慶聞抄(きょうもんしょう)
水平社宣言から100年
私が役員をしている全国坊守・寺族女性連絡会が3年ぶりに、無事に大会開催にこぎつけました。毎日、感染者「過去最多」を更新しているさ中でした。これ以上中止にすると、高齢者の多い集まりでもう次が無い(かもしれない)、という決死の覚悟(!)だったのです。本山の組織教化部の力添えを得て、初めてのオンライン開催でした。現地参加を希望されていた方には申し訳のないことで胸が痛みます。
私たちのは第22回大会でしたが、この3月3日で創立100年を迎えるのが、「全国水平社」です。部落差別を撤廃し平等な社会を実現しようと全国から蹶起した多くの人々が京都岡崎の旧公会堂を埋め尽くしたと言います。
水平社はかくして生まれた
人の世に熱あれ 人間に光あれ
と結ばれる創立宣言は、日本初の近代民主化を目指す人権宣言だと言われ、米、露、英、仏等ではトップニュースで報じられました。
中心的な役割を担ったのは、奈良県の青年たちでした。「水平」という言葉の創案者・阪本清一郎は、それまでの同情や融和運動ではなく、自らの立ち上がりで平等の実現を目指そうと呼びかけました。その根底には、親鸞聖人の教えと生き方があると言っています。
また、宣言文起草の中心となった本願寺派の僧侶、西光万吉は、水平社の象徴「荊冠」について「殉教者が、その荊冠を祝福される時が来たのだ」と宣言に書き、「いばらのとげは、外にだけではなくうちにも向かって鋭く尖っており、差別者を糾弾することを通して、自らをただす、人間としての自覚という意図が込められる」と言っています。(本願寺新報2月20日号参照)
巻頭の肖像画は、「安城の御影(ごえい)」と呼ばれ、親鸞聖人83歳、1255年のものと言われています。手前の道具は、僧侶の絵には珍しいものばかり。火桶、猫皮の草履、桑の鹿杖、タヌキの毛皮の敷物。「りゃうし(漁師)、あき人(商人)、さまざまのものはみな、いし、かわら、つぶて(礫)のごとくなるわれら」と言われた聖人の、当時の社会の最下層で差別に苦しんでいた人々との交流がしのばれます。そして、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」とほぼ同時代にあって、近代的な人間観に驚かせられます。
人間を尊敬することによって自分も解放される「水平社」精神は、戦後の部落解放運動をはじめとした民主化運動に引き継がれました。性差別への理解が少し進んで、宣言の中の「長い間虐められてきた兄弟よ」の呼びかけ文に「姉妹」が後に付け足されたと聞きます。そういう意味では、私たちの第22回大会は、宗門の中に大きな一歩をしるせたと自負します。
さて、最後にうちの若いもんの話です。オヨメのblogで見て嬉しくなったので、ばばバカです。お許しあれ。
例のムッスメの高校受験の前日。試験会場で周りが賢く見えて自信が無くなるのでは、とオンラインでお兄ちゃんに相談。大学生の答え。「隣の子を心で応援し。消しゴム落とす子がいたら拾ってあげて頑張ろなーって声をかけて、途中でトイレに行く人がおったら、大丈夫やでーって思い!勝つとか負けるとか考えたらあかんでー。その時点で自分がプレッシャーですり減るぞぉ。人に優しくして応援したら、余裕出てきてリラックスして取り組めるでー💛。」合掌
水平社宣言から100年
私が役員をしている全国坊守・寺族女性連絡会が3年ぶりに、無事に大会開催にこぎつけました。毎日、感染者「過去最多」を更新しているさ中でした。これ以上中止にすると、高齢者の多い集まりでもう次が無い(かもしれない)、という決死の覚悟(!)だったのです。本山の組織教化部の力添えを得て、初めてのオンライン開催でした。現地参加を希望されていた方には申し訳のないことで胸が痛みます。
私たちのは第22回大会でしたが、この3月3日で創立100年を迎えるのが、「全国水平社」です。部落差別を撤廃し平等な社会を実現しようと全国から蹶起した多くの人々が京都岡崎の旧公会堂を埋め尽くしたと言います。
水平社はかくして生まれた
人の世に熱あれ 人間に光あれ
と結ばれる創立宣言は、日本初の近代民主化を目指す人権宣言だと言われ、米、露、英、仏等ではトップニュースで報じられました。
中心的な役割を担ったのは、奈良県の青年たちでした。「水平」という言葉の創案者・阪本清一郎は、それまでの同情や融和運動ではなく、自らの立ち上がりで平等の実現を目指そうと呼びかけました。その根底には、親鸞聖人の教えと生き方があると言っています。
また、宣言文起草の中心となった本願寺派の僧侶、西光万吉は、水平社の象徴「荊冠」について「殉教者が、その荊冠を祝福される時が来たのだ」と宣言に書き、「いばらのとげは、外にだけではなくうちにも向かって鋭く尖っており、差別者を糾弾することを通して、自らをただす、人間としての自覚という意図が込められる」と言っています。(本願寺新報2月20日号参照)
巻頭の肖像画は、「安城の御影(ごえい)」と呼ばれ、親鸞聖人83歳、1255年のものと言われています。手前の道具は、僧侶の絵には珍しいものばかり。火桶、猫皮の草履、桑の鹿杖、タヌキの毛皮の敷物。「りゃうし(漁師)、あき人(商人)、さまざまのものはみな、いし、かわら、つぶて(礫)のごとくなるわれら」と言われた聖人の、当時の社会の最下層で差別に苦しんでいた人々との交流がしのばれます。そして、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」とほぼ同時代にあって、近代的な人間観に驚かせられます。
人間を尊敬することによって自分も解放される「水平社」精神は、戦後の部落解放運動をはじめとした民主化運動に引き継がれました。性差別への理解が少し進んで、宣言の中の「長い間虐められてきた兄弟よ」の呼びかけ文に「姉妹」が後に付け足されたと聞きます。そういう意味では、私たちの第22回大会は、宗門の中に大きな一歩をしるせたと自負します。
さて、最後にうちの若いもんの話です。オヨメのblogで見て嬉しくなったので、ばばバカです。お許しあれ。
例のムッスメの高校受験の前日。試験会場で周りが賢く見えて自信が無くなるのでは、とオンラインでお兄ちゃんに相談。大学生の答え。「隣の子を心で応援し。消しゴム落とす子がいたら拾ってあげて頑張ろなーって声をかけて、途中でトイレに行く人がおったら、大丈夫やでーって思い!勝つとか負けるとか考えたらあかんでー。その時点で自分がプレッシャーですり減るぞぉ。人に優しくして応援したら、余裕出てきてリラックスして取り組めるでー💛。」合掌