♪♪ 私の お寺ライフ ♪♪

 ブログアップして8年目に突入。相変わりませんが、私の「如是我聞」をお送りします。南無阿弥陀仏

慶聞抄2024年5月号

2024-04-21 20:56:17 | 随想

2024(令和6)年

5月号(No.126)

了雲寺 釈幸華

 大阪府なるかわ園地のつつじ

 

人生を味わい尽くす

新入社員関係のニュースを見ていてビックリしたことには、ある会社の自販機は社員のIDカード2つを同時にピッとして初めて飲み物が出て来るのだと。「ちょっと一息入れようか」と近くの誰かに声をかけるきっかけになれば、との社内装置だそうです。

事態はそこまで来ているのか!コミュニケーション能力がどうの、とか言われてから久しいですが、大阪のおばちゃんとしてはまるで理解できません。逆に一人で飲む自由はどうなるの?
 

考えてみると、コロナでなくても人と関わる機会が少なく浅くなりました。かつては100人もいたという子ども会はとうになくなり、小学校の集団登校も姿を消しました。学年の違う子どもが一緒に遊ぶ中で、自然に上のものが下のものの世話をし、また下も兄ちゃん姉ちゃんに学ぶのです。

「ごまめ」というハンディのある子も参加できるルールを考える地域ごとの子ども文化もありました。遊びもおひとり様ゲームの今、何をか言わんやです。

先日、中学校(既に廃校)時代の2回目の同窓会がありました。(1回目は1昨年かその前かと適当に言ったら、5年前やと言われて愕然!)法事が入っていたので、2次会のカラオケに参加。

隣に座ったのが、野球部エースのKさんであることが途中で判明! 携帯の甲子園出場の写真を見せてくれ、孫も野球をやっていることを教えてくれました。こんなに親しく話したのは初めてです。とにかく野球が強くて県の大会で3連勝。PTAが動いてくださって出来た吹奏楽部の1期生が私たちでした。

NHK番組の「チコちゃん」ふうに言えば、今年みんな13歳+60歳です。還暦を引いたら、ちょうど出会った時の中学1年生。上がってくる3小学校の一つに母が勤めていたので、私が○○先生の子であることがバレています。優等生キャラを演じるしかない私にとって、学校はけっこう窮屈で、あんまり居心地のいいものではありませんでした。

 

それでも田んぼの中の道を自転車で通い、ぬか袋で廊下(トイレも!)を磨き、東京オリンピックの聖火ランナーを応援する列に並びました。初めての恋も知り、先輩のピッチャーや大学出たての先生に憧れた痩せっぽちの少女は、立派なお婆さんになりました。参加者のそれぞれが中学生の面影を少し残して写真に納まっています。

のっぺりした日常に、パッと鮮やかな色彩を得た感じがします。物故者も幹事さんから報告されていましたし、連絡が取れない人もかなりおられるようです。どこかで元気になさっておられたらいいのですが。互いに病気や薬のことを言い合いますが、同窓会に参加するだけで恵まれているのではないかと思います。

法事が自分に繋がる故人とのご縁を確かめる機会なら、同窓会は同じ年代に生まれたご縁を振り返る機会だと言えます。どちらも今ある自分に欠かせない大切な存在に違いありません。その故人に、その出会いに思いを馳せるひと時が、人生を豊かにしてくれる時間であり、それがそのまま人生を味わい尽くすということなのかなぁと思うこの頃です。

 

人身(にんじん)受け難し、今巳(すで)に受く、仏法聞き難し、いま巳に聞く。*礼讃文冒頭

 

で、次はいつ?って聞いたら、誰かが「5年後かな」って。それは無い(かも)!  合掌

 

学校行くの⁈ 行かないの⁈ 13

  

坊守の由美です。

 

子どもの不登校の1番の心配は、子どもの健康面ではなく、子どもの将来についての不安だと思います。

 

この先、 義務教育が終わったらどうなるのか? 高校は? 大学は? 就職は? ニュースでよく耳にする8050問題になったらどうしよう?

 

そんな親の不安や焦りが子どもに伝わり、優しい子どもたちはますます自信をなくし、心を塞いでしまいます。

 

一番大切なのは、心と身体の健康です。

心と身体の健康を害するなら、学校も職場も離れるべきです。

 

生きてこそです。

生きること以外は、オプションのようなもの。人生100年時代、長い暇つぶしのようなもの。勉強するもよし、スポーツするもよし、結婚するもよし、何にもしないもよし、何を選んでも良いのです。

 

生きているだけで100点満点!!

