(原題:ADAM)何やら、映画作りの方向性とストーリーが合っていない印象を受ける。つまりは、送り手がいたずらに“作家性”を前面に出したせいで、本来は単純であるはずの話が却って分かり辛くなったということだ。舞台設定とキャストの演技は申し分ないだけに、不満の残る出来映えである。
モロッコの主要都市であるカサブランカの下町で、臨月のお腹を抱えてさまよう若い女がいた。彼女の名はサミアで、以前は美容師をしていたが、未婚の母はタブーとされる土地柄のため解雇されてしまったのだ。偶然サミアに一夜の宿を提供したのは、小さなパン屋を営むアブラだった。アブラは夫を事故で亡くし、幼い娘を養うため必死で働き続けていたが、本来あまり他人を受け容れない内向的な性格である。サミアは持ち前の器用さで店をうまく切り盛りし、アブラの娘も懐いてそのまま居候を続けることになる。だがある日、サミアは急に産気付く。2019年カンヌ国際映画祭の「ある視点」セクションでの上映作品だ。

これが長編デビュー作となるマリヤム・トゥザニ監督は、極端にセリフを少なくして画面展開および登場人物の表情と行動だけで物語を進めようとする。饒舌さを抑えて映像(しかも、手持ちカメラによる接写が多い)だけで語るという形式を採用したのは、いかにも新進作家らしい気負いが感じられるが、この場合は不適当だ。
何より、サミアのプロフィールが描かれていない。サミアはどうして妊娠するハメになったのか、なぜ元美容師の彼女は料理までも得意で何事も如才ないのか、まるで説明されていない。アブラにしても、なぜいつまでも心を閉ざしていたのかよく分からない。その代わりに強調されるのが、アブラが下着姿で鏡の前に立ったりするような、いかにも“思わせぶり”な描写である。ここだけは言わんとすることは分かるが、あからさますぎて鼻白む思いだ。
こうして筋立てに関する言及があまりないまま、唐突なラストを突き付けられても、観ているこちらは困惑するばかり。アブラ役のルブナ・アザバル、サミアに扮するニスリン・エラディ、ともに好演。アブラの娘を演じる子役もめっぽう良い。雑然としているがエネルギッシュなカサブランカの街の様子や、宗教が生活に浸透している様子、個性豊かな隣人たちの扱いも悪くない。それだけに、肝心の物語の中身が言葉足らずなのは惜しいと思う。
モロッコの主要都市であるカサブランカの下町で、臨月のお腹を抱えてさまよう若い女がいた。彼女の名はサミアで、以前は美容師をしていたが、未婚の母はタブーとされる土地柄のため解雇されてしまったのだ。偶然サミアに一夜の宿を提供したのは、小さなパン屋を営むアブラだった。アブラは夫を事故で亡くし、幼い娘を養うため必死で働き続けていたが、本来あまり他人を受け容れない内向的な性格である。サミアは持ち前の器用さで店をうまく切り盛りし、アブラの娘も懐いてそのまま居候を続けることになる。だがある日、サミアは急に産気付く。2019年カンヌ国際映画祭の「ある視点」セクションでの上映作品だ。

これが長編デビュー作となるマリヤム・トゥザニ監督は、極端にセリフを少なくして画面展開および登場人物の表情と行動だけで物語を進めようとする。饒舌さを抑えて映像(しかも、手持ちカメラによる接写が多い)だけで語るという形式を採用したのは、いかにも新進作家らしい気負いが感じられるが、この場合は不適当だ。
何より、サミアのプロフィールが描かれていない。サミアはどうして妊娠するハメになったのか、なぜ元美容師の彼女は料理までも得意で何事も如才ないのか、まるで説明されていない。アブラにしても、なぜいつまでも心を閉ざしていたのかよく分からない。その代わりに強調されるのが、アブラが下着姿で鏡の前に立ったりするような、いかにも“思わせぶり”な描写である。ここだけは言わんとすることは分かるが、あからさますぎて鼻白む思いだ。
こうして筋立てに関する言及があまりないまま、唐突なラストを突き付けられても、観ているこちらは困惑するばかり。アブラ役のルブナ・アザバル、サミアに扮するニスリン・エラディ、ともに好演。アブラの娘を演じる子役もめっぽう良い。雑然としているがエネルギッシュなカサブランカの街の様子や、宗教が生活に浸透している様子、個性豊かな隣人たちの扱いも悪くない。それだけに、肝心の物語の中身が言葉足らずなのは惜しいと思う。