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・・・⛄ 冬がやってきました ⛄・・・

栃木三峰山登山

2012年03月08日 | 関東百名山

栃木三峰山と星野の里へ行ってきた。

  栃木駅前にあるモニュメント

「路傍の石」を著した、作家山本有三氏は、栃木県出身。

 御嶽山の説明

栃木コミュニティバス「星野御嶽山」バス停で降り、倉本橋を渡って「永野御嶽神社」へ

 

神社境内に「セツブンソウ」と福寿草が咲いていた。 

 

拝殿裏の階段を登ると、祖霊殿に出る。ここから参道(登山口)を歩き始める。、

栃木三峰山は御嶽山(三笠山・烏帽子岳)・剣ヶ峰・権現山・三峰山(三角点)の総称。

御嶽山は急峻な修験参道なので、気楽なハイキングのできるコースではない。

標高は600m程度の低山にもかかわらず、過去に死亡事故が発生している。

M旅行の靴マークは2(登山初級)となっているが、3(中級)ではないかと思う。

いずれにしても滑落防止に充分な注意が必要である。

  

杉の植林帯を歩く、雨が多いのか?樹皮に苔が付着している。

整備された階段に変わり、登り切ったところが「清滝」落差は5m程度か。

空は曇っているが、気温は高く、蒸し暑い。

参道は石を積んだだけの急な階段になる、石が滑る、登りでよかった。

 

階段の左側には、「祠」が並んでいる。何のための祠なのか?

右側には行年と氏名が刻まれている、御嶽山信者の墓石なのだろう。 謎が一つ解けた。

幽玄な雰囲気が周囲に漂っていた。(凡人でよかった

 弘法大師

御嶽は 年、空海上人の開山と伝えられている。まさに神仏混淆の至近な例だ。

 

階段を登り切り、右へ行くと正面に岩が立ちはだかっている。

どちらでも行けそうだが、右は足元が悪そうな土だったので、左へ行った。

左へ登っていくと、アルミ梯子が仮設されている、登ると「三笠山大神」が祀られている。

しかもどん詰まりだ。戻ればよかったが、岩屋を左へ迂回し、登っていった。

 剣ヶ峰

10:40 かなり危ない思いもして、大汗をかき、稜線に出た。

奥ノ院をバイパスすることになってしまった。

 手製の標識(助かる!)

稜線を西へ進み、剣ヶ峰・権現岳を下り、三峰山との鞍部へ。

ここには手製の標識が設置されていた。滑落事故の反省から設置されたらしい。

 今日のパートナー

山頂は笹に囲まれ全く展望はない。

トラロープをくぐって、眺望のあるところで昼食(例によってパン)。

晴天なら日光連山が見えるが、今日は霞がかって見えない。

「発破」音が静寂を静寂を突き破る。

 

石灰工業の作業場が俯瞰できる、残念な絵だ。

稜線の北側に設置されたトラロープは、登山者へのサポートではなく、境界線だった。

 

下山開始、分岐に戻り、杉の植林帯を下る。

雨で土が緩んでおり、滑る、傾斜も急だ。

下った鞍部に「倶利伽羅不動」が岩屋に鎮座している。

 浅間大神洞(鍾乳洞入口)

「倶利伽羅不動」からの道は、沢沿い石がゴロゴロしている。

これも歩きづらい、斜度はあいわらずきつい。

「浅間大神洞」へは分岐を見逃し、下から見上げることになった。

足場も悪い、落ち葉・朽ちた木・滑る石が行くてを塞ぐ。

 山の神

さらに下ると林道だ、里の音も聞こえてくる。

山の神を過ぎると、13:50 永野御嶽神社だ。

 狸くん

急ぎ、舗装道路を「セツヌンソウ自生地」へ戻る。

田んぼの畔で、散歩中の犬が吠えている、足を止めると”タヌキ”が絶命していた。

 セツブンソウ自生地入口

 

14:10 「セツブンソウ自生地」入口へ。

木の根一面にセツブンソウが可憐に咲いている。

 

 

 

福寿草とセツブンソウのコラボレーションです。

 マンサク

 

 蝋 梅                             素心蝋梅

 

13:45バスで栃木駅に戻り、帰途に着いた。

                   

セツブンソウ:キンポウゲ科セツブン属

セツブンソウは本州の関東地方以西に分布する、高さ10センチほどの小さな多年生草本。

山地のブナ林など、落葉広葉樹林の林床に生え、石灰岩地を好む傾向がある。

和名は節分の頃に花をつけることに由来するが、山地での開花は3月上旬となり、

節分には間に合わないようである。

セツブンソウは地下の1.5センチほどの塊茎から、数本の茎を伸ばし、不揃いに分裂した苞葉をつける。

花茎の先に2センチほどの白色の花をつけるが、花弁に見えるのは、実は萼片である。

花弁自体は退化して黄色の蜜槽となり、多数のおしべと共にめしべの周りに並んでいる。

めしべは2~5個あり、5月の中ごろに熟し、種子を蒔いた後で地上部は枯れてしまう。

マンサク:マンサク科マンサク属

 春に他の花に先駆けて咲くので”まず咲く花”ということで”まんさく”になったらしい。      
  
  また、花がたくさんつくので「豊年満作」から命名されたとも。         
  


吉野梅郷

2012年03月03日 | walking

例年なら梅が満開の吉野梅郷、今年は遅い!!