 

ありがたいことに日本では15歳まで教育が受けられ、健康保険があり、年金があります。母子家庭、障碍者の手当、生活保護、自己破産など、最低限生きることは担保されています。

 

その上、物価は安く、100均だけで生活が成り立つほど便利な国です。こんな恵まれた環境で、子どもたちが苦しんでいるのは、社会全体の問題だと感じます。

 

子どもにとって社会というのは、家庭なんです。小さい頃は親が全て。親の価値観が、社会の価値観となります。親の価値観もアップデートしていかないといけないですね。

この不登校シリーズはこれにて最終回となります。今後は気づいたことを、徒然に書いていきたいと思います。

 

ご拝読ありがとうございました。

              (了)

 

 

*8050問題・・80代の親が50代の子どもの生活を支えるという問題。背景にあるのが子どもの「ひきこもり」です。「ひきこもり」という言葉が社会に出始めた1980年代~90年代は、若者の問題とされていましたが、30年以上が経ち、当事の若者が40代~50代、その親が70代~80代となり、長期・高齢化しました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

慶聞抄2024年4月号

2024-04-01 15:12:15 | 随想

2024(令和6)年

4月号(No.125)

了雲寺 釈幸華

慶聞抄(きょうもんしょう)

了雲寺・春の2番手の朱木蓮(1番手は梅)

 

愚僧のうちあけ話

 

先月号に、二人の仏婦大先輩にお会いした話の後、「今この時も、床に臥せっておられる方もおいでになる」と書いたのですが、そのうちのお一人が往生されました。

「仕事」柄、お葬式に「慣れている」私ではありますが、表白(ひょうびゃく)の終わりごろに不覚にも泣きそうになって慌てました。アカンアカン・・必死に声を張り上げて喉の奥の震えを押し込めたのです。心を込めてお勤めはせないかん。しかし、込めすぎては「仕事」にならん。進退きわまれり・・。

お逮夜参りにしろ、ご法事にしろ、お参りから帰るとそのままお内仏の前に座り、その日の報告と無事にお勤めできたことのお礼を申し上げることにしています。僧侶になり始めの頃、友人に「お葬式も出来るんやで」と自慢気味に言っていた私ですが、それが続いた時など流石に寺の娘に生まれた因果を思って、しばし如来さまを恨めしく見つめることもあるのです。

この度、オヨメの由美がお得度させていただきました。「正信偈」の暗唱という事前の課題をよう頑張りました。私の時は、今の彼女よりちょっと若い40歳の夏でしたけれど、寺に生まれながら暗唱まではできていませんでした。

しかも、父に京都に行ってこいと言われて「親鸞さんのことは勉強させてもらってもいいけど、お寺のことは知らんで。」と、また余計な憎まれ口をたたいたものです。その翌年の秋に交通事故で往生するのですから、ようその時にしといたなぁと思います。時に父は75歳。大腸癌の手術もしたし、やっぱりそういう時期にかかっていたのでしょう。

お坊さんにはなったものの、住職になるにはもう一段階「教師」資格がいります。母の介護も意識して早めに退職(直前に往生してしまいましたが)、中央仏教学院の通信教育(3年間)を受け出したのが58歳の秋でした。

その頃のスクーリングで京都に行った時のことです。学院の角坊(すみのぼう・親鸞聖人入滅の地)方面行のバスに乗り合わせた男性がいました。目的地が同じと見当がついたので声をかけると、北陸からの参加と言ってこんな話をされたのです。「うちの住職がえらいこと(たしか借金とか)しでかして逃亡したのです。ムラのものが集まって相談した結果、誰か京都に行って勉強して来い、という事になって私がそうすることになりまして。」

言う方も言う方やけど、受ける方も受ける方やなぁ・・。お伽話のような村落共同体が未だあったのですね。同じようなことは、ハワイやブラジル移民の日本人共同体でもあったやろうし、在日朝鮮人のハルモニ(お婆さん)からも聞いたことがあります。定住してしばらくしたら、何を置いてもお寺やと。

そもそも「僧」とは、サンスクリット語のサンガ・samghaの音写語で、修行者の集り、共同体を言います。そして釈○○の法名をいただいたという事は、時空(2500年の、日本とインドの)を越えて、お釈迦さまのお弟子になったということ。しかも立教開宗800年のこの年に! 

はなむけに中仏の学びの受け売りを。

善き友が仏道の全てである。善き友とは仏道を歩もうとする人。善き友になることで、病まねばならない人間にして病より自由に、死なねばならない人間にして死より自由に。

不思議なご縁で、また一人僧侶が誕生しました。ようこそ了雲寺サンガへ!ようこそ石川南組・浄土真宗本願寺派サンガへ!

                              合掌

 

  あっ! 虹が・・!

 

学校行くの⁈ 行かないの⁈ 12

  

坊守の由美です。

 

待ちに待った春が来ました。心が弾みますね。なんだかウキウキします。

 

しかし、春は、卒業、入学シーズンです、不登校児を持つ母親にとっては、辛い時期なんです。

 

同級生たちが晴れ晴れした姿で式を迎えて、写真を撮ったり、感激で涙したりしているのに、うちは・・・と曇りがちになってしまいます。

 

卒業式、入学式は、絶対行かないといけないものではありません。

 

学校に行くのに抵抗がある子どもなら、欠席でも大丈夫です。後日、本人か家族が卒業証書、または詳細を聞きに行けばよいのです。

 

卒業式だけは・・入学式くらいは・・という母親の気持ちは良く分かりますが、友達が一人もいない式に参列して、針を刺される思いをさせるのはいたたまれません。

 

親の思いだけで無理強いするのは、今後の親子関係に影響します。

 

式に参列できないなら、家でケーキでも買ってお祝いをするのはどうでしょうか?賞状なんかも作って、授与しても良いですね。

 

お母さんが「100点満点、良くできました❤卒業おめでとう㊗」と言えば、それが一番思い出に残る素晴らしい式になるはずです。

 

誰が何と言おうとも、お母さんの一言が絶大な影響力があります。

子どもの一番の応援陀長であってほしいですね。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする