元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「グランツーリスモ」

2023-10-14 06:11:08 | 映画の感想(か行)
 (原題:GRAN TURISMO)一応は楽しめるのだが、「第9地区」(2009年)や「チャッピー」(2015年)で異能ぶりを見せつけたニール・ブロムカンプ監督作品としては、物足りない出来だ。今回は彼自身が脚本に参画していないことが大きいと思われるが、もうちょっと思い切った仕掛けを用意して欲しかった。とはいえ、題材自体は面白いので観て損はない。

 2005年、日産自動車のマーケティング担当責任者ダニー・ムーアは、ソニーが提供するレースゲーム“グランツーリスモ”のヘビーユーザーたちを本物のカーレーサーに育成するGTアカデミーの設立を提案する。その企画は実現し、世界中のこのゲームのトッププレーヤーたちが集められる。元プロサッカー選手を父に持つイギリス青年ヤン・マーデンボローの元にも、その招待状が送られてくる。ヤンは見事最終予選のゲームを突破し、世界で10人しかいないGTアカデミーの候補生の一員となる。厳しい鍛錬の後、ヤンは実戦でも結果を出すようになり、ついにはル・マン24時間レースに挑戦する。



 実話の映画化だが、とかく保守的と言われる日本の大企業、特に日産のような老舗の自動車メーカーがこのような思い切った施策を断行したという事実には驚くばかりだ。映画ではこの企画の立ち上げから運営、加えてヤンをはじめとするアカデミーのメンバーたちの描写を丁寧に追っている。レースの場面の迫力も申し分ない。しかしながら、いまひとつインパクトに欠けるのだ。

 登場人物たちは元々がゲーマーの寄せ集めなのだから、もっと大胆にヴァーチャルな世界が現実を侵食していくスリルを描くべきだった。せいぜいレース中に運転席がゲームのコックピットとシンクロする場面が挿入される程度で、これでは普通のカーレース映画と変わらない。それにライバルチームの存在感も足りておらず、従ってラストのカタルシスは大きくはならない。N・ブロムカンプの演出は今回は安全運転に徹し、破綻はないが意外性は期待できない。

 それでもダニー・ムーアに扮するオーランド・ブルームやチーフ・エンジニアであるジャック・ソルターを演じるデイヴィッド・ハーバー、ソニー側の担当者である山内一典役の平岳大らは的確に仕事をこなしている。ヤンを演じるアーチー・マデクウィやジェリ・ハリウェル・ホーマー、ジャイモン・フンスー、メイヴ・クルティエ・リリーといった面子も良好だ。なお、このアカデミーは2016年に終了しているが、また装いも新たにどこかのメーカーが手がけて欲しいものである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「オーバーホール トラック・レーサー」

2023-10-13 06:06:16 | 映画の感想(あ行)
 (英題:OVERHAUL)2023年9月よりNetflixから配信されたブラジル製のアクション編。別に取り立てて面白い映画ではないのだが、それほど退屈せずに最後まで付き合えた。舞台設定と題材はけっこう興味深いし、各キャラクターは“立って”いると思う。また、彼の国の治安の悪さは「シティ・オブ・ゴッド」(2002年)などでも紹介されていたが、本作でもイヤというほど再確認できる。

 リオデジャネイロに住むトラックレーサーのホジェはチームを率いていた父親を事故で亡くし、運営を引き継ぐことになった。しかしチームの財務状況は火の車で、廃業の危機にある。そんな彼に近付いたのが地元のギャング団だ。ホジェにヤバい荷物を運ばせ、その見返りに資金援助するという。彼はやむなく同僚と一緒にその闇仕事を引き受けるが、当初は上手くいき十分な報酬を得られたものの、トラブルで同僚は死亡。その娘でティーンエイジャーのバーバラの面倒も見なければならず、ホジェは足を洗おうとする。だが、ギャングたちは承知しない。悪者どもの一斉摘発を狙う警察の思惑も絡み、ホジェは決断を迫られる。



 まず、主人公たちが参戦しているフォーミュラ・トラックという初めて見る競技が面白い。文字通りトラックでサーキットを疾走するレースだが、重量感があって見応えたっぷりだ。また、主人公のライバルが女子だというのも珍しいだろう。荷物の受け渡しの段取りは凝っているようで、内実は分かりにくい。素人に見えたバーバラが、意外にレースに詳しいというのも唐突だ。公道でのカーチェイスはそれほどでもなく、レース場面と比べると見劣りがする。

