元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「赤い橋の下のぬるい水」

2012-02-10 06:36:28 | 映画の感想(あ行)
 2001年作品。失業中の中年男と、セックスをしないと体内に水が溜まり、よからぬ行為に及ぶという不思議な体質の女とのラヴ・ファンタジー。辺見庸の同名小説を映画化したのは今村昌平で、この名監督の最後期の作品だ。

 とにかく、清水美砂扮する超絶潮吹き女の扱いが最高である。相手をしている役所広司が全身ずぶ濡れになるほどの潮をあっけらかんと噴出し続ける様子は、女体の神秘に対する作者の理屈なしの賛美を率直にあらわしていて実に面白い。



 ここで“セックスを下品に描いている”とか“女性をバカにしている”とかいうフェミニズム的言説を差し入れるのは野暮である。これはそんなことを超越した“生命力みなぎる大人のファンタジー”なのだ。各所に示される“男の胎内回帰願望”らしいモチーフも、凡百の作家が扱えば寒々しいだけに終わっていたはずだが、海千山千の今村昌平の手に掛かれば“伝統芸”の域までに達してしまう。

 富山県の田舎町の風情、粒立ちの脇のキャラクター(特に三流大学の黒人マラソンランナーはケッ作)、オフビートな池辺晋一郎の音楽etc.すべてが明るくスケベな非日常的空間の創出に奉仕している。久々に心の底から笑える映画で、晩年近くの今村の作品としては「うなぎ」と並ぶ快作だ。カンヌ映画祭で無冠だったのは本当に残念(まあ、いくら何でも3回も大賞を取ろうというのは欲張りに過ぎるけどね ^^;)。
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「人生劇場 飛車角と吉良常」

2012-02-09 06:35:08 | 映画の感想(さ行)
 68年製作の内田吐夢監督作品。大正時代を舞台にした任侠もので、尾崎士郎の小説「人生劇場」からの「残侠篇」の映画化である。ここでは上海帰りの吉良常を狂言回し的な役柄に振り、飛車角とおとよ、そして宮川との哀しい三角関係を内田監督らしい粘り強い演出で描いている。

 また、長廻しを主体とした重厚で風格のある演出が凡百の任侠映画と一線を画している。クライマックスの殺陣の部分だけをモノクロにして凄惨度をアップさせているのはポイントが高い。

 鶴田浩二や辰巳柳太郎、若山富三郎らは余裕の演技。左幸子のやり手ババアぶりや藤純子の白痴美も捨て難い。対して高倉健はあまり活躍しないけど、これはいつもの長ドスではなく普通のドス(?)で立ち回りをしたせいだろうか。健さんはやっぱり長ドスである(^o^)。
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MORDANT-SHORTのスピーカーを聴いてみた。

2012-02-08 06:19:47 | プア・オーディオへの招待
 英国MORDANT-SHORT社のスピーカーを聴くことが出来たのでリポートしたい。同社は1967年設立。歴史の長いメーカーではあるが、日本に正式輸入されるようになったのは最近のことだ。聴いたのは同社の上級シリーズのひとつであるPerformance6で、アンプとプレーヤーは国産のLUXMANの製品が使われていた。

 このPerformance6は3ウェイのバスレフ形式の、フロアスタンディング型だ。ユニットはすべてアルミニウム製。外見上で注目すべきは、エンクロージャー(筐体)の後方にある角みたいな突起物である。カタログによればこれは“吸気口”で、高音ユニットが“呼吸している状態”を維持することにより、歪の問題を解決させるらしい。



 スピーカーユニットが“呼吸している”という比喩は初めて聞いたが、ならば中音域や低音部は“呼吸”させないでいいのかという疑問も残る(笑)。さらに言えば“吸気口”を設けていない他社のスピーカーは、ずっと“窒息状態”が続いているのだろうか(爆)。いずれにしろオーディオの方法論は百鬼夜行だが、もっともらしい論理は脇に置いて、要は音が良ければいいのである。さっそくサウンドを聴いてみた。

