♪♪ 私の お寺ライフ ♪♪

 ブログアップして9年目に突入。相変わりませんが、私の「如是我聞」をお送りします。南無阿弥陀仏

慶聞抄 9月号

2016-08-25 13:06:40 | 随想

慶(きょう)聞(もん)抄(しょう)
  2016(平成28)年9月号
(NO・34) 了雲寺 釈幸華

 戦没者追悼式 

8月15日、柏原市遺族会から戦没者追悼式に呼んでいただきました。JR高井田駅近く、桜の名所・小高い高井田公園に天湯川田神社があって、その社殿の並びに戦没者の慰霊塔があります。柏原市仏教会でまわってくるお役目ですが、前回と同じく僧侶何人かのうちの一人かと思っていたら、何とお坊さんは私一人。「導師をお願いします」と、世話役の方に言われました。

 早い目に着いていて良かった!坂道を自転車を引きずってきたので、汗ダクダク・・。眼鏡をとってタオルで顔を拭きます。しかし、幕を張ったりお花を供えたりして準備なさっておられる十数人の方々の前で「暑い!」などと言っておられる状態ではありません。社殿の軒下に敷いてもらったゴザの上に、色衣に着替えて座って控えました。すると、さっきまでやかましかった蝉の声が急に止んだのです。何と静かな・・。紙コップに冷たいお茶を勧めてくださった女性と、しばし空を仰ぎました。カンカン照りではなく、程よいうっすら曇りの空。しっかりお勤めさせていただこうと、心を整えました。
塔の中は、大きな観音菩薩像。囲む壁面に地区ごとに亡くなられた方々のお位牌がぎっしり。正確な戦没者の人数は知りませんが、遺族会の会員は300余名。この日のお参りの方は27名と聞きましたので、高齢化を思うとこの後いつまで追悼式が続けられるのか、寂しい気持ちになります。「仏説阿弥陀経」を精一杯の大きな声でお勤めしました。*写真は、ウェブサイトで柏原市の広報を探っていて出会ったもの。去年4月の合同追悼式の様子。右下黄色の衣姿が私。

「それなら私が泣き叫ぶ」

これは朝日新聞紙上「折々のことば」で出会った音楽評論家、湯川れい子さんの言葉。彼女のお父さんは、元海軍大佐。父のいとこは山本五十六の妻というように、親戚は軍人一族。そんな中で育った母は、夫を亡くした時も、長男を亡くした時も涙ひとつ見せなかったといいます。これを聞いて彼女が口にした一言。彼女がそう言ったとき、お母さんは初めて目に涙を浮かべられたそうです。
私は、絶対一人の時は泣いておられたと思うんだけど・・。人目を避けて泣いておられたはず。勿論、人目もはばからず泣ける方がいいに決まってる。湯川さん、私も絶対泣き叫ぶからね!それより、戦死なんてこれから先も、絶対無いんだからね!そうでなくちゃ、71年目の追悼式、やる意味が無い・・・。

“大本営発表”は今も?

永六輔さんや大橋巨泉さんの訃報が続いたある日、欽ちゃん(コント55号の萩本欽一さん)の話の中にこんなのがありました。
「二郎さんがコントでこう言ったの。神も仏も佐藤総理大臣もあるものかっ・・て。これがNHKで放送されたら、佐藤総理大臣だけがカットされちゃっってんの。」
 日本が自由の国であることに疑いはないけれど、こういうことを耳にすると、ホントにそうかって考えてしまいます。マスメディアが時の権力におもねっていては、何を信じていいのやら。実際、世界の中で日本のマスメディアの評価は今、かんばしくありません。官庁はもとより、会社やその他の組織を風通しの良いものに。平和とは思ったことが言えること。当然地域で、家庭で。
15日 五輪SMAPこの平和 ( どなたかの川柳) 

*お寺カフェ、9/21、10/19(水)     合掌
コメント
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