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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ビバ・マエストロ!指揮者ドゥダメルの挑戦」

2024-12-14 06:35:08 | 映画の感想(は行)
 (原題:IVIVA MAESTRO!)とても興味深いドキュメンタリー作品だ。題材になっているのはベネズエラ出身の世界的指揮者グスターボ・ドゥダメルである。ドゥダメルといえば2017年1月のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートで指揮を務めたことで有名だが、1981年生まれであり、この世界では若手に属する。

 ラテン系というのも珍しく、そのせいか彼のタクトから紡がれる音色は精緻かつ明るくノリが良い。今やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団から実力を嘱望されるほどの才能の持ち主であるが、映画はドゥダメルの音楽性を追求するような方向には行かない。本作の主眼は彼の“活動”についてである。



 本作撮影中の2017年に、ベネズエラの反政府デモに参加した若い音楽家が殺害される事件が発生。これを切っ掛け手に、ドゥダメルは現マドゥロ政権に対する批判記事をニューヨーク・タイムズ紙に投稿する。それまでノンポリなスタンスを取ってきた彼は、ここで明確に社会への発信力を意識したわけだが、そのせいで彼が主宰するシモン・ボリバル・ユースオーケストラとのツアーは中止に追い込まれてしまう。さらにドゥダメルは実質的に国外追放の処分を受けるのだ。

 ここで“ミュージシャン、特にクラシックの音楽家が政治に口出しするのは不適切だ”といった見方もあるとは思う。だが、音楽は社会に密接しているものであり、ましてや当事国の一員であるドゥダメルが関与してはいけないということは絶対ない。そもそも彼はかねてより経済的に恵まれない母国の若手音楽家の育成に取り組んでおり、社会体制あっての音楽であるという立場は崩せないのだ。

 こういう“社会の不条理と戦うミュージシャン”という彼の側面を映画は強調し、同時に音楽の持つ奥深さをも表現する。終盤で彼はベートーヴェンの曲を指揮するのだが、これは本当に気迫がこもっている。ベネズエラの状況を考え合わせると、そのパフォーマンスが彼個人の資質だけではなく、外に向かったメッセージをも内包しているのではと信じたくなるほどだ。

 監督のテッド・ブラウンの仕事ぶりは、スタンドプレイに走ることなく実直に素材を追っているあたり好感が持てる。クラシック音楽好きだけではなく、広く奨められるドキュメンタリーの佳編だ。
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江口寿史展に行ってきた。

2024-12-13 06:28:47 | その他
 先日、福岡市博多区下川端町にある福岡市アジア美術館で開催されていた「江口寿史展 EGUCHI in ASIA」に足を運んでみた。江口とは、もちろんあの漫画家のことだ。実を言えば、私は彼の初期作品「すすめ!!パイレーツ」や「ストップ!!ひばりくん!」には昔は大いに楽しませてもらったものだ。しかしながら漫画家としての活動は2000年代よりほとんど見られなくなり、イラストレーターとしての活動がメインになっていく。今回のイベントは、大型キャンバス作品やオリジナルの漫画原稿など総数約500点を網羅したかなりの規模で、見応えがあった。



 江口の絵柄で最も特筆されるのは、女性キャラクターの造型だ。ひと頃は“可愛い女の子を描かせれば他の追随を許さない”と言われたほどで、今回の展覧会も大々的にフィーチャーされている。そういえば連載誌でのインタビューで、どうやればそんなプリティな女子を描けるのかという質問に対し、彼は“可愛い子、可愛い子、出ておいで・・・・と執筆中に念じればいい”と答えていたのを思い出した。もちろん、凡人がいくらそう念じても可愛い子は出てこない(笑)。これが才能というものだろう。



 展覧会の宣伝文にもある通り、彼の作風は最近リバイバル・ブームになっているという80年代の若者文化やシティ・ポップなどとは、抜群の相性を示す。とにかく明朗で、何の陰りも無く、現実世界とは別の空間を形成している。見ていて本当に心地良いのだ。あと、漫画家、特にギャグ作品を得意とする作家は“寿命”が短いと言われるが、江口は早々にイラストを主戦場にしたおかげで今も元気に活動しているのだと思う。

