2024(令和6)年 9月号(No.130) 了雲寺 釈幸華 |
慶聞抄(きょうもんしょう)
毎年9月18日、宗門として東京・国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑で全戦没者の追悼法要をお勤めします。恒久平和の願いを新たに撞かれる「平和の鐘」に合わせ、当寺としても取り組みます。
あの戦争は何だったのか
今年のお盆こそは高知でと、JRのチケットを買い求めたその日、日向灘を震源とするマグニチュード7の地震が起こりました。「大規模地震発生可能性が平常時に比べて高まっている」との気象庁の発表を受け、南海トラフの赤色に塗られた海岸にあるつれあいの町は、翌日早々に盆踊りと花火大会の無期延期を決定しました。数百回に1回の確率でも「高まっている」には違いないけど、何とも腹立たしいです。
腹立たしいと言えば、戦前の「総力戦研究所」。朝ドラの寅子の再婚相手となるべく登場した星航一の葛藤の原因は、そのエリート集団の一人であったことでした。あの戦争は、当時の「無知な軍部」が暴走したのではなく、机上演習によって「必敗」という結論が中枢機関で予測されていたのにも関わらず黙殺されたのです。「臣民」には知らせることなく! だったら戦後の私たち「国民」は、そこを掘り下げて聞いていかなあかんのと違いますか?
毎年執り行われる8月15日の「全国戦没者追悼式」。この日を終戦の日とすることを「8.15神話」と呼び、日本のメディアの戦争・平和報道を他者の存在と降伏の事実を忘却した戦争認識に導くとの指摘があります。
「日本が連合国にポツダム宣言受諾を伝えたのは14日、15日はどの前線でも戦闘は続いていました。『終戦』は相手国のある外交事項です。降伏文書に調印した9月2日が国際法上の終戦日であり、翌3日をロシアも中国も対日戦勝日としています。交戦国ではなく、あくまでも『臣民』に向けた『玉音放送』があった日を節目としていること自体、極めて内向きの論理に基づいています」 *メディア史家・佐藤卓己氏
我が寅子、「そもそもあの戦争とは何だったのか」とつぶやきました。原爆の被害者によるいわゆる「原爆裁判(55~63年)」の裁判官になった時です。モデルの三淵嘉子さん、裁判長古関さんら3人は、世界で初めて国際法違反との判決文を書きました。そして政治の責任も。
「国家は自らの権限と自らの責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだのである。しかもその被害の甚大なことは、とうてい一般災害の比ではない。被告がこれに鑑み、十分な救済策を執るべきことは多言を要しないであろう。」
判決は、原告が求めた国家賠償法による賠償請求は認めませんでしたが、その後政治を動かし、68年の「原爆被爆者に対する特別措置法」などに繋がっていきます。以下はこの時の被告=日本政府の主張です。「原子爆弾の使用は日本の降伏を早め、戦争を継続することによって生じる交戦国双方の人命殺傷を防止する結果をもたらした。かような事情を客観的にみれば、広島・長崎両方に対する原子爆弾の投下が国際法違反であるかどうかは、何人も結果を下し難い。」 けっして米政府の、ではありません! *ジャーナリスト・佐藤和雄氏
先に帰省していたつれあいの「アヅイ~ッ」という電話のしわがれ声を聞くうちに、帰らなくて良かったと思えてきました。南海トラフが暴れ出したら津波でみんな持って行かれるのは必然。今更エアコンを新調する気はサラサラないし、お盆に高知は未来永劫無いやろうなぁと遠い目をしてサチコはつぶやくのでした。
9月を「平和を考える月間」に! 世界標準の終戦日45年9月2日、サンフランシスコ講和条約・日米安保条約調印日51年9月8日、満州事変勃発31年9月18日
合掌
釈明和 の
明る~く和む今月の一言
まだまだ蒸し暑い日が続きますが、立秋を迎え、暦の上で秋が始まっています。
ホンマかいなー??と季節にツッコミを入れていたらまさかの南海トラフの地震。お盆のご予定を変更した方も多いと思います。
毎年、台風や地震といった災害が多くなっています。了雲寺でも、水道、ガス、電気が止まる、物流が止まるといったライフラインが絶たれた時にできる対策を考えたいと思います。
皆が困ったときに、いざという時に頼れるお寺にしていきたい。
冷暖房の設備や、備蓄なども考えていかなくてはなりません。災害だけでなく、大和高田線の大規模な渋滞で車が立ち往生などになれば、トイレの貸し出しや炊き出しなどもしなければなりません。
その時は、皆さん、ご協力お願いしますね。
気候変動に物価高、戦争、考えることは沢山ありますが、1番の備蓄は、家族の健康と笑顔ですね。
まだまだ暑い日が続きますが、笑って乗り切りましょう。