7月3日後輩の墓参りに行ってきました。
:萬蔵寺
平成9年、45歳で逝った戦友、3つ下の後輩です。
練習後、いつも一服していたのが印象に残っています。
肺疾患でした。
葬式ではクラブを代表して「弔辞」を読みました。
命日は7月4日、(覚えやすい)アメリカの独立記念日と一緒です。
今年が17回忌、花があがっていました。
:戒名です
旧姓はS木、養子でT橋と改名しましたが、皆は”登”と名前で呼んでいました。
何をやってもできる、愛すべき後輩、学ぶことの多いやつでした。
(今日もいませんでした、多分パチンコ屋でタバコをふかしているんだと思います、合掌)
萬蔵寺の境内で見た「蓮」の花です。
ハスの花:(水連科)原産地インド、花ことばは「清らかな心」
『ハスの葉を帽子がわりに被せられ 父の生家を母と訪ねき』
【ラジオ深夜便 誕生日の花と短歌365日 鳥海昭子】より
お墓詣りにきていた、ご近所の妙齢の女性と「お墓詣り」談義に花を咲かせました。
「信心深いですね!」と誉められました。
お墓詣りをすることは、信心深いからすることなんでしょうか?
お墓参りは信心深いからする、薄いからしないといった事ではないと思いますが。
お墓を作る時に、「遠いところだとはお墓詣りもいけないね?」とは良く聞く会話です。
お墓と自宅の距離は、物理的な距離ではないと思います。
人の気持ちが、その距離を近づけたり、遠ざけたりします。
遠くても行く人は行くし、歩いていける距離にあるのに、行かない。
先祖を思う気持ちこそが、大事なんでしょうね?
この気持は、失いたくないし、子孫にも継承させたいと考えています。
:後輩の墓
この墓は、やはり平成19年54歳で人生を駆け抜けた後輩のものです。
飲みきれないほどの飲み物があがっています。
ビールが好きだったと、記憶していますが。
Yチャンと愛称で呼ばれていたやさしく、ユーモラスな愛すべき後輩でした。
ゆかいな性格で、「紀文」を”おでん”と読み、座を賑わしていました。
この種の話は、枚挙にいとまがないくらいあります。
海釣りが好きで、その意思をついで長男坊が建之しました。
いつも釣りに出かけた葉山の海、途中の道沿いの霊園に眠っています。
いいやつほど、早く逝ってしまうんですね。
:当家の墓
我が家の更新したお墓です。
月命日の20日前後、欠かさずお勤めに行きます。(配偶者にも感謝です!)
:亡父建之の墓
私の父は昭和30年、44歳で人生を全うし、彼岸へ旅立ちました。
昭和の初めに建之した墓は、痛みが進み、昨年更新しました。
墓石に数多くの戒名が刻まれていたので、あらたに「墓誌」も作りました。
その際、享年を刻む必要があったので、戸籍を調べました。
生まれ故郷の役所にアクセスし、戸籍を取り寄せての作業です。
(9名の故人のうち6名が判明し、残りの3名も後の調査で判明)
日本の役所「戸籍制度」は凄いと感心しました。
:家系図
副産物として「家系図」も作っちゃいました。
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最後にお釈迦さまのありがたいおことばを。
『雑宝蔵経=ぞうほうそうきょう』は、「仏説きたもうたに七種施しあり。
財物を損せずして大果報を得ん」として、七つの方法を示している。
一は「眼施」・・・やさしいまなざし。
二は「和眼悦色施ー=わがんえつじきせ」・・・慈愛に溢れた笑顔で人に接する。
三は「言辞施=げんじせ」・・・あたたかい言葉。
四は「身施=しんせ」・・・自分の体を使って人のために奉仕する。
五は「心施=しんせ」・・・思いやりの心を持つ。
六は「床座施=しょうざせ」・・・自分の席を譲る。
七は「房舎施=しょうざせ」・・・宿を貸す。
大きなことでなくともいい。人は日常のささやかな行いによって喜びの種をまき、
花を咲かせることができると釈迦は教える。
身近にできることの多いこと。
難しいことは一つもありませんね。
twins
6月21日みなとみらいに新しいshoping center がオープンしました。
『MARK IS みなとみらい』その4th 東京ガスのフロアーがあります。
みらいのスマイル展に twins も応募しました。
端に飾られていました(家はall電化だからかな?)
名前が逆に付いています。(わからないこともないが?)
7月20日まで展示されています。