好久(ハオジュウ)不(ブ)見(ジェン)
ここのところ、数日おきに懐かしい人との会合がありました。一人目は、年賀状で毎年のように今年こそおしゃべりしようねと言い合う隣町の友人。改装してから一遍行ってみたいと私が希望した**食堂に車で連れってくれました。
もう20年近くも前のこと、広報で知った中国語講座の二人だけの生徒同士でした。ハウジュウブージエン!(お久しぶり)留学生の先生のお話がとても優しくて興味深いものでした。少年野球チームの交流に付き添って、一緒にオリンピック前の北京に出かけたのも貴重な体験でした。
二人目は弟。小物入れを探っていたら、亡き母の手あかのついたがま口が出てきて、中に五百円玉などで2631円入っていました。9月は母の誕生月。今年は生誕百年になるので弟を駅前のうどん屋さんに誘いました。同じ町内に住んでいるのにここんとこいつ会ったのかも思い出せないほどです。祖母に抱かれた2歳くらいの母の写真を前に、懐かしのアルバムを開いて語り合いました。どの母の写真も、今の私たちよりもずっと若いものでした。
三人目は、この2年逢えていない高校時代のグループの一人。先般、彼女の住む滋賀県長浜に避難指示が出た時、大きな旧家に一人住まいなので皆で心配したものです。たまたま、私が伊吹山に登る帰りに顔を見てくるわと言ったら、彼女だけがグループラインに入ってないので、ラインに入れてきてとのミッションを帯びました。お泊りの夜に、恐る恐るその話を持ち出したら、「今はいいわ」と軽くいなされ、それ以上は言うこともできず撃沈。翌朝、畑の草取りを手伝いました。
自然にお互いの健康問題に話は及び、私は腎臓の数値が悪いこと、彼女は股関節が痛んで思うように作業が出来ないでいることを言い合いました。そのうちやっぱり話はお連れ合いのことになります。
「青春ジャーニー」とよんでる私たちの恒例の一泊二日のお楽しみは、3年前の2019年5月末の鳥羽方面が最後です。その年末に、彼女からの年始の欠礼ハガキがいきなり来たものだから、エライ騒ぎになったのでした。年が明けて1月の終わりに、ライン組3人でお弔いに出かけ、近くにとった宿に彼女も来て皆でお泊まりしました。
5月には何もなかったお連れ合いは、7月になって「疲れた」と言うことが多くなり、8月に黄疸が出る事態になって受診。肝臓に悪性腫瘍があるのが分かって、余命半年と宣告されたのが8月半ば。あっけにとられているうちに事態は進み、9月1日に往生。行年68歳。
今回初めて聞いたことです。亡くなる少し前、失明に至る目の病気も抱えていて、将来に不安もあったのでしょう、「ここで終わるのも悪くない。」とつぶやかれたそうです。強がって言ってるのかと思って確かめると、本心からそう思っていることが伝わってきたそうです。そして彼女は何度も何度も繰り返しました。「ここで終わるのも悪くない。」 きっとこの言葉に彼女自身も救われたに違いありません。
能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃
凡聖逆謗斉廻入 如衆水入海一味
阿弥陀仏の救いを喜ぶ人は、煩悩を断ち切らないまま悟りを得ることができる。本願海に入れば、どの川の水も海に入ると一つの味になるように、等しく救われる。
南無阿弥陀仏 合掌