 なお、彼は熊本県水俣市の出身であるが、2021年に当地の観光大使第1号に任命されていたことを今回初めて知った。肥薩おれんじ鉄道の「水俣号」のラッピングイラストも手掛けていたとのことで、一度その車両を見てみたかった。
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「対外秘」

2024-12-09 06:30:15 | 映画の感想(た行)
 (英題:THE DEVIL'S DEAL)イ・ウォンテ監督の前作「悪人伝」(2019年)ほどバイオレンス場面は多くはないが、この新作もヴォルテージは高い。作劇には荒っぽいところも見受けられるものの、展開は予測不能で緊迫感があり、エンドマークが出るまで引き込まれてしまう。こういうネタを扱えば、最近の韓国映画は無類の強さを発揮するようだ。

 92年、釜山の地方議員のヘウンは次期総選挙での大手政党の公認を約束され、出馬を決意する。しかし土壇場になって、フィクサーとして裏で権力を振るうスンテが自分の言うことを聞きそうな別の男に公認候補を変えてしまう。激怒したヘウンは、スンテのそれまでの悪行を記した極秘文書を手に入れて反転攻勢に打って出ると共に、ヤクザのボスであるピルドから選挙資金を得て無所属で出馬。スンテも黙ってはおらず、仁義なき選挙戦は果てしなく続く。



 とにかく、出てくるキャラクターが濃い。ヘウンは党公認を期待していた序盤こそコメディ的で軽量級の扱いだが、スンテに正面から対峙する中盤からは腹黒さがクローズアップ。悪徳政治家としての凄みが出てくる。スンテも目的のためならば人の命など屁とも思わない悪党で、この2人に比べればヤクザのピルドは青臭く見えるが、それでも凶暴さは遺憾なく描かれる。報道倫理など完全無視のマスコミ連中も含め、全員がワルだ。最後まで正義が反映される局面は無い。

 くだんの極秘文書をめぐるやり取りはあまりスマートとは言えず、後半のバタバタした展開は気になるが、それでも本作の吸引力は大したものだ。ストーリー自体はフィクションだが、92年といえば韓国で初めて大統領選挙と総選挙が同時に行われた年ということで、軍人出身ではない金泳三大統領が誕生したことも含めて、激動の時期であったらしい。映画で描かれたことが絵空事とは思えないのも、時代設定を吟味したイ・ウォンテ(脚本も担当)の手柄だろう。

 へウンに扮するチョ・ジヌンは、いかにも抜け目のない俗物を上手く演じている。スンテ役のイ・ソンミン、ピルドを演じるキム・ムヨル、いずれも満足出来るパフォーマンスだ。余談だが、今でこそ釜山広域市は韓国第2の大都市として知られているものの、90年代前半まではオリンピックを開催したソウルに随分後れを取っていたらしい。本作は釜山の発展前夜を取り上げたということで、その混沌とした状況も映画のアクセントになっていると思う。
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「ザ・キラー」

2024-12-08 06:33:16 | 映画の感想(さ行)

 (原題:THE KILLER)2023年11月よりNetflixから配信。第80回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門出品作であり、どういう出来映えなのかと興味を持って鑑賞に臨んだのだが、どうもパッとしない内容だ。監督のデイヴィッド・フィンチャーはたまに良い仕事をすることがあるものの、概ねあまり信用しておらず、今回も同様だった。

 自称“凄腕の暗殺者”と嘯く主人公の男は、その日もパリで用意周到に“仕事”を済ませるはずだったが、何と失敗してしまう。たちまち彼は窮地に陥り、世界中を逃げ回りながらこの一件に絡んでいる連中を次々と片付けていく。アレクシス・ノレントによる同名グラフィックノベルの映画化だ。

 この主人公は“仕事”に取りかかる前にやたら能書きを並べるようで、殺し屋としてのモットーやスタイルを蕩々と述べるのだが、それでいて素人臭いミスでターゲットを逃してしまうという、まるで見かけ倒しの輩である。ならばそのキザったらしい風体を逆手にとってコメディ路線に転化すれば面白いと思ったのだが、映画はこの主人公を徹頭徹尾クールに描こうとする。