梅園で福寿草と「青梅草」を堪能してきた。

 赤塚不二夫記念館もある

昭和「レトロ」を売る街、青梅駅で降りる。

 パートナーです

気温も低く、曇り空、薄ら寒いので手袋着用で。

 吉野街道(旧青梅街道)を歩く

「吉野梅郷」まで国道45号線(旧青梅街道)を約1時間弱歩く。

街道沿いに「福寿草」発見、枝垂れ梅も咲いている。(3分咲き?)

 紅冬至(べにとうじ)早咲き梅

11:20 「梅の公園」東口から入園、入園料200円也

梅の公園で唯一目立った紅梅、ここには120品種、1500本の梅の木がある。

・玄海躑躅(一輪咲いていた)           ・枝垂れ梅(2~3分咲き)

・紅梅                        ・蝋梅(満開、香りもいい)

・原木(全く開花なし)               ・土栗:キノコの仲間

 福寿草の野生種「青梅草?」

青梅に自生していた福寿草を「青梅草」という。

一般的に咲いている福寿草よりも緑味のある黄色をしている。

花は一重で茎が長いのが特徴とか・・・。

これが「青梅草」かは、鑑定を待たなければならない。

梅の公園にも福寿草は咲いていたが、「青梅草」ではなかった。

「曹洞宗 梅林山 天沢院」の境内にある野草園で見たもの。

ここには希少と思われる植物が栽培?されていた。

   セツブンソウ(可憐だ)

個人経営の梅園を2~3つ回った。

どの梅園の木の下には福寿草が咲いていた。

 梅やまかけうどん(650円也)

「美よしの園」で昼食、梅で出汁をとった”やまかけうどん”超美味!!

http://oh-ume.com(火曜定休)

帰りも日向和田駅から青梅街道を青梅駅まで歩いて戻った。

当日は「青梅マラソンを歩こう会」が開催されており、その参加者と一緒に歩いた。

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食事後、農協の売り場に寄った。

そこで福寿草の鉢植えも売っていたが、店番のおじさんに「青梅草」の話を聞いた。

「青梅草」は似た品種が出ているが、どこにでもあるものではないようだ。

我々素人では全く見分けがつかないという。

                        現存しているのは間違いないようだが・・・。

 

 

 


福寿草が咲いた!!

2012年03月01日 | 日記

  福寿草:金鳳花(別名 元日草・朔日草)

我が家の福寿草(鉢植え)が咲いた。

昨年3月奥久慈男体山へツアーで行った際、道の駅「芦ケ久保」で買った。

それが1年を経て今日3月1日に咲いた。

福寿草:花期は初春、3~4cmの黄色い花を咲かせる。当初は茎が伸びず、包に包まれた短い茎の

上に花だけがつくが、次第に茎や葉が伸び、いくつかの花を咲かせる。

この花は花弁を使って日光を花の中心に集め、その熱で虫を誘引している。

その為、太陽光に応じて花が開いたり、閉じたりしている。 ⇒良く出来ている。

葉は細かく分かれ、、夏になると地上部が枯れる。

初春に花を咲かせ、夏までに光合成行い、それから春まで地下で過ごす、

典型的な スプリングエフェメラル 。

根と茎は有毒。

花言葉は、「幸福」「幸せを招く」「永久の幸福」「回想」「思い出」「悲しき思いで」

       1月1日の誕生花でもある。

 2月29日大雪

蕾がかなりふくらんできた。

 2月27日 晴れ

  2月24日 晴れ

蕾が確認できるようになった。

 2月22日 晴れ

昭和記念公園「福寿草」今が見頃のニュースを見る。

内の福寿草は?何してるの?と観察を始めた。

日当たりの悪い所へ置いていたので、茎が出るのも遅かったのか?

もっと早く気付けば、開花も早かったのではないかと反省している。

この日の為に、1年間じっと土の中で待機した忍耐力に拍手だ。

スプリング・エフェメラル(Spring ephemeral)

春先に花をつけ、夏まで葉をつけると、あとは地下で過ごす一連の草花の総称。

春植物ともいう。直訳すると「春の儚いもの」「春の短い命」「春の妖精」というような意味。

 カタクリ・イチリンソウ・キクザキイチゲ・ショウジョウバカマ

 カタクリ(2011日光鳴虫山)

高尾山***フクジュソウ   (花の百名山から・・・)

 子供の頃、私の家の庭に、父が高尾山で採ってきたというフクジュソウが数株あった。

町中にしては広い屋敷で、庭には築山があり、泉水がつくられ、築山の石組みの下には、

フクジュソウが、いち早く、毎年の春を知らせた。

                       とある。高尾山にも昔咲いていたようだ、数は少ないけれど。