(原題:Elle s'appelait Sarah )編集の上手さに唸らされる映画である。主に描かれているのは先の大戦でのユダヤ人迫害だ。どう描いても暗くて悲しい印象を受けるテーマであり、本作も随分と悲惨な話をモチーフとして扱っているが、技巧の非凡さは題材の重さを凌駕して映画的興趣に結実している。
ニューヨーク出身で今はフランス人の夫とパリで暮らすジャーナリストのジュリアは、1942年のフランス警察による“ベルディヴ事件”を調べることになる。この事件はナチスの傀儡政権であった当時のフランス政府が、パリ中のユダヤ人を捕らえて競輪場(ベルディヴ)に押し込め、その後各地の収容所に送致したというものだ。
取材を重ねるうちに、ジュリアの夫が祖母から譲り受けた部屋は、戦時中にはユダヤ人家族が住んでいたことがわかる。しかも官憲が乗り込んだとき、一家の長女サラは自分の幼い弟を押入に隠して鍵を掛けるが、その鍵を手にしたまま連行されてしまう。その後サラは収容所を脱走するが、さらなる辛い出来事が待ち受けていた。
ジュリアは彼女の足取りを追うが、それは自らが直面している問題とも向き合うプロセスでもあった。もちろんサラが舐めた辛酸と、夫との不和に悩むジュリアの状況とは、あまりに違いすぎる。ヘタすると“並列に描くこと自体が間違いだ”という指摘も出てくるだろう。しかし、それを易々とクリアさせてしまうのが(冒頭にも書いた)絶妙の編集なのである。
時代も環境も違う二人のヒロインであるが、時として悩み自体がシンクロすることもある。それは小さな命を失ったこと、そして今また失おうとしていること、そういう虚無的な悲しさにとらわれてしまう瞬間だ。そういう局面を見計らうようにして、映画は二つの時代を交互に映し出してみせる。
それはまた、過去の不幸な出来事は単発的なイベントではなく、現在の社会そして各個人への内面へと続いていく歴史のダイナミズムといったものを描出することにもなる。
タチアナ・ド・ロネの同名小説を映画化したのは「マルセイユ・ヴァイス」などの監督ジル・パケ=ブレネールだが、とても丁寧できめの細かい演出を見せている。役者の動かし方も万全で、ジュリア役のクリスティン・スコット・トーマスや少女サラを演じたメリュジーヌ・マヤンスは力のある演技を見せる。ニエル・アレストラップやエイダン・クインといった脇の面子も良い。
重い歴史からは逃れられないが、それでも未来に希望を託することは出来る。それを象徴しているかのようなラストシーンには、胸が熱くなった。第25回東京国際映画祭にて最優秀監督賞と観客賞を獲得。作り手の真摯なメッセージが見て取れる秀作である。