♪♪ 私の お寺ライフ ♪♪

 ブログアップして9年目に突入。相変わりませんが、私の「如是我聞」をお送りします。南無阿弥陀仏

慶聞抄2021年3月号

2021-02-22 16:47:23 | 随想
慶聞抄(きょうもんしょう)




わきまえないで

 
低くしわがれた男性の声が受話器から聞こえました。お連れ合いを失くして一人住まいの方からです。熱が出てしんどいので今月のお参りは無しで、ということでした。医者には掛かっているということだったのでそれ以上お話できませんでした。
 
年末から今年初めにかけて、高齢者施設に入所されたのが2人、病気のケア施設へ1人、怪我や体調悪化でお休みが2人と立て続けにお参りを遠慮していて、寂しいことです。そんな中で寂しいけれどちょっとほっとしたこと。同居の娘さんが3回続けて対応してくださったので、どうしたことかとお母さんのご様子を聞くと、「寝たり起きたり」なのでお仏壇のお給仕のバトンタッチをしましたとのことでした。

「憎まれっ子世にはばかる」といいますが、この人は「老害」ですね。五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長の女性蔑視発言。発言を撤回して幕引きをと考えましたが、世界が許さず(うちの報道官=ツレによりますと、大口のスポンサーのトヨタが下りると言ったから)辞任にいたりました。お詫び会見の態度も褒められたものでなく、しない方が良かったようなものでした。それより問題は評議員会で咎める人がいなかったこと、笑っていた人もいたそうで、差別を見抜けなかったことになります。
 
では、何が差別になるのか。
「女性っていうのは競争意識が強い」。競争意識は性別と何ら関係がありません。男でも女でも強い人は強く、弱い人は弱い。こんなふうに十把一絡げのくくり方を「偏見」といいます。差別の始まりです。
 
「女性がたくさん入っている理事会は、時間がかかります。」そうでない理事会は「みんなわきまえておられて」。この「わきまえる」ですが、漢字にすると「弁える」です。古字は辨など3つあって、従って意味がいろいろある言葉です。①見分ける②こころえる③つぐなう。英字ニュースではdiscern(①判別する)が用いられたようですが、これはぴったりくる言葉がないのでちょっと違います。ここでは、②こころえる、つまり、忖度して上に合わせ主張しないということ。正確に訳したら「ごちゃごちゃ言わんと大人しく聞いとったらええねん」ということになります。
 
そもそも女性が理事会に入ってきたことが気にくわない。今まで年功序列、上意下達で意のままにきたものが、何でここにきて、というところでしょうか。こういうのに慣れてしまった会議で異論を挟むのは容易ではないでしょう。「それはちょっくら違うよ」と軽く言えるのは権威や地位などというものと関係ないところで生きている寅さんかうちのツレくらいのものでしょうか。

だから「ダイバーシティ=多様性」が大事なのです。物事を決める場には老若男女、障碍者、外国人、いろんな人がいる方がいい。また、十把一絡げに人をくくるのもやめた方がいい。一人一人違うという事実を見逃します。

そしてこの人を見るまなざしは他でもない如来さまのもの、ということにやがて気づかされます。

今回は2回もツレが登場しました。「コロナ」の影響です。フツーなら高知でお酒を飲むかさすらっているはずの人ですから。それもあって、私は順調に山へ。酒場俳人の吉田類さんの「日本百低山」の向こうを張って「日本百迷山」。                合掌


ダイトレの端っこ、槇尾山より望む岩湧山
コメント
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