 彼は各地で“仕事”を済ませるのだが、その段取りがじれったく、インパクトの強さやサスペンスなどは全然醸し出されていない。だいたい、別に複雑怪奇なストーリーでもないはずなのに、どういうわけか故意に複雑に撮られているのだからやり切れない。中盤からは筋書きを追うのを諦めて、もっぱらワールドワイドにロケされた風景を楽しむことにしたほどだ。

 撮影監督にエリック・メッサーシュミットという手練れを起用しているおかげで、陰影の深い映像には一目置きたい。音楽は「ソーシャル・ネットワーク」(2010年)以降のフィンチャー作品に欠かせないトレント・レズナー&アッティカス・ロスが担当しており、あまり前には出ないものの、的確な仕事を示していると思う。

 主演はマイケル・ファスベンダーなので、外見だけはサマになっている。ティルダ・スウィントンも敵役として出ていて、硬質な雰囲気は捨てがたい。しかし、他の出演者はどうも影が薄い。シナリオを手掛けたのはアンドリュー・ケヴィン・ウォーカーだが、彼はキャリアが長い割には質の高い仕事は見当たらない。このあたりの人選も、作品の出来映えに影を落としているのかもしれない。
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「ルート29」

2024-12-07 06:41:06 | 映画の感想(ら行)
 快作「こちらあみ子」(2022年)でデビューした森井勇佑監督の第二作ということで大いに期待したが、話にならない内容で落胆した。キャリアの浅い者が、早々と“作家性”とやらを前面に打ち出そうとするケースは少なくないとは思う。しかし、そこをしっかりと制御するのがプロデューサーの役目であるはずだ。今回のケースは、その職務を果たしているようには見えない。とにかく、オススメ出来ない映画だ。

 鳥取市で清掃員として働いている中井のり子は、他人と上手くコミュニケーションを取ることができず、いつも一人だった。ある日、彼女は仕事で訪れた病院の入院患者の木村理映子から「“姫路市に住んでいるはずの娘のハルを連れてきてほしい”と頼まれる。早速姫路へと向かったのり子は何とかハルを見つけるが、ハルは一筋縄ではいかない変わった女の子だった。森の中で自給自足みたいな生活を送り、初対面ののり子に勝手に“トンボ”というあだ名をつける。それでものり子はハルを連れて、姫路と鳥取を結ぶ国道29号線を進む。



 登場人物は正体の掴めない者ばかり。意味不明な風体で、言動も意味不明。そもそも、人付き合いの苦手なはずのヒロインが突如として入院患者の願いを聞き入れた理由が分からない。ハルがのり子につけた“トンボ”というニックネームの由来の説明も無く、旅の途中で出会う老人や野外生活を続ける親子、怪しい赤い服の女の行方など、すべてが途中で放り出されたような描き方だ。

 ネット上での評価をチェックすると“難解だ。分からない”といった声が少なくないようだが、これは別に観る者に理解が必要なシャシンではないだろう。作っている側としては、単に“(個人的に)撮っていて気持ちの良い絵柄”を綴っただけの話で、観る側にすれば理解する筋合いは無い。勝手にやってろという感じだ。

 のり子に扮する綾瀬はるかは“新境地”を開拓するかのように頑張っているが、ストーリーと演出がこの体たらくなので“ご苦労さん”と言うしかない。ハルは「こちらあみ子」の主役で鮮烈な印象を残した大沢一菜が連続して登板しているものの、役柄が絵空事である分、前回より存在感は後退している。

 伊佐山ひろ子に高良健吾、河井青葉、渡辺美佐子、市川実日子など面子自体は悪くはないが、いずれも効果的な使われ方はされていない。また何より困ったのは、基本的には題名通り国道29号線を踏破する話であるにもかかわらず、途中で脇道に逸れたりして、ロードムービーとしての興趣が出ていないこと。繰り返すが、プロデューサーは演出者の手綱を引き締めるべく、ちゃんと仕事をして欲しい。
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「異動辞令は音楽隊!」

2024-12-06 06:23:55 | 映画の感想(あ行)

