Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

ONE WORLD から東日本大震災へ

2011年06月19日 | Photography
「長島義明」をネットで検索すると「日本の芸術写真家」と出てくるが、彼の写真は芸術写真というより報道寄りのフォトルポルタージュ、あるいは写真に長いキャプションを付けることも多いのでフォトエッセイと呼ぶべきかもしれない。
わたしは長島氏の「ONE WORLD ONE PEOPLE」という写真集を若いころ見て、こんな写真の撮れる写真家になりたいと思った。
若き日の長島氏は世界各地の人間の営みをストレートな視線で切り取っている。
いまだにこの写真集はわたしの座右の銘だ。



いま大阪の西区にあるギャラリーTOONで「長島義明写真展 東日本大震災-津波、その傷跡」が開催されている。
きょうが最終日なので午後から見にいく。
ギャラリーの壁面に直貼りされた写真群は、累々とつづく倒壊した建物やガレキを克明に描き出し、まるで自分が被災地に立っているような幻覚におそわれる。
水たまりに浮かんだ真っ赤な草履に胸がつまる。
だがじっくり見れば見るほど、その異常な光景に現実感がともなわない。
3階建ての屋根の上に漁船が乗っていたり、道路の中央にひからびた大マグロが横たわっている。
凄まじい津波の威力にわたしの頭のなかがパニックを起こしている。
ことばが出ない。
この撮影はさぞかし苦しかっただろうと思う。

長島さんがいらっしゃったので、撮影の苦労話を聞く。
4月下旬から10日間で岩手・宮城・福島の13カ所以上の町や村を回って撮影したのだという。
被災地へは岩手県遠野の知り合いの家から毎日2時間かけて通う。
ガレキから発生する腐臭がすごいのだという。
テレビや新聞では臭いまでは伝わらないから、それは想像を絶するものらしい。
彼は来週からまたアフガニスタンへ行く。
世界を股にかけてきた長島氏ならではのフットワークの軽さは写真家の鏡だ。
この人のどこからこんなバイタリティが出てくるのか。
彼は現在69歳、偉大な写真家だ。

阿蘇で出会ったカメラたち

2011年06月18日 | Camera


今週のはじめ、J小学校の修学旅行で九州へ行った。
2日目と3日目に阿蘇の杵島岳に登ったときに、イケメンガイドさんが持っていたカメラはリコーGXRであった。
「シブいカメラをお持ちですね。そのレンズユニットはS10ですか?」と聞くと、P10だというのでシブさが半減した。
S10は24~72ミリ相当で、P10は28~300ミリ相当のズームレンズである。
28~300ミリという10.7倍ものズーム比は素人さんには便利に見えるものだが、じっさいに使ってみると300ミリなど使うことはめったにない。
望遠側は200ミリでも長いくらいで、120ミリくらいあれば十分である。
もし300ミリで撮らねばならないシーンがあるとすれば、それはすでに撮影者の立ち位置がまちがっているので、もっと被写体に近い場所へ行って撮るのが最良の方法だと思う。
でなければ、おそらくブレブレの失敗写真になるのがオチだ。

というようなことはいわないで、
「いやあ、そのカメラはなかなかマニアックですね」というとガイドさんはニコニコと嬉しそうだった。
たしかにGXRはレンズとイメージセンサが一体化したレンズユニット(リコーではカメラユニットと呼んでいる)が4種類出ていて、とくにA12という50ミリマクロの描写はすごい。
そもそもコンデジに50ミリの単焦点レンズなんてつくってしまうリコーという会社がマニアックだ。
だけど悲しいかな、AFが遅すぎて、イラチなわたしにはがまんできない。



ところでJ小学校の先生たちは全員同じカメラを持っていた。
ふしぎに思って聞いてみると、それは学校から配給されたものであった。
そのカメラとはリコーCX4(ブラック)。
全員配給というだけでもおどろきなのに、CX4というカメラ選びもすごい。
じつはこのカメラは先に書いたGXRのレンズユニットP10と同じレンズ、同じイメージセンサが入っていて、ざっくりといえば同じ写りなのだ。
ハイアマチュアをターゲットにしたGXRに対し、CX4はビギナー向けなのでマニュアルで露出を制御できないが、いろいろ楽しいフィルター類が入っているので、あそびで使うにはおもしろいカメラである。
わたしはCX3を使っているが、その写りの良さには一目を置いている。
ただあまりにも速いサイクルでモデルチェンジするので「リコーよ、お前もか」といいたくなる。
さて、CX6の発売はいつかな?