 ひとことで言って、あまり上等な音とは言い難い。とにかく分離が悪いのだ。全域に渡って各音像がベットリとくっついていて、まるで“水気の多いチャーハン”みたいな案配である(何だそりゃ ^^;)。音場も狭い。縦方向にも横方向にも広がらず、奥行き感なんて無いに等しい。メタル系の振動板を使用しているせいか音の立ち上がりこそ速いが、見通しの悪い音場に余韻がマスクされてしまう感じで、聴いているとストレスがたまる。

 肝心の“高音ユニットの呼吸状況”についても、耳障りな付帯音が散見され、どうやら喉が荒れているようだ(笑)。定価が70万円近い高級品だけに、この低調なパフォーマンスには脱力するしかない。

 ただ、この機器はエージング(鳴らし込み)が不足しているという可能性もある。MORDANT-SHORTには他の価格帯のラインナップも存在するし、機会があれば別のモデルも聴いてみたいものだ。
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「サラの鍵」

2012-02-07 06:24:47 | 映画の感想(さ行)

 (原題:Elle s'appelait Sarah )編集の上手さに唸らされる映画である。主に描かれているのは先の大戦でのユダヤ人迫害だ。どう描いても暗くて悲しい印象を受けるテーマであり、本作も随分と悲惨な話をモチーフとして扱っているが、技巧の非凡さは題材の重さを凌駕して映画的興趣に結実している。

 ニューヨーク出身で今はフランス人の夫とパリで暮らすジャーナリストのジュリアは、1942年のフランス警察による“ベルディヴ事件”を調べることになる。この事件はナチスの傀儡政権であった当時のフランス政府が、パリ中のユダヤ人を捕らえて競輪場(ベルディヴ)に押し込め、その後各地の収容所に送致したというものだ。

 取材を重ねるうちに、ジュリアの夫が祖母から譲り受けた部屋は、戦時中にはユダヤ人家族が住んでいたことがわかる。しかも官憲が乗り込んだとき、一家の長女サラは自分の幼い弟を押入に隠して鍵を掛けるが、その鍵を手にしたまま連行されてしまう。その後サラは収容所を脱走するが、さらなる辛い出来事が待ち受けていた。

 ジュリアは彼女の足取りを追うが、それは自らが直面している問題とも向き合うプロセスでもあった。もちろんサラが舐めた辛酸と、夫との不和に悩むジュリアの状況とは、あまりに違いすぎる。ヘタすると“並列に描くこと自体が間違いだ”という指摘も出てくるだろう。しかし、それを易々とクリアさせてしまうのが(冒頭にも書いた)絶妙の編集なのである。

 時代も環境も違う二人のヒロインであるが、時として悩み自体がシンクロすることもある。それは小さな命を失ったこと、そして今また失おうとしていること、そういう虚無的な悲しさにとらわれてしまう瞬間だ。そういう局面を見計らうようにして、映画は二つの時代を交互に映し出してみせる。

 それはまた、過去の不幸な出来事は単発的なイベントではなく、現在の社会そして各個人への内面へと続いていく歴史のダイナミズムといったものを描出することにもなる。

 タチアナ・ド・ロネの同名小説を映画化したのは「マルセイユ・ヴァイス」などの監督ジル・パケ=ブレネールだが、とても丁寧できめの細かい演出を見せている。役者の動かし方も万全で、ジュリア役のクリスティン・スコット・トーマスや少女サラを演じたメリュジーヌ・マヤンスは力のある演技を見せる。ニエル・アレストラップやエイダン・クインといった脇の面子も良い。

 重い歴史からは逃れられないが、それでも未来に希望を託することは出来る。それを象徴しているかのようなラストシーンには、胸が熱くなった。第25回東京国際映画祭にて最優秀監督賞と観客賞を獲得。作り手の真摯なメッセージが見て取れる秀作である。
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「シュレック」

