♪♪ 私の お寺ライフ ♪♪

 ブログアップして8年目に突入。相変わりませんが、私の「如是我聞」をお送りします。南無阿弥陀仏

慶聞抄2020年10月号

2020-09-20 18:35:53 | 随想
慶聞抄(きょうもんしょう)



お浄土があって良かったね

9月に入って、総代さんと11月に予定の報恩講さんの相談をしました。例年通りにはいかんですね、というところで総代さんの方から「役員だけはお参りさせてもらいますわ」と言ってくださったのが嬉しかったです。昨年ご講師に来てくださって「また来年も」とお願いした長谷川毅正師に、スミマセンがとお断りの電話をしました。そしたら後日、津村別院であった布教同志会大阪支部の布教大会の受付にご当人が座っておられるではありませんか!恐縮至極! 脂汗たらり・・。

久しぶりの総会所の中は、ディスタンスをとって椅子が並べられ、ご講師の前には透明の衝立がしつらえてありました。ただ、グゥワングゥワンと稼働させたエアコンからくる風の寒いこと。たまらず外のソファーに引っ越しする一幕もありました。(私だけではなかったようで後で緩和されてホッ)

午後の部で、何度かお聴聞のご縁のある藤正史師が、2月に(コロナ禍で時間ができたので)お仲間で行かれた「板敷山」の写真を白板に貼ってくださいました。山伏・弁円が親鸞聖人を待ち伏せしたという、あのお山です。筑波山系、標高303m。何年か前、別院の「親鸞聖人縁(えにし)の旅」に参加して歩いたところで、壮年期の聖人の息遣いが聞こえてきそうでした。バスを降りて少し山道を登って行くと、今に伝える碑と護摩壇跡が残されていました。

加持祈祷で病気を治すなど、お念仏の教えとは相いれない修験道者・弁円は、聖人の布教を苦々しく思っていました。そこで暗殺を企て待ち受けていたのですが会えません。とうとう草庵に乗り込んだところ、聖人は構える様子もなく静かな和顔で応対されたので、敵意が消えた弁円は刀を棄て悔悟してお弟子となったと伝えられています。これが僧・明法房。

藤師のお父さんが20年前に亡くなったとき、来てくれた友人の中で一人だけ「藤君、良かったな、お浄土があって良かったね」と言ってくれたそうです。自分の父の往き先を、同じ信心をいただいた友が喜んでくれました。

藤師は聖人のご消息(お手紙)を引用されました。京都に帰られ80歳になられた聖人が、関東のお同行(仲間)に宛てられたものです。

「明法御房の往生のこと、おどろきまうすべきにはあらねども、かへすがえすうれしく候ふ。**(地名)**かやうの往生ねがわせたまふひとびとの、みなの御よろこびにて候ふ。(中略)めでたさ申しつくすべくも候はず。おのおのみな往生は一定とおぼしめすべし」

聖人は、明法房の亡くなったことを知って「うれしい」「めでたい」と表現されています。なぜなら、信心をいただいたその時、往生浄土は決まっているのだから。「信心正因」「平生業成(へいぜいごうじょう)」です。死にざまを問わない、そしるものもおさめとる、そんな阿弥陀さまの世界をともにできる御同朋、御同行を、聖人はしみじみ有難く思われたのですね。

それから数日して、仏教女性会(前は婦人会)の大先輩が往生されました。お連れ合いを送り、ご長男も先に往かれた晩年でした。今頃はお浄土で再会をよろこんでおられることでしょう。コロナ禍の中、万全の対応をしていただいて御同行でお見送りができたことでした。  合掌
コメント
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