CX1 2009年3月発売
CX2 2009年9月発売
CX3 2010年2月発売
CX4 2010年9月発売
CX5 2011年2月発売

写真は自己確認だけでよいのか

2011年06月16日 | Photography
J小学校の修学旅行からへろへろになって帰ってきた。
日ごろジョギングで鍛えているつもりだったのに、自分の体力のなさを痛感する。
今週はK大学の撮影。
きょうは雨なので気分はのらないが、気分とは関係なく撮影は確実にこなす。
17時すぎにおわって帰宅し、愛犬アルタの散歩。
夕食のドッグフードを与え、わたしはふたたび出動する。

今夜は新北野にあるブルームギャラリーへ中村紋子さんのトークショーを聞きにいく。
19時の開会にぎりぎりまにあう。
約2時間、Bギャラリーの藤木さんとの対談のようなかたちで、中村紋子さんのお話を聞いた。
彼女は現在32歳。
プロの絵描き(イラストレーター?)として生計を立てながら、絵から派生した「ウサリーマンシリーズ」を写真でも制作し、ロンドンで写真展も行なったという。
以下、トークショーの話の要約。

幼少期から絵を描くのが好きで、14歳で芸術家になろうと本格的に絵を描きはじめる。
17歳のころ、絵を描く資料として写真を撮りはじめる。
写真はシャッターを押せば写るのでとても簡単。
今まで苦労して描いてたことがバカらしく感じるくらい。
10歳代のころ、死にたくなるくらい孤独感を感じていて、生きていることがいつも嘘みたいに感じていた。
頭のなかの世界を絵にしてきたけど、突然絵が描けなくなり、写真を撮ることが代替行為になる。
カメラで絵を描いている感覚。
写真のセレクト作業で、まず自分の表したい世界について文章を書く。
その文章と同じ感じになるように写真を組み立てていく。
写真を組むことは、その流れのなかで詩を書くようなものだから、一度組みあがった作品は(場所が変わっても)見せ方は変わらない。
10歳代のころ、どうしても描けなかったものを写真でやっと表すことができたので、今回の作品は自分にとってもう過去のこと。
これからも写真を撮っていくだろうけれど、作品にするかどうかはわからない。
たのしみとして撮りたい。



10歳代というのは多かれ少なかれ、だれでも自分の存在について悩み、猛烈な孤独感を感じたり、自暴自棄になったり、死にたくなるものだ。
それをどのように乗りこえていくかは人それぞれだが、なにかに没頭し、それが他者に少しでも認められるところから自分の居場所や存在価値を見いだしていくように思われる。
不謹慎な言い方だが、中村さんは17歳で写真と出会わなかったら、もうこの世にはいなかったかも知れない。
写真は人を救う力をもっている。
わたしのようなオヤジでも毎日のように写真に救われている。(ちょっと意味合いはちがうけど)
そういった自己確認のためのツールとして写真はとても簡単で、しかも第三者とのコミュニケーションもとりやすい。
同じような気持ちの人が見れば、写真は文字よりもよく伝わる。
ただしそういう気持ちに共感できない人には「読めない」こともままある、ふしぎなツールである。

だが写真表現というものは、自己確認ないしは自己実現のためにあるのではない。
写真はちっぽけな自分の頭のなかの世界を表す程度のものではなく、自分の外にある無限の世界を表すものだとわたしは考えている。
自分がそれを見てどう感じたかなんて、シャッターを切った瞬間にすでに織りこまれているのである。
ただただ目のまえの世界に敬意をはらい、写真家はシャッターを切りつづけなければならない。
そういう意味で、中村さんの写真はこれからの展開(があるのであれば)に注目したい。