 2022年作品。観ている最中に、監督で脚本も担当した内田英治はあの愚作「ミッドナイトスワン」(2020年)を手掛けていたことを思い出し、イヤな気分になった。そのことを象徴するように、本作のヴォルテージも低い。設定は実に面白そうなのに、どこをどうすれば斯様なつまらないシャシンに終わってしまうのか、ある意味感心してしまう(呆)。

 愛知県の地方都市で捜査一課に属する成瀬司は、犯人逮捕のためなら手段を選ばないベテラン刑事だ。高齢者を狙った強盗事件が多発する中、令状も取らず強引な捜査を繰り返した挙げ句、上司の反感を買って広報課内の音楽隊への異動を命じられてしまう。嫌々ながら音楽隊を訪れる成瀬だったが、そこに属していたメンバーの大半はやる気が無く、前向きなのはトランペット奏者の来島春子ぐらい。成瀬のストレスは大きくなる一方だ。

 まず、警察音楽隊の存在を軽んじていることが不愉快だ。各県警の音楽隊の演奏には何回か接したことがあるが、いずれも達者なパフォーマンスで観客のウケも良かった。間違っても本作で描かれたような問題刑事の左遷先や、多忙な職員が上層部から無理矢理にやらされる“余興”などという雰囲気は無い。さらに、この映画は音楽の扱いが本当に雑である。いずれの演奏も高揚感が希薄で、しかもブツ切りでじっくり聴かせてくれない。ラストのナンバーこそ長めにプレイされるが、別に上手いとも思わない。

 主人公の造型も褒められたものではない。令状無しでの猪突猛進など、コメディにもならない御膳立てだ。異動後も未練がましく元の職場に顔を出すと思えば、終盤には大した証拠も提示せずに“こいつがホシだ!”と断定にするに及び、作者は音楽だけでなく警察そのものも軽視している様子が窺われる。

 主演は阿部寛が務め、他に清野菜名や磯村勇斗、高杉真宙、板橋駿谷、モトーラ世理奈、渋川清彦、六平直政、光石研、さらに超ベテランの長内美那子や倍賞美津子など、演技が下手な面子は誰一人いないにもかかわらず、印象的な仕事をさせていない。なお、阿部寛はドラムスを担当しているが、最後までサマにならない。他の音楽隊の面々も、楽しそうに演奏しているようには見えないのだ。

 唯一の例外が、主人公の高校生の娘に扮する見上愛だ。音楽隊の一員ではないのだが、ギターを気持ちよさそうに弾きまくる。彼女は本当にギターが得意であるらしく、いっそのこと見上を主役に学園音楽ドラマでも作った方がナンボかマシだっただろう。
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「アイミタガイ」

2024-12-02 06:29:50 | 映画の感想(あ行)
 キャストは万全で、皆それぞれの持ち味を発揮させた良い仕事をしている。だが、ストーリーは大して面白くはない。もっとも、この筋立てで満足してしまう観客がけっこういることは確かだろうし、ネット上の評価はわりと良好のようだ。だが私のようなヒネた人間には(笑)、こういう“感動させてやろう”という作り手の意図が表に出てくるシャシンとは、どうも相性が悪い。

 ウェディングプランナーとして働く秋村梓は、親友の郷田叶海が仕事先で亡くなったことを知る。恋人の小山澄人との結婚に踏み切れない梓は、生前の叶海と交わしていたトーク画面に変わらずメッセージを送り続けるのだった。その頃、叶海の両親のもとに、ある児童養護施設から叶海に宛てたカードが届く。それを切っ掛けに、彼女の遺品のスマホに溜まっていたメッセージの存在が明らかになる。一方で金婚式を担当することになった梓は、叔母の紹介で知り合いの小倉こみちに当日のピアノ演奏を依頼するが、その際に中学時代の叶海との記憶がよみがえってくるのだった。中條ていの同名連作短編集の映画化だ。



 要するに“情けは人の為ならず”ということわざをベースに、善意が連鎖していく様子を描いた群像劇てある。身近で大切な者を亡くした悲しみと喪失感も、他者への善行によって癒やされて、その真心は伝播していくといった構図を平易な形で表現していく。また、そのコンセプトが無理なく伝わるように出てくるキャラクターは皆好ましいとも言える。

