の恋人を失うことを恐れるあかね、すでに過去のことなのに、その喪失感に魂の抜け殻のように生きている主人公(明海)が絡み合う。

今の多くの日本人は信仰もなければ哲学もない。生きていることだけが全てで、不思議なことに、必ず死ぬのに死後のことは考えようとしない。
だから題名の《きらきら眼鏡》とは、最愛の人が死んでしまう喪失感に、どうやってこれから生きていけるのか、今にも壊れそうな自分を鼓舞し無理して、何とか踏み留まろう、支えようとしている姿なのだ。しかしそれは、所詮自分の努力では限界があって、次第にバレバレとなる。

この映画を観て、神を信じ、真に感謝することができる私たちクリスチャンの絶大な恵みを思った。クリスチャンは永遠のいのちを与えられ、今の命は天国のための準備のような時間なのだから。決して強がりではなく、死は天国への凱旋なのだ。また聖書にクリスチャンは「望みのない他の人(神を信じない人々)のように悲しまない」(1テサ4:13)とあるのは、天国でもとのように会える希望があるからです。
しかし信仰のないほとんどの日本人は、死が迫ると生にしがみつくしかない。それでも死は無理やり迫ってくる。その恐怖はどんなに大きいことだろうか。

生き残された人も、クリスチャンのように、また天国で会えるという希望がない。映画のように支え合える出会いがあればまだしも、だがそれも本当の解決ではない。ああ、主よ日本にリバイバルを❗ 日本人に本当の永遠のいのちが与えられますように。





ケパ







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