♪♪ 私の お寺ライフ ♪♪

 ブログアップして9年目に突入。相変わりませんが、私の「如是我聞」をお送りします。南無阿弥陀仏

慶聞抄2022年11月号

2022-10-20 18:42:13 | 随想
慶聞抄(きょうもんしょう)


 Where We Live・・のコピーは、この裏側の壁に
 
ウトロで出会う

大阪教区の同朋講座・現地研修会(10/18)で、宇治市ウトロ地区に行ってきました。去年8月の放火事件で「憎悪犯罪(ヘイトクライム)」として注目されたところです。若いころ、一度来たことがあったのですが、全く様子が違っていました。

駅から歩いて行くと、真新しい3階建ての建物(ウトロ平和祈念館)がすくっと現れ、その壁の上から下に向けて「where We Live Where We Meet (ウトロに生きる、ウトロで出会う)」とあるのです。もうこのスマートさにヤラレました。

そしてまた、田川明子館長(77)のステキなこと。元高校教師で若いころからかかわってこられた人です。事件を報じるDVDの後、静かにお話は始まりました。
「これ(放火事件)は、日本社会の恥です。人権にかかわることは、イメージする力が必要です。それが歪まないために正確な情報を得なければなりません。」

1943年ごろ、飛行場を建設するために朝鮮人飯場ができました。45年敗戦、飛行場建設は中断され、朝鮮人は「置き去り」にされました。

「46年11月には学校を作り、子どもたちには立派な制服を着せたのですよ! 写真を見てください。」「でも、彼らは言います。人生でキツかったのは戦後です、と。」

57年自衛隊の駐屯地となった他は、日産車体が土地を売却。89年地権者が立ち退きを求めて提訴し、裁判闘争が始まったのでした。
2000年最高裁により住民敗訴が確定。

裁判所前で、ひとりの女性は叫んだそうです。「この国はどないなってんねん!法律が先か、人間が先か!?住み続けて戦う!」これに田川さんは「シビれた」のです。文字も読めない人が、的確に問題を言い当てました。

「住めと言われたから住んでいるだけ。国民保険がありますね。沖縄、満州、グアム島から帰ってきた横井さんにだって“見なし保険”ってあるでしょう。朝鮮人は排除されたのです。85年(に在日外国人も日本国民と同じように憲法上の基本的人権が保障されると決議される)まで指紋押捺があったでしょう。16歳で指紋をとられたのですよ。これは、マジョリティー(多数者)の問題です。『在日日本人問題』ですよ。大いなる勘違い。アメリカのどの大統領(*トランプは違うと思う)も、何か人権問題が発生すると声明を出すでしょう。日本では逆、ハンセン病に特効薬があっても隔離は続きました。」

*「政治家」と打ったら「政治禍」と出ました! 元統一教会問題を出すまでもなく。

帰ってからwebサイトで調べたら、開館間もない6月の「外国特派員記者クラブ」でも会見されていました。ウトロに生きた今は亡きⅠ世たちを映し出したあとで。「今は市営住宅が建っていますが、彼らの歴史や思いをしのぶことのできる、生きていくうえで勇気の得られる祈念館であってほしい。韓国で訴えた時も言ったんです。日本の市民と韓国の市民が、政府と政府が手を取り合うことができれば、こんなすばらしいことはない。(*それが一つ、叶いました)私はかかわった40年近くを振り返って、とても豊かな人生だったと思います。皆さんもどうぞ。」

戦争で生れた街から平和を発信する。だから「平和祈念館」なのですね。私も早速コピーをいただきます。

お念仏に生きる お念仏で出会う  合掌
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする