2023(令和5)年 8月号(No.117) 了雲寺 釈幸華 |
慶聞抄(きょうもんしょう)
サービスエリアから明石海峡大橋を臨む
お年ごろ
コロナ第9波目下微増中らしいですが、善は急げの精神で、高校時代の4人グループの“青春ジャーニー”は有馬温泉へ、オヨメが「自分らの結婚25周年です」と言うので「私らは50周年や」と言ったら、次男とこが10周年というのも加わり、若いのがチャッチャと動いて淡路島渦潮1泊旅行が実現しました。
高知の義父の33回忌が未だできないままの家族旅行だったので心苦しいのですが。ま、できることから取り組むということで。第一、高知のことはしかるべき人が采配を振らなくてどうするのですか? 淡路島には来ず、スマホのラインミーティングで数分お顔を拝見しただけでしたぁ!
私は今夏72になります。思い出すのは十数年前亡くなった一番年上の従姉。入院したと聞いてすぐさま駆け付けると、ベッドに横たわった姿で迎えてくれました。経過を説明してくれた後言ったことが「私、いくつやと思う?73やで。もう立派なお婆さんや。」相変わらず色の白いきれいな顔でした。そしてその病院を元気になって退院することはありませんでした。
(死ぬ時の)理想は74歳、と言った人がいました。お子さんはお嬢さん二人。それぞれご家庭もあることだし、お連れ合いのお葬式のご縁をいただいたあとしばらくして、お墓とお仏壇じまいの相談があった時のことです。出してこられた手帳は、ある公害病患者であることを証明するものでした。笑顔を絶やさない物静かな方。去年お亡くなりになったときは80歳でした。
もうそろそろ、と、まだ若い、の間。「お年ごろ」には違いありません。淡路島行を思い出すたびに、「幸せの絶頂」というフレーズが脳内にコダマします。そして要らぬ想像が後を追って再コダマします。絶頂の後は、転がり落ちるしかないではないですか。
月刊誌「大乗」7月号の最終末の読者欄に、こんな投稿がありました。
ある地方新聞に、娘を48歳の若さで亡くした80代の父親が「これからどうやって生きていったらいいのか」と投稿なさっているのがあったので、同年代として少しでも寄添いたいと思って、和泉式部*の歌を引用して投稿しました。一月ほどのち、自分の投稿が載ったのはいいのですが、書いたはずの「仏説阿弥陀経」や「倶会一処」*という言葉が削られ、「お浄土」が「あの世」となっていました。一般紙だから無理もないのですが、せめて「あの世」を「仏さまの国」としてほしかった。
この方は、長年お聴聞を重ねておられるのでしょう、よく浄土真宗のご法義を理解されておられることが分かります。他のご宗旨であれば、「冥福」を祈らねばならないので、救いにはなりますまい。往生、つまり阿弥陀仏の浄土に生まれさせてもらうということを聞いてゆかねばなりません。
この夏、予定としては最後の職場仲間が10人ほど集まるN会と、母の遺言で続ける従姉妹会が控えています。ともにコロナ前以来の開催。あっ、お盆の里親ウイークも! コレッ、まだ、終息宣言してないのに!
*仮にきて親にはかなき世を知れと教えて帰る子は菩薩なり :娘を亡くした和泉式部は、我が子がお浄土に自分を導いてくれたと詠っています。
*くえいっしょ:またひとつところ(お浄土)でお会いしましょう:「仏説阿弥陀経」
合掌
学校行くの⁈ 行かないの⁈ 4
こんにちは、坊守の由美です。
「明日は学校に行く‼」というお子様の言葉に、喜んでホッとしたものの、次の日になると頭が痛い、お腹が痛いと訴え休んでしまう、「行く行く」詐欺にかかっている親御さんが多いそうです。
でもそれは、嘘をついている訳でもなく、騙そうとしている訳でもありません。
私たち大人だって「やるやる」詐欺をやっていますよね。押し入れの整理とか、靴の断捨離・・。
本当はめんどくさくてやりたくないんだけど、した方が良いのは分かっている、その重圧から逃げたくって、意を決して「明日こそやろう」って言うのです。
そして次の日「やっぱりやーめた」となってしまうんですよね。それは、子どもも一緒。学校に行った方が良いし、お母さんを安心させたい。でも本当は行きたくないから当日カラダが拒否しちゃうんです。
小さい身体を必死に駆り立てて、お母さんの喜ぶような子になりたい。そんな子どもの健気な気持ちも分かってやってほしいなと思います。
ランタナと蝉の抜け殻