今週は理由あって、登山は休み、過去の記録から皇海山と上州武尊山を紹介します。
2010年7月10~12日、梅雨の合間をぬって夜行1泊2日で皇海(すかい)山と上州武尊山へ
Ⓜmaitabi を利用した。
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7月10日 20:00出発、竜宮館に23:00着、翌日は5:30発、風呂も入らず就寝。
かっての皇海山に至るコースは「庚申講」がとった”修行の道”1泊2日の行程だった。
(皇海山は庚申山の”奥ノ院”)
足尾銅山(栃木県)から庚申山に登りそこで1泊、翌日鋸山の11の小さなピークを越えて、
一旦不動沢のコルへ下って、皇海山に登った。
皇海橋への林道の開通とともに、日帰りが可能になった。
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今日の行程は、 (標高差800m、約7km、約6時間)
竜宮館発 =不動沢登山口 ⇒不動沢のコル ⇒皇海山頂 ⇒往路下山 =花咲温泉旅館へ
5:30 晴天のなか、竜宮館を出発、林道を90分かけて皇海橋へ向かう。
未舗装の林道は揺れる、適度な揺れが、居眠りをさそう。
:登山口
7:05 皇海橋へ、「不動沢登山口」に着いた、不動沢沿いの道を歩く。
:不動沢
沢を右に左に渡りながら登って行く。
:ショウキラン(鍾馗蘭)
ラン科ショウキラン属の多年草、葉緑素を持たず菌類に寄生する腐生植物。
通年地下茎の形で成育し、7~8月の花期のみ花茎を地上に伸ばし、花を咲かせる。
鱗片状の葉を持つが目立たないので、地表から唐突に花序だけが生えた姿に見える。
花は美しいピンク色をしており、1週間程度で黒くしおれる。
腐生植物であり、光合成を行わず、菌根を形成し、共生により栄養を得ている。
名は、花の形を烏帽子をかぶった鍾馗の姿に見立てたもの。
:沢
二俣で休憩、ここからの登りは沢を歩く、急登、雨でもふればきつい登りだ。
天候に感謝する。
:滑る急登
沢を登って一安心と思いきや、足元が緩い急登が待っていた。
ロープもあるが滑る足元に気を使う。
:鋸山
9:05 不動沢のコルへ、視界が開けた、新緑がまぶしい。
庚申山からの合流点、右に鋸山が見える、11のピークを鋸の刃に例えたのだろう。
ここから山頂までは1時間の歩程。
:赤城山辺り
シラビソ・コメツガの樹林帯を木の根に注意しながら登る。
:青銅の剣(ネットより)
岩を越えると道は平坦になり、「青銅の剣」が立っている。
石碑には「当山開祖木村惟一」とある。
東京庚申講の先達で、庚申山から皇海山へ至る道を開いたとある。
:山頂
10:05 山頂へ、山頂は狭く、木立に囲まれ視界がないが、空はまさに、「ブルー皇海」だった。
:カラマツ林
往路を下山、不動沢のコル~沢まで下る急登は大騒ぎだった。
落石が頻発、幸い被害者はいなかったが、危険なタイミングはあった。
落石を避けるには、「登りは先頭を行き、下りは最後尾」そんな話をしながら歩いた。
:皇海山
13:10 無事下山終了、皇海山の山容が見えた。
木暮さんの考証によると、この皇海山はサク山という名で正保(1644年)の図にも
記入されており、その後の地誌類にも載っているそうである。
サク山は一名*笄(こうがい)とも呼ばれた。【*男女ともに髪をかきあげるのに用いる具】
コウガイの形をしているからであろう。そのコウガイが皇開と宛字され、それが皇海となり
皇はスメと読むから、皇海をスカイと読むようになったのだという木暮説である。
(日本百名山:皇海山より)
日本百名山 51皇海山完登
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上州武尊山に続く