♪♪ 私の お寺ライフ ♪♪

 ブログアップして9年目に突入。相変わりませんが、私の「如是我聞」をお送りします。南無阿弥陀仏

慶聞抄 2018年1月号

2017-12-23 10:54:24 | 随想
慶(きょう)聞(もん)抄(しょう)
  2018(平成30)年1月号
(NO・50) 了雲寺 釈幸華

 坊さんと戦争 

1918年1月1日、「日本及日本人」に衝撃的な一片の詩が掲載されました。タイトルは「祖国礼拝」。作者は三井甲之。

国民協力の平等感を/国家社会政策に実現し/・・・・・/人の組織を無限の自然に/とけ入らしめよ。/一切の差別は/ここに消え/のこる名はただ原理『日本』

この詩の全部を紹介する紙面はありませんが、私はよくぞ100年目に教えてもらったことよと思いました。息子から廻ってきたその本は、近代日本政治思想研究家の中島岳志著「親鸞と日本主義」。三井の名前は私には初めてでしたが、親鸞研究者がこの国のその後の進路を定めた瞬間でした。自身も門徒だという中島さんは、親鸞の「絶対他力」の思想が、国粋主義と強く結びつけられる展開に驚き、むしろその思想の核心に親鸞がすえられているのではないかという疑問をもったのです。
大正7年、第1次世界大戦の好景気は終わり、「明治天皇の死によって暗闇の中に迷い込んだ同胞に無限の時を貫く一筋の光が差し込んだ。さまよえるこの世を一つにまとめる原理は『日本』である。」 明治の始まりから50年。幕藩体制ではありえない国民国家が定着して、そこに皇国史観ができ、さらに「原理日本」なのです。
原理主義(ファンダメンタリズム)は元はキリスト教の用語だそうですが、イスラム原理主義とか言ってテロの背景になっているように、自分は正しいと頑なに他を顧みない思想を言います。さしずめ日本原理主義。
そのころ「親鸞」はブームだったのです。前年1917年のベストセラーは倉田百三の「出家とその弟子」でした。今でもロングセラーですが、主人公は親鸞と弟子・唯円。当時の青年の圧倒的支持を獲得し、大正・昭和初期の煩悶青年の愛読書となりました。しかし、その後の倉田は・・
 中島さんのペンは、亀井勝一郎、吉川英治と、倉田と同様親鸞に傾倒した人たちがいかに日本主義に陥っていったか、そしてちゃんと勉強はまだしてないけど、浄土真宗の有名な大先生である暁烏敏や、金子大栄、曽我深量などの名前が出てきて重苦しい気分で読み進みました。
戦争が始まると、教団は如何に対応すべきか戦時教学なるものを模索します。戦死者は「浄土」に行くのか、「靖国」に行くのか。暁烏「天皇の本願と阿弥陀仏の本願と同様であると思ふ。・・大御心がある。万世一系の徳がある。それが仏心の顕現と思はれる。そこが今回の戦が聖戦となる。」皇国の国土は穢土なのか・・。暁烏「神国は弥陀の浄土なり」 私は思わず空を仰ぎました。

戦争は罪悪

年末の同じ頃、友達に誘われて観た映画「明日へ|戦争は罪悪である|」。誘ってくれて有難う!でした。寺の境内での出陣式。出征兵士に突如「戦争は罪悪で人類に対する敵。すぐにでも止めたほうがええ」という和尚がいました。初めはこの和尚も子供たちに「お国のために死ぬことは大切」と教えていたのです。
この和尚の友人に植木徹誠(てつじょう)が出てきます。ご存知、植木等さんのお父さんであるのはNHKでもドラマになっていますが、反戦僧侶だったことまでは教えてくれませんでした。映画の終わりごろ、画面に植木さんを筆頭に数人の僧侶の名前が記されます。私は、あの時代によう反対できたなあと敬意を抱くと共に、これらの坊さんがおってくださって、救われたような気持ちになったことでした。         合掌
*写真は、映画の1シーン
コメント
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