♪♪ 私の お寺ライフ ♪♪

 ブログアップして9年目に突入。相変わりませんが、私の「如是我聞」をお送りします。南無阿弥陀仏

慶聞抄2020年8月号

2020-07-24 11:52:35 | 随想
慶聞抄(きょうもんしょう)

一人に立つ

石川南組の連続研修がやっと6月の末に入ってきましたが、2月以来の再開でした。でも、参加者はいつもの半数以下。落ち着かない気持ちでいたところ、やっぱり不安に思う声が多く、7月の取り組みは中止と連絡がきました。4月のピーク時より多くの感染者が連日のように続いても2回目の「緊急事態宣言」は出ません。あろうことか「収まってから」とされていた「GO TOキャンペーン」を東京除外で実施するという何とも半端な政府。ご都合主義では?

一方「自粛警察」という言葉があります。例えば、緊急事態宣言下で要請に協力していないと見える店舗に「さっさと店を閉めて」「県外客お断り」などと貼り紙する過剰反応を指しています。自分の不安やストレスを他者を攻撃することで解消しているのでしょうか?

「緊急事態宣言」は諸外国の「ロックダウン(都市封鎖)」とは違います。宣言下の知事からの要請・指示は禁止とか命令ではないので、罰則規定や罰金はありません。よく言えば、一人一人に判断する権利があるということになりますが、社会的制裁が待っています。仮に、旅行をしたとして、運悪く「コロナ」に罹ってしまったら、会社からは「始末書」を書かされ、周りからさんざんたたかれえらいことになります。(以上、夏休みの家族旅行の相談をした折の長男の言。宣言が解除されていてもこれですから。)


 高知の海に出る一人乗りヨット (デンギ)

自粛・・他から強制されるのでなく、自発的につつしむこと。自分から控えめにすること。粛の字は、上部と輪郭は、布を手に持つ意味。下部の中は淵という字があるようにえん、ふち。淵の上に立っているように、心を引き締め正しく寸法をはかり、仕事をつつしんでせねばならないという意味。(日本教育新聞社・解字漢和辞典より) 「粛々と」と政治家がよく言いますが、「つつしむさま、静かなさま」と辞書にはあります。(