2001年作品。失業中の中年男と、セックスをしないと体内に水が溜まり、よからぬ行為に及ぶという不思議な体質の女とのラヴ・ファンタジー。辺見庸の同名小説を映画化したのは今村昌平で、この名監督の最後期の作品だ。
とにかく、清水美砂扮する超絶潮吹き女の扱いが最高である。相手をしている役所広司が全身ずぶ濡れになるほどの潮をあっけらかんと噴出し続ける様子は、女体の神秘に対する作者の理屈なしの賛美を率直にあらわしていて実に面白い。
ここで“セックスを下品に描いている”とか“女性をバカにしている”とかいうフェミニズム的言説を差し入れるのは野暮である。これはそんなことを超越した“生命力みなぎる大人のファンタジー”なのだ。各所に示される“男の胎内回帰願望”らしいモチーフも、凡百の作家が扱えば寒々しいだけに終わっていたはずだが、海千山千の今村昌平の手に掛かれば“伝統芸”の域までに達してしまう。
富山県の田舎町の風情、粒立ちの脇のキャラクター(特に三流大学の黒人マラソンランナーはケッ作)、オフビートな池辺晋一郎の音楽etc.すべてが明るくスケベな非日常的空間の創出に奉仕している。久々に心の底から笑える映画で、晩年近くの今村の作品としては「うなぎ」と並ぶ快作だ。カンヌ映画祭で無冠だったのは本当に残念(まあ、いくら何でも3回も大賞を取ろうというのは欲張りに過ぎるけどね ^^;)。
とにかく、清水美砂扮する超絶潮吹き女の扱いが最高である。相手をしている役所広司が全身ずぶ濡れになるほどの潮をあっけらかんと噴出し続ける様子は、女体の神秘に対する作者の理屈なしの賛美を率直にあらわしていて実に面白い。
ここで“セックスを下品に描いている”とか“女性をバカにしている”とかいうフェミニズム的言説を差し入れるのは野暮である。これはそんなことを超越した“生命力みなぎる大人のファンタジー”なのだ。各所に示される“男の胎内回帰願望”らしいモチーフも、凡百の作家が扱えば寒々しいだけに終わっていたはずだが、海千山千の今村昌平の手に掛かれば“伝統芸”の域までに達してしまう。
富山県の田舎町の風情、粒立ちの脇のキャラクター(特に三流大学の黒人マラソンランナーはケッ作)、オフビートな池辺晋一郎の音楽etc.すべてが明るくスケベな非日常的空間の創出に奉仕している。久々に心の底から笑える映画で、晩年近くの今村の作品としては「うなぎ」と並ぶ快作だ。カンヌ映画祭で無冠だったのは本当に残念(まあ、いくら何でも3回も大賞を取ろうというのは欲張りに過ぎるけどね ^^;)。