霧の大観峰と杵島岳

2011年06月13日 | Life
修学旅行二日目。
きのうの雨はあがり、きょうの天気予報は曇りのち晴れ。
なんとか予定どおりのプログラムができそうだ。

午前中は3つのメニューをローテーションさせて活動するが、わたしは最初のクラスに同行して、大観峰の展望所で集合写真を撮る。
そのあと頂上までいっしょに登り、そこでスナップやグループ写真。
残念ながら濃い霧のおかげで外輪山はおろか、10メートル先も見えない。
いったん展望所にもどり、生徒さんたちはバスに乗って牧場へ行き、乗馬体験や馬の生態についての学習をする。
わたしは展望所で待機。
10分もしないうちにつぎのクラスがやってきて、集合写真を撮って再び頂上へ。
1クラス1時間弱のメニューだが、3回繰り返すとさすがに疲れた。

昼食をとり、午後からは阿蘇五岳の一つ、杵島岳に登る。
標高差わずか200メートルなので楽勝だと思っていたが、1組の先頭から3組の最後尾までスナップし、今度はうしろから追いかける形で先頭に戻るのはかなり骨が折れた。
生徒さんの2倍くらい歩いた気がする。
霧はさらに濃くなって、もう5メートル先も見えない。
まるで牛腸茂雄のような幻想的なスナップを撮りながら、一人で悦に入る。

登山口に戻ったとき、霧で頭の先から足先までびっしょりと濡れていることに気づく。
同時に悪寒がはしり、先週の風邪がぶり返したような予感。
宿舎にもどり体温を測ると、はたしてヤバい温度になっている。
だがこのあと部屋ごとの撮影と夕方の集い、さらに夕食が待っている。
しんどい素振りは見せずにとにかく撮りつづける。
食事のあとで看護師の先生に熱冷ましと風邪薬をもらい、自分の部屋へ戻る。
先生方には事情をいって、夜の打ち合わせをパスする。
でもあしたは這ってでも出ていかねば、大変なことになってしまう。

というわけで、もう寝ます。

雨の吉野ヶ里遺跡

2011年06月12日 | Life
きょうから3日間、J小学校の修学旅行で九州に来ている。
1日目のきょうは佐賀にある吉野ヶ里遺跡の見学と体験学習。
残念なことに、こちらは大雨洪水警報が出ていて、写真どころではない。
というか、きのう九州のどこかで避難勧告まで出ていたらしいから、この雨がいったいいつまで降りつづくのやら。

とにかく雨のしのげる遺跡の中とかやぐらの上などで待ち伏せして、やってきたグループを片っぱしから撮る。
あとは体験学習で土笛づくりと勾玉づくりの様子を交互に撮ってカット数を稼ぐ。
(この体験学習の場所が少し離れていて、傘をさして行かねばならないのがつらかった)

吉野ヶ里を出て、宿舎のある熊本は南阿蘇へ向かう。
途中、予想どおり警報のために高速道路に規制がかかっており、大渋滞に巻き込まれそうになったが、ドライバーが機転を利かせて渋滞のはじまる一つ手前の菊水ジャンクションで下道に降りる。
おかげで少し遠回りになったものの、約40分程度の遅れで宿舎に着く。

それにしても日本の地方都市の国道(県道)沿いの風景って、どこもよく似ているものだ。
走っていて、あれっ、これは和歌山かそれとも徳島か? というくらい既視感があってヘンな気分だった。
それは道路沿いに並んでいるコンビニやケータイショップやガソリンスタンドといった店が同じだし、それほど特徴のある建物もないからだと思う。
これから復興していく東北の町並みは、どうか個性のある町づくりをしてほしい。
日本全国みな同じでは、人も集まらないし、そうなると次の産業も育たない。

20時すぎに夕食を終え、しばし休憩。
あしたは阿蘇山でいろんな活動が予定されている。
なんとしても天気が回復してほしい。