2012-02-06 06:34:41 | 映画の感想(さ行)
 (原題:Shrek )2001年作品。山奥の沼のそばで孤独に暮らす怪物シュレックと、彼の前に現われたロバのドンキーが、ドラゴンの城に囚われているフィオナ姫の争奪戦に巻き込まれて冒険を繰り広げるCGアニメーション。興業面では好調だったらしく、シリーズ化されている。

 白雪姫、シンデレラ、ピノキオ、三匹の子豚など、さまざまな御伽話や童話をパロディのネタにしているのは、明らかにディズニーアニメへの挑発だ。しかし、演出がボンクラなのでさっぱり笑えず。展開にはテンポもなく、筋書きも行き当たりばったり。ラストなんて“なんじゃこりゃ”である。

 だいたいキャラクターがちっとも魅力的ではなく、マイク・マイヤーズやキャメロン・ディアス、エディ・マーフィといった声優陣におんぶに抱っこの状態では、ディズニーをパクるつもりが、かえって観客に往年のディズニー作品の魅力を再確認させることになってしまう。

 それにしても、なぜにCGアニメ(ピクサー系を除く)は画面がこうも寒々しいのだろう(本作はドリームワークス・アニメーション の製作)。単に“手書きセルの代用品”としてしか捉えられていないせいだろうか? もっと斬新な方法論を期待したいところである。
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「しあわせのパン」

2012-02-05 06:45:36 | 映画の感想(さ行)

 近頃ハヤリの“癒し系映画”の類だと思って期待していなかったが、最後まであまり気分を害さずに観ることが出来た。これはひとえに映像処理の非凡さゆえであろう。

 デジカムで撮ったと思しき平面的で奥行きのない画調。しかしパステルカラーを主体とした全体的な色付けが絶妙で、単に“絵はがきみたいな人工的なタッチだ”という批判を跳ね返すほどの、独自の美意識が横溢している。登場人物がまるで紙芝居の絵柄みたいに感じることもあるが、これはいささかリアリティに欠ける作劇をカバーする意味で効果的であるとも言える。

 都会から北海道・洞爺湖のほとりの小さな町・月浦に移り住み、宿泊も出来るパンカフェをオープンした夫婦と、そこにやってくる客達との触れ合いを、四季を通じて描く。素性不明の初老の男や、若い郵便配達員、ガラス工房を営む中年女性などが店の常連だが、彼らの描き方に深みがあるわけではない。それどころか、この夫婦がどうしてこの土地に根を下ろしたのか、どういうポリシーを持っているのか、まるで語られていない。

 東京からやってきた傷心のデパートガールや、両親の離婚に悩む女子小学生、思い出の地を再訪した老夫婦などの客達にまつわるエピソードも図式的で、ほとんど心に残らない。ただしこの凡庸極まりない話を、前述のような玄妙な映像処理をバックに流していくと、観ていてまるで肩のこらない“環境ビデオ”みたいな心地良さが醸し出されるのだから、映画というのは面白い。

 加えて、劇中に登場する料理が実に美味しそうで、その意味での満足感もある。ざっくりと切られる出来たてのパンや、甘く匂ってくるようなスープ類を見せつけられるに及び、映画館を出たら何か美味そうなものを食べていこうかという気になってくる(笑)。

 原田知世と北海道出身の大泉洋による夫婦のキャスティングは(少なくとも外見上は)感じが良い。光石研や中村嘉葎雄、渡辺美佐子、あがた森魚、余貴美子、森カンナといった脇の面子も、作品のリズムを乱すような我の強い演技設定は付与されていない。監督の三島有紀子は、登場人物の内面を抉るような濃い演出を好まないようだ。エクステリアの構築のみに専念するような姿勢は、これはひとつの作家性なのかもしれない。

 なお、本作のナレーターは夫婦が飼っている子羊のゾーヴァだと最初は思っていたのだが、実はそうではなく、ラストでその正体が明かされる。まあ、考えてみればありがちな設定なのだが、本作のカラーにふさわしいオチの付け方で、その点は納得した。矢野顕子と忌野清志郎によるエンディグ・テーマも良い。
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