♪♪ 私の お寺ライフ ♪♪

 ブログアップして8年目に突入。相変わりませんが、私の「如是我聞」をお送りします。南無阿弥陀仏

慶聞抄2022年3月号

2022-02-21 16:40:31 | 随想
慶聞抄(きょうもんしょう)


水平社宣言から100年

私が役員をしている全国坊守・寺族女性連絡会が3年ぶりに、無事に大会開催にこぎつけました。毎日、感染者「過去最多」を更新しているさ中でした。これ以上中止にすると、高齢者の多い集まりでもう次が無い(かもしれない)、という決死の覚悟(!)だったのです。本山の組織教化部の力添えを得て、初めてのオンライン開催でした。現地参加を希望されていた方には申し訳のないことで胸が痛みます。

私たちのは第22回大会でしたが、この3月3日で創立100年を迎えるのが、「全国水平社」です。部落差別を撤廃し平等な社会を実現しようと全国から蹶起した多くの人々が京都岡崎の旧公会堂を埋め尽くしたと言います。

水平社はかくして生まれた
人の世に熱あれ 人間に光あれ

と結ばれる創立宣言は、日本初の近代民主化を目指す人権宣言だと言われ、米、露、英、仏等ではトップニュースで報じられました。
中心的な役割を担ったのは、奈良県の青年たちでした。「水平」という言葉の創案者・阪本清一郎は、それまでの同情や融和運動ではなく、自らの立ち上がりで平等の実現を目指そうと呼びかけました。その根底には、親鸞聖人の教えと生き方があると言っています。

また、宣言文起草の中心となった本願寺派の僧侶、西光万吉は、水平社の象徴「荊冠」について「殉教者が、その荊冠を祝福される時が来たのだ」と宣言に書き、「いばらのとげは、外にだけではなくうちにも向かって鋭く尖っており、差別者を糾弾することを通して、自らをただす、人間としての自覚という意図が込められる」と言っています。(本願寺新報2月20日号参照)

巻頭の肖像画は、「安城の御影(ごえい)」と呼ばれ、親鸞聖人83歳、1255年のものと言われています。手前の道具は、僧侶の絵には珍しいものばかり。火桶、猫皮の草履、桑の鹿杖、タヌキの毛皮の敷物。「りゃうし(漁師)、あき人(商人)、さまざまのものはみな、いし、かわら、つぶて(礫)のごとくなるわれら」と言われた聖人の、当時の社会の最下層で差別に苦しんでいた人々との交流がしのばれます。そして、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」とほぼ同時代にあって、近代的な人間観に驚かせられます。

人間を尊敬することによって自分も解放される「水平社」精神は、戦後の部落解放運動をはじめとした民主化運動に引き継がれました。性差別への理解が少し進んで、宣言の中の「長い間虐められてきた兄弟よ」の呼びかけ文に「姉妹」が後に付け足されたと聞きます。そういう意味では、私たちの第22回大会は、宗門の中に大きな一歩をしるせたと自負します。
 
さて、最後にうちの若いもんの話です。オヨメのblogで見て嬉しくなったので、ばばバカです。お許しあれ。

例のムッスメの高校受験の前日。試験会場で周りが賢く見えて自信が無くなるのでは、とオンラインでお兄ちゃんに相談。大学生の答え。「隣の子を心で応援し。消しゴム落とす子がいたら拾ってあげて頑張ろなーって声をかけて、途中でトイレに行く人がおったら、大丈夫やでーって思い!勝つとか負けるとか考えたらあかんでー。その時点で自分がプレッシャーですり減るぞぉ。人に優しくして応援したら、余裕出てきてリラックスして取り組めるでー💛。」合掌
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慶聞抄2022年2月号

2022-02-12 11:22:42 | 随想
慶聞抄(きょうもんしょう)


     冬の出雲路・琴が浜の夕日

信心決定(しんじんけつじょう)

ある朝目覚めると、喉の奥に違和感があって、唾を飲み込むと痛みました。風邪ひきの初期によくある感じですけど、オミクロン株では飲み込むのが痛くて食事もできないほどだとニュースで聞いたので、門だけ開けると境内からご本尊にお礼をし、すぐさまベッドに引き返しました。(前もこんなことあったぁ・・)

ベッドから携帯で連れ合いに電話すると、おかゆを作ってくれました。Ⅰ医院に電話しても話し中でなかなか繋がりません。繋がったのは午後になってからでした。幸い、熱はなく喉の痛みを和らげる薬を処方していただきましたが、心細い時間を過ごしました。

常日頃、体調を聞かれると「絶好調です!」と返す私ですが、健康なんて容易に変わる儚いもので、しかもこのコロナ禍では何時命にかかわる事態になるかわからないと改めて知らされます。しなければならないこと、したいことがあれば「今でしょう!」とハッパをかけたりかけられたり。

ついこの間もスーパーで買い物をしていると、電話をかけてきた元教え子がいて、近くまで車で来たからというので来るかと聞けば、ツレを待たすことになるとかぐちゃぐちゃ言うので、ほなまた今度、と言って切るとまたかかってきて、今度と言っても今度が来るかどうかわからへんから、と言うので結局近くの喫茶店で待ち合わせ、一つのモンブランを一緒につついて何年ぶりかのお茶をしたのでした。(←そっちの方があかんやろ!)

本山の御正忌報恩講、例年なら通夜布教に出かけているところですが、去年は金剛山へ、今年はオンラインでお聴聞しました。
蓮如上人が吉崎にご滞在中、親鸞聖人の御正忌法要に際ししたためられたと考えられるご文章があります。(清岡隆文師のウェブサイト「御正忌の章」より)

「さて、この御正忌にこころざしをもって参詣し、報恩謝徳をあらわそうと思って、親鸞聖人のご真影の前におまいりする人々の中には、信心をすでに得た人もあるでしょう。また不信心の人もあるでしょう。これは何よりも大事なことです。というのは信心を決定しなければ、このたびの極楽浄土への往生はできないからです。(中略)

他力の信心を得るというのも、特別のことではありません。南無阿弥陀仏の六字の意味を疑いなく領解することで、信心が決定するというのです。信心の本質については、「無量寿経」巻下に「聞其名号(もんごみょうごう)信心歓喜(しんじんかんぎ)」(その名号を聞きて信心歓喜せん)と言われています。善導大師は「南無というは帰命、またこれ発願回向の義なり。阿弥陀仏といふはすなはちその行」(「観経疏・玄義分」)と言われています。

「南無」という二字の意味は、さまざまな雑行を捨て、疑うことなく、ひたすら阿弥陀仏を信じ申し上げるこころを言います。「阿弥陀仏」は一心に弥陀の教えに従う衆生をやすやすとおたすけくださるのです。このように領解するのを信心を得るというのです。これすなわち、他力の信心をよくこころえた念仏の行者というのです。」 つまり、衆生がいただいた信心と阿弥陀仏のおすくいのはたらきは一つであることを明らかにされたのです。

 お念仏申す私には、いつも如来さまがついていてくださる。どんなに熱があっても、食べられなくなっても。息が弱まっていくそのあいだも。そしてまた私がお念仏を忘れてしまったとしても。             合掌

PS: 喉の痛み発生より5日後の夜発熱、37,5度。翌日下がるも、また電話が通じず。あちこちの薬局に検査キットを尋ねても、何か月も前から切らしているとのこと。お参りのお家に電話して、月末までの1週間、自粛生活に入るしかありませんでした。恨みを込めて、ここに記しておきます。
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