 とはいえ、斜面にカラフルな家が密集するように建っているリオの下町の描写は野趣に富んでいるし、少し車を走らせれば無法地帯のような空間に到達するのもインパクトが大きい。クライマックスはサーキット上での激闘と、警官隊とギャング団との銃撃戦をシンクロさせるという手法が繰り出されるが、ベタながら盛り上がる。ラストの扱いも悪くない。トマス・ポルテッラの演出はいささか泥臭いけどパワーがあり、主役のチアゴ・マルティンスも好漢だ。そしてヒロイン役のシェロン・メネーゼスはイイ女である。撮影と音響効果も万全だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ヒンターラント」

2023-10-09 06:07:05 | 映画の感想(は行)
 (原題:HINTERLAND)映像表現の饒舌さを十二分に堪能できる映画だ。全編ブルーバック撮影による人工的な絵作り。それ自体が妖しい美しさを醸し出していることに加え、登場人物たちの不安定な内面をも巧みに反映させている。2021年の第74回ロカルノ国際映画祭で観客賞を受賞したミステリーで、屹立した独自性を感じさせる野心作だ。

 第一次大戦が終わり、ロシアで長い捕虜収容所生活を強いられていたオーストリアの兵士たちはようやく解放され、故国に戻ってきた。ウィーンの自宅に帰った元刑事のペーター・ペルクもその一人だが、そこにはすでに家族の姿は無く、行き場を失ったことを痛感する。そんな中、ペーターの元戦友が惨殺死体で発見されたのを皮切りに、町中では次々と殺人事件が発生。その手口から犯人も同じ帰還兵であると踏んだペーターは、古巣であるウィーン市警のスタッフらと共に事件を追う。



 バックの映像は暗鬱で、しかも歪んでいる。ただしそれは決して不安定で生理的不快感を喚起させるものではなく、計算され尽くした造型が施されている。言うまでもなく、戦争で荒れ果てたオーストリアの姿を強調するための手法ではあるが、同時にささくれ立った住民たちの心理のメタファーでもある。

 手練れの映画ファンならばデイヴィッド・フィンチャー監督の「セブン」(95年)との共通性を見出すかもしれないが、あっちは単なる新奇なエクステリアの採用という次元に留まっていて、本作のように切迫した映画の背景を映像で語らせるレベルには達していない。その点も評価できる。

 サスペンス映画としての段取りも上手くいっており、手口の残虐さとそれを実行する犯人像の創出、もつれる展開とラストのカタルシスなど、ステファン・ルツォビツキーの演出は出世作「ヒトラーの贋札」(2007年)同様抜かりがない。また、主人公をはじめ訳ありの面子をズラリと並べ、それぞれ見せ場を用意しているあたりも納得できる。

 主演のムラタン・ムスルの演技は渋みがあり、決してハリウッド製活劇編のようなマッチョな建て付けはしていない。ペーターを助ける女医に扮するリブ・リサ・フリースは本当にイイ女だし、マックス・フォン・デル・グローベンにマルク・リンパッハ、マルガレーテ・ティーゼルといった顔ぶれは馴染みはないものの皆万全の仕事ぶりを見せる。そして、この時代の彼の地の事情を取り上げたことは珍しく、改めて戦争の悲惨さを感じずにはいられない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ほつれる」

2023-10-08 06:08:25 | 映画の感想(は行)
 心の底から“観て損した”と思った映画だ。何から何まで、実に不愉快。共感できる箇所は皆無。よくこんなシャシンの製作にゴーサインが出たものだ。もちろん、不快なキャラクターやモチーフばかりを並べた映画がダメだと言いたいのではない。ネタ自体が外道でも、ドラマに力があれば観る者を瞠目させることは可能。しかし本作には映画的興趣を喚起させようという姿勢は見られず、弛緩した空気が流れるのみ。まったくもって話にならない。