 だが、この筋書きはあまりにも御都合主義的ではないか。本作を観て思い出したのが、ミミ・レダー監督によるアメリカ映画「ペイ・フォワード 可能の王国」(2000年)である。受けた好意を他人に贈る“ペイ・フォワード”という行動に出る主人公を描いていたが、あの作品は出来の方はイマイチながら、メッセージがグローバルな方向に設定されており、コンセプト自体は訴求力が高かった。

 対してこの「アイミタガイ」は、関係者たちが梓を中心にした狭い範囲で“完結”しており、言いたいことが真にこちらに迫ってこない。そもそも、ヒロインはLINEが既読になった後も、何の疑問も抱かず引き続きメッセージを発出しているのはおかしいじゃないか。かと思えば、彼女と澄人の仲の良さはあまりクローズアップされていない。

 それでも梓に扮する黒木華をはじめ、中村蒼、升毅、西田尚美、田口トモロヲ、風吹ジュンなど演技巧者が顔を揃えているのは心強い。中でも叶海を演じた藤間爽子のフレッシュなパフォーマンスと、こみち役の草笛光子の円熟した仕事ぶりは捨てがたい。草野翔吾の演出は安全運転に徹してはいるが、印象は薄い。あと気になったのが、この企画は数年前に鬼籍に入った佐々部清監督が温めていたことだ。もしも彼がメガホンを取っていたならば、もっとタイトな作りになっていたかもしれない。
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「レディ・オア・ノット」

2024-12-01 06:30:07 | 映画の感想(ら行)
 (原題:READY OR NOT)2019年作品。お手軽なホラー編の佇まいで、普通は映画館での鑑賞対象外である。だが、配信のリストに入っていたので何となくチェックしてみた。結果、特別上等なシャシンではないものの、取り敢えずは退屈せずに最後まで付き合えた。上映時間が95分と短めなのも丁度良い。

 サバイバルゲームの製造販売で巨万の富を築いてきたル・ドマス家の御曹司アレックスと結婚したばかりのグレースは、一族に認めてもらうための伝統儀式に参加させられる。それは一族全員(使用人も含む)で実施される屋敷内での“かくれんぼ”だった。しかも隠れるのはグレースだけで、他のメンバーは武器を持って彼女の命を狙う。夜明けまで逃げきれたら彼女の“勝ち”らしい。本来彼女を守るべき新郎は早々に拘束され、いくらか頼りになるのは義兄のダニエルだけ。果たして、命がけのデスゲームをグレースは乗り切れるのか。



 グレースは腕に覚えがあるわけではなく、気が強いだけの普通の女だ。そんなヒロインが窮地に追い込まれ、ついに開き直って手段を選ばないスタンスに転じるあたりが、まあ面白いところか。ならば彼女の命を狙う連中はどうかといえば、いわゆる殺しのプロは一人もおらず素人ばかりなのは笑える。使う凶器もレトロなものばかりだ。

 結果として雰囲気は脱力系の方向に振れており、観る者の神経を特別逆撫でするようなモチーフが無いのは作品のマーケティング上有利だったもしれない。映画は終盤近くでオカルト趣味が突如満載になるのも御愛敬か。マット・ベティネッリ=オルピンとタイラー・ジレットの演出は、まあ及第点だろう。少なくともスピード感はある。主役のサマラ・ウィーヴィングは熱演。関係ないけど、彼女はちょっとエマ・ストーンに似ていると思う(笑)。

 アダム・ブロディにマーク・オブライエン、ヘンリー・ツェーニーといった脇の面子も悪くはない。義母役のアンディ・マクダウェルは久々に見たような気がした。一家の主に扮したニッキー・グァダーニは不気味でよろしい。ロケに使われた古い大邸宅はカナダのオンタリオ州オシャワにあるパークウッド・エステートで、雰囲気たっぷりだ。なお、この屋敷は「ジュラシック・ワールド 炎の王国」(2018年)の撮影にも使われたらしい。
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