2024(令和6)年 5月号(No.126) 了雲寺 釈幸華 |
大阪府なるかわ園地のつつじ
人生を味わい尽くす
新入社員関係のニュースを見ていてビックリしたことには、ある会社の自販機は社員のIDカード2つを同時にピッとして初めて飲み物が出て来るのだと。「ちょっと一息入れようか」と近くの誰かに声をかけるきっかけになれば、との社内装置だそうです。
事態はそこまで来ているのか!コミュニケーション能力がどうの、とか言われてから久しいですが、大阪のおばちゃんとしてはまるで理解できません。逆に一人で飲む自由はどうなるの?
考えてみると、コロナでなくても人と関わる機会が少なく浅くなりました。かつては100人もいたという子ども会はとうになくなり、小学校の集団登校も姿を消しました。学年の違う子どもが一緒に遊ぶ中で、自然に上のものが下のものの世話をし、また下も兄ちゃん姉ちゃんに学ぶのです。
「ごまめ」というハンディのある子も参加できるルールを考える地域ごとの子ども文化もありました。遊びもおひとり様ゲームの今、何をか言わんやです。
先日、中学校(既に廃校)時代の2回目の同窓会がありました。(1回目は1昨年かその前かと適当に言ったら、5年前やと言われて愕然!)法事が入っていたので、2次会のカラオケに参加。
隣に座ったのが、野球部エースのKさんであることが途中で判明! 携帯の甲子園出場の写真を見せてくれ、孫も野球をやっていることを教えてくれました。こんなに親しく話したのは初めてです。とにかく野球が強くて県の大会で3連勝。PTAが動いてくださって出来た吹奏楽部の1期生が私たちでした。
NHK番組の「チコちゃん」ふうに言えば、今年みんな13歳+60歳です。還暦を引いたら、ちょうど出会った時の中学1年生。上がってくる3小学校の一つに母が勤めていたので、私が○○先生の子であることがバレています。優等生キャラを演じるしかない私にとって、学校はけっこう窮屈で、あんまり居心地のいいものではありませんでした。
それでも田んぼの中の道を自転車で通い、ぬか袋で廊下(トイレも!)を磨き、東京オリンピックの聖火ランナーを応援する列に並びました。初めての恋も知り、先輩のピッチャーや大学出たての先生に憧れた痩せっぽちの少女は、立派なお婆さんになりました。参加者のそれぞれが中学生の面影を少し残して写真に納まっています。
のっぺりした日常に、パッと鮮やかな色彩を得た感じがします。物故者も幹事さんから報告されていましたし、連絡が取れない人もかなりおられるようです。どこかで元気になさっておられたらいいのですが。互いに病気や薬のことを言い合いますが、同窓会に参加するだけで恵まれているのではないかと思います。
法事が自分に繋がる故人とのご縁を確かめる機会なら、同窓会は同じ年代に生まれたご縁を振り返る機会だと言えます。どちらも今ある自分に欠かせない大切な存在に違いありません。その故人に、その出会いに思いを馳せるひと時が、人生を豊かにしてくれる時間であり、それがそのまま人生を味わい尽くすということなのかなぁと思うこの頃です。
人身(にんじん)受け難し、今巳(すで)に受く、仏法聞き難し、いま巳に聞く。*礼讃文冒頭
で、次はいつ?って聞いたら、誰かが「5年後かな」って。それは無い(かも)! 合掌
学校行くの⁈ 行かないの⁈ 13
坊守の由美です。
子どもの不登校の1番の心配は、子どもの健康面ではなく、子どもの将来についての不安だと思います。
この先、 義務教育が終わったらどうなるのか? 高校は? 大学は? 就職は? ニュースでよく耳にする8050問題になったらどうしよう?
そんな親の不安や焦りが子どもに伝わり、優しい子どもたちはますます自信をなくし、心を塞いでしまいます。
一番大切なのは、心と身体の健康です。
心と身体の健康を害するなら、学校も職場も離れるべきです。
生きてこそです。
生きること以外は、オプションのようなもの。人生100年時代、長い暇つぶしのようなもの。勉強するもよし、スポーツするもよし、結婚するもよし、何にもしないもよし、何を選んでも良いのです。
生きているだけで100点満点!!
ありがたいことに日本では15歳まで教育が受けられ、健康保険があり、年金があります。母子家庭、障碍者の手当、生活保護、自己破産など、最低限生きることは担保されています。
その上、物価は安く、100均だけで生活が成り立つほど便利な国です。こんな恵まれた環境で、子どもたちが苦しんでいるのは、社会全体の問題だと感じます。
子どもにとって社会というのは、家庭なんです。小さい頃は親が全て。親の価値観が、社会の価値観となります。親の価値観もアップデートしていかないといけないですね。
この不登校シリーズはこれにて最終回となります。今後は気づいたことを、徒然に書いていきたいと思います。
ご拝読ありがとうございました。
(了)
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*8050問題・・80代の親が50代の子どもの生活を支えるという問題。背景にあるのが子どもの「ひきこもり」です。「ひきこもり」という言葉が社会に出始めた1980年代~90年代は、若者の問題とされていましたが、30年以上が経ち、当事の若者が40代~50代、その親が70代~80代となり、長期・高齢化しました。