 主人公の綿子と、夫の文則との仲は末期的な状況にあった。彼女は旦那を見限り、友人の紹介で知り合った編集者の木村と浮気するようになる。だが、2人でキャンプ行った帰り道、木村は綿子の目の前で交通事故に遭い死んでしまう。葬儀にも行けなかった彼女は、せめて墓参りはしたいと思い、友人の英梨と木村の実家がある山梨に足を運ぶ。一方文則は、妻の行動に不信を持つようになる。

 まず、木村の事故直後の綿子の振る舞いがおかしい。彼女は救急車を呼ぼうと一度はスマホを手に取るのだが、結局何事も無かったかのように立ち去ってしまう。2人の仲が明るみになることを恐れるがゆえの行動だろうが、ついさっきまで“デート”を楽しんでいた相手の安否を関知しないというのは、この女には一般常識が欠落していると思わざるを得ない。かと思えば、文則も常軌を逸している言動が目立つ。

 そして何と、この夫婦は互いに不倫の果てに元のパートナーと別れて一緒になったことが示されるのだ。さらに、木村やその父親をはじめ、この映画に登場するのはロクでもない人間ばかりである。冒頭にも述べたが、たとえクソみたいな連中をズラッと並べようが、そこにドラマ的な盛り上がりや切れ味鋭い描写などを織り込めば映画として十分に楽しめるのだ。ところが、話がいくら進んでも面白そうな場面は出てこない。指輪がどうしたとか、ヒロインが意味もなく旅館に泊まるとか、そういうどうでも良いエピソードが漫然と語られるだけで、少しもこちらの興味を引くような展開にはならない。

 脚本も担当した監督の加藤拓也なる人物は、演劇界では新進気鋭の若手作家らしい。なるほど、ひょっとして本作を舞台で鑑賞すれば好印象を得られる可能性はあるだろう。だが、映画を観る限りでは才気走った部分はまるで見受けられない。84分という短い尺ながら、随分と長く感じられた。

 そして、主役の門脇麦をはじめ、染谷将太に古舘寛治という仕事ぶりには定評のある演技者を集めていながらこの体たらくだ。文則に扮する田村健太郎の嫌味っぷりは目立っていたが、ただ不快なだけで見ていて楽しくない。黒木華なんて、こんなつまらない役を振られて気の毒になってくる。画面が35ミリスタンダードサイズというのも実に臭く、単なる“カッコつけ”にしか思えない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「キリング・オブ・ケネス・チェンバレン」

2023-10-07 06:09:15 | 映画の感想(か行)
 (原題:THE KILLING OF KENNETH CHAMBERLAIN)これはかなりキツい映画だ。正直言えば、食い足りない部分や納得出来ないモチーフもある。しかし、それらを差し引いても、十分に観る価値のある作品であることは確かだ。アメリカ社会が抱える問題の深刻さを炙り出すと共に、無理を通せば道理が引っ込むという、浮世の不条理に頭を抱えてしまう一編である。

 2011年11月19日、ニューヨークの下町のアパートに一人で住む70歳のケネス・チェンバレンは、ある朝誤って医療用通報装置を作動させてしまう。彼は双極性障害を患っており、通報は直ちに担当医療スタッフに繋がる仕掛けになっている。そこから管轄の警察署に連絡が行き、安否確認のため3人の警官がアパートにやってくる。ケネスはドア越しに通報は間違いだと訴えるが、警官たちは信じない。当初は丁寧に対応していた警官たちは、ドアを開けるのを拒むケネスに次第に不信感を募らせ、彼が何か犯罪に関わっているのではないかと疑うようになってくる。



 無実の黒人男性が白人警官に射殺された、実在の事件を映画化したドラマだ。83分の尺だが、これは事の発端からケネスが災難に遭うまでの実際の時間とほぼ一緒である。つまりは映画内の出来事と経過時間とがシンクロするという、いわゆる「真昼の決闘」方式を採用しており、これが臨場感の創出に大いに貢献している。

 警官が到着してからの経緯に関しては、ケネス側にはほとんど落ち度はない。警官が狼藉に及んだ理由は、ケネスがメンタル面でハンデを負っていたこと、そして黒人であったこと以外には考えられない。ケネスが言う通り、いくら“ドアをちょっと開けて確認させてください”と警官が申し出ても、令状の提示も無いのに応じるわけにはいかないのだ。警察が勝手な思い込みにより平気で市民の権利を蹂躙していく様子を見せつけられるに及び、アメリカ社会が抱える人種問題の深刻さを痛感する。

 もっとも、ケネスが親族が近くに住んでいるのに一人暮らしを選択している事情は窺い知れないし、かつて海兵隊員だった彼が現役時代に被ったトラウマに関しても説明不足だ。ただし、それらの瑕疵が気にならないほどデイヴィッド・ミデルの演出には力がある。主役のフランキー・フェイソンは熱演で、見事に不遇な主人公になりきっている。スティーヴ・オコネルにエンリコ・ナターレ、ベン・マーテン、ラロイス・ホーキンズといった他の面子の仕事も万全だ。ラストには関係者の実際の映像と事件の“最終措置”が紹介されるが、これがまたインパクトが大きい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「仁義なき戦い 完結篇」

2023-10-06 06:02:11 | 映画の感想(さ行)
 74年東映作品。同年1月に公開されたパート4の前作「頂上作戦」で、本来このシリーズは終わるはずだった。事実「頂上作戦」のラストは幕切れに相応しい処理だし、それまで脚本を担当していた笠原和夫もこれで打ち止めにする予定だったという。しかし一度掴んだドル箱シリーズを映画会社が容易に手放すはずもなく、この第五作の製作に至った。ただし笠原は降板し、代わりに高田宏治がシナリオを執筆している。

 前作で描かれた県警の“頂上作戦”によって幹部は軒並み逮捕され、広島ヤクザ抗争は沈静化したかに見えたが、服役していた組長たちが出所する時期を迎えて事態は緊迫化する。そのため複数の組が大同団結して政治結社“天政会”を発足させ、警察の目を欺こうとしていた。しかし昭和41年に呉の市岡組が天政会幹部に反旗を翻し、会の参与を謀殺したのを切っ掛けに、内紛が勃発する。



 天政会の二代目会長の武田明は腹心の若頭である松村保を三代目候補に推薦して事を収めようとするが、この処遇を快く思わない勢力は激しく反発。そんな中、網走刑務所に服役していた広能昌三に、市岡組の組長は天政会の現状を伝えると共に広島の覇権奪取を持ち掛ける。

 実質的には前回で幕を下ろす話だっただけに、本作には蛇足感が拭い切れない。果てしない内ゲバの連鎖も、今までの繰り返しだ。新味といえば天政会の存在だろうが、登場人物たちが政治結社という表看板を掲げればどうして当局側の目をごまかせると思ったのか、そこがハッキリしない。これではイケナイと思ったのか、後半には広能を表舞台に復帰させようという作戦に出るが、何を今さらという感じだ。彼と松村との関係性もしっくりこないし、若い世代の台頭に広能たちが“引き際”を意識するようになるのも型通りである。

 だが、濃い面構えがスクリーン狭しと並び、それぞれが狼藉をはたらく様子はやっぱり見応えがあるのだ。深作欣二の演出は相変わらずパワフルで、求心力には欠ける話を無理矢理最後まで引っ張ってゆく。菅原文太をはじめ伊吹吾郎、松方弘樹、小林旭、北大路欣也、山城新伍、田中邦衛、川谷拓三、八名信夫といった御歴々は余裕の仕事ぶりだし、桜木健一の起用は意外性があり、大友組の組長に扮する宍戸錠は第二作での千葉真一よりも俗っぽさが出ていて捨てがたい。

 なお、この映画は東映の目論見通り客の入りは良好で、シリーズ最大のヒットを記録している。本当の意味での実録物は文字通りこれで“完結”したはずだが、このあと直ちに純然たるフィクションによる「新仁義なき戦い」シリーズがスタートしたのだから恐れ入る。この頃の邦画界は野性味に満ちていたようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「君は行く先を知らない」

2023-10-02 06:08:23 | 映画の感想(か行)
 (英題:HIT THE ROAD)当局側に目を付けられて、新作を撮ることも難しくなったイランの名匠ジャファル・パナヒ。その長男パナー・パナヒの長編監督デビュー作だ。父親の作品とは異なり本編は本国では公開禁止にはならず、国外の映画祭にも出品されている。ただし、その分切れ味が鈍くなり主題の扱い方も隔靴掻痒の感があるのは確かで、改めて国家権力と表現者との相克の深刻さを思わずにはいられない。

