キャストは万全で、皆それぞれの持ち味を発揮させた良い仕事をしている。だが、ストーリーは大して面白くはない。もっとも、この筋立てで満足してしまう観客がけっこういることは確かだろうし、ネット上の評価はわりと良好のようだ。だが私のようなヒネた人間には(笑)、こういう“感動させてやろう”という作り手の意図が表に出てくるシャシンとは、どうも相性が悪い。
ウェディングプランナーとして働く秋村梓は、親友の郷田叶海が仕事先で亡くなったことを知る。恋人の小山澄人との結婚に踏み切れない梓は、生前の叶海と交わしていたトーク画面に変わらずメッセージを送り続けるのだった。その頃、叶海の両親のもとに、ある児童養護施設から叶海に宛てたカードが届く。それを切っ掛けに、彼女の遺品のスマホに溜まっていたメッセージの存在が明らかになる。一方で金婚式を担当することになった梓は、叔母の紹介で知り合いの小倉こみちに当日のピアノ演奏を依頼するが、その際に中学時代の叶海との記憶がよみがえってくるのだった。中條ていの同名連作短編集の映画化だ。
要するに“情けは人の為ならず”ということわざをベースに、善意が連鎖していく様子を描いた群像劇てある。身近で大切な者を亡くした悲しみと喪失感も、他者への善行によって癒やされて、その真心は伝播していくといった構図を平易な形で表現していく。また、そのコンセプトが無理なく伝わるように出てくるキャラクターは皆好ましいとも言える。
だが、この筋書きはあまりにも御都合主義的ではないか。本作を観て思い出したのが、ミミ・レダー監督によるアメリカ映画「ペイ・フォワード 可能の王国」(2000年)である。受けた好意を他人に贈る“ペイ・フォワード”という行動に出る主人公を描いていたが、あの作品は出来の方はイマイチながら、メッセージがグローバルな方向に設定されており、コンセプト自体は訴求力が高かった。
対してこの「アイミタガイ」は、関係者たちが梓を中心にした狭い範囲で“完結”しており、言いたいことが真にこちらに迫ってこない。そもそも、ヒロインはLINEが既読になった後も、何の疑問も抱かず引き続きメッセージを発出しているのはおかしいじゃないか。かと思えば、彼女と澄人の仲の良さはあまりクローズアップされていない。
それでも梓に扮する黒木華をはじめ、中村蒼、升毅、西田尚美、田口トモロヲ、風吹ジュンなど演技巧者が顔を揃えているのは心強い。中でも叶海を演じた藤間爽子のフレッシュなパフォーマンスと、こみち役の草笛光子の円熟した仕事ぶりは捨てがたい。草野翔吾の演出は安全運転に徹してはいるが、印象は薄い。あと気になったのが、この企画は数年前に鬼籍に入った佐々部清監督が温めていたことだ。もしも彼がメガホンを取っていたならば、もっとタイトな作りになっていたかもしれない。
ウェディングプランナーとして働く秋村梓は、親友の郷田叶海が仕事先で亡くなったことを知る。恋人の小山澄人との結婚に踏み切れない梓は、生前の叶海と交わしていたトーク画面に変わらずメッセージを送り続けるのだった。その頃、叶海の両親のもとに、ある児童養護施設から叶海に宛てたカードが届く。それを切っ掛けに、彼女の遺品のスマホに溜まっていたメッセージの存在が明らかになる。一方で金婚式を担当することになった梓は、叔母の紹介で知り合いの小倉こみちに当日のピアノ演奏を依頼するが、その際に中学時代の叶海との記憶がよみがえってくるのだった。中條ていの同名連作短編集の映画化だ。
要するに“情けは人の為ならず”ということわざをベースに、善意が連鎖していく様子を描いた群像劇てある。身近で大切な者を亡くした悲しみと喪失感も、他者への善行によって癒やされて、その真心は伝播していくといった構図を平易な形で表現していく。また、そのコンセプトが無理なく伝わるように出てくるキャラクターは皆好ましいとも言える。
だが、この筋書きはあまりにも御都合主義的ではないか。本作を観て思い出したのが、ミミ・レダー監督によるアメリカ映画「ペイ・フォワード 可能の王国」(2000年)である。受けた好意を他人に贈る“ペイ・フォワード”という行動に出る主人公を描いていたが、あの作品は出来の方はイマイチながら、メッセージがグローバルな方向に設定されており、コンセプト自体は訴求力が高かった。
対してこの「アイミタガイ」は、関係者たちが梓を中心にした狭い範囲で“完結”しており、言いたいことが真にこちらに迫ってこない。そもそも、ヒロインはLINEが既読になった後も、何の疑問も抱かず引き続きメッセージを発出しているのはおかしいじゃないか。かと思えば、彼女と澄人の仲の良さはあまりクローズアップされていない。
それでも梓に扮する黒木華をはじめ、中村蒼、升毅、西田尚美、田口トモロヲ、風吹ジュンなど演技巧者が顔を揃えているのは心強い。中でも叶海を演じた藤間爽子のフレッシュなパフォーマンスと、こみち役の草笛光子の円熟した仕事ぶりは捨てがたい。草野翔吾の演出は安全運転に徹してはいるが、印象は薄い。あと気になったのが、この企画は数年前に鬼籍に入った佐々部清監督が温めていたことだ。もしも彼がメガホンを取っていたならば、もっとタイトな作りになっていたかもしれない。