 イランの荒野をテヘランからトルコ国境近くを目指して車で旅する4人家族。ハンドルを握っているのは成人したばかりの長男で、助手席の母親はカーステレオから聞こえてくる古い流行歌を口ずさんでいる。後部座席には脚にギプスをした父親がいて、久々の家族そろってのドライブで興奮してはしゃいでいる小学生の次男をたしなめている。やがて車は目的地近くの村に到着するが、そこには仮面をつけた男が案内役が長男を“旅人”として村に迎え入れる。



 この旅の目的は最後まで具体的には語られない。父親は4カ月もの間、なぜかギプスを装着したままだという。途中で車に乗せる転倒した自転車レースの選手の扱いは思わせぶりだが、何か重要なことが語られるわけでもない。車内には余命わずかなペットの犬もいるのだが、大きなモチーフになってはいない。つまりは本作はそれらしいネタの前フリはあるが、回収されることは無いのだ。

 おそらくこの旅は長男の亡命を目的としていて、国境付近には思いを同じくする人々が集まっているのだろうと思わせる。テヘランの実家が抵当に入っていることや、次男が隠し持ってきた携帯電話が途中で捨てられたことも、それを暗示する。しかし、主題を表に出すことを躊躇している以上、インパクトには欠けるのだ。そのあたりを家族愛の描写でカバーしようとしても、虚しさだけが残る。長男の境遇を詳説しようとすると、それは即当局批判へ繋がる恐れがあり、製作自体が取りやめられる可能性があるのだろう。

 パナー・パナヒの演出はソツが無いとは言えるが、父親ジャファルと比べればやはり見劣りがする。ただし、モハマド・ハッサン・マージュニにパンテア・パナヒハ、ラヤン・サルラク、アミン・シミアルというキャストは申し分ない。イランの大地をとらえた映像は魅力がある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

対馬へ観光に行ってきた。

2023-10-01 06:10:38 | その他
 先日、長崎県の対馬に行ってきた。ここには過去2回訪れているが、いずれも仕事案件(具体的には、工事現場の視察)である。今回は純粋に観光のために嫁御連れで足を運んでみた。そのため、比較的ゆっくりと各スポットを見て回れた。厳原町にある対馬藩主宗家の墓所である万松院(ばんしょういん)は前回は時間が無くて本堂付近しか見学していなかったが、今回は墓石や樹齢1200年と言われる大杉がある奥の院まで進むことが出来た。

 対馬藩の藩船が使用した船着き場の跡や、烏帽子岳展望台、海中にそびえる鳥居が有名な和多都美神社、上見坂展望台、殿崎にある日露友好の丘などにも行ってみたが、改めてこの島には観光スポットが少なくないことを実感した。しかし、地元側のPR不足のせいか、他の九州の観光地に比べれば知名度がイマイチなのは残念だ。



 その代わり、韓国からの観光客は多い。一時はコロナの影響で減少していたが、最近は回復しているようだ。釜山からの船が北部の比田勝港に着く時間帯をあえて避けた日程を採用したので、団体客と遭遇することは無かったが、それでも韓国人を多数乗せている観光バスと何回かすれ違った。地元の人の話によると、韓国人客が当地にもたらす経済効果は年間95億円にも達するそうで、今や無くてはならない“収入源”になっているとのこと。対馬は平地が少なく農産物の収穫はさほど期待できない。そのためこの島は大昔から半島や大陸との交易が経済を支えてきている。

 さて、対馬に関するニュースで最近耳目を集めているのが、原子力発電所から出る高レベル放射性廃棄物(核のゴミ)の最終処分場を作るのどうのというネタだ。こういう話になると、条件反射的に政府当局側の主張を前面に押し立てて“受け入れて当然だ!”と言い切る右傾の人たちが湧いてくるみたいだが(苦笑)、地方には地方の“事情”があることを少しは知るべきだろう。



 断っておくが、私はこの問題について言及する資格も知識も持ち合わせていない。ただ、沖縄もそうだけど、こういう“国境の島”には本土(特に首都圏)の論理だけでは割り切れないものがあるのは確かだ。

 なお、毎度のことながら対馬で獲れる海産物は絶品である。機会があれば、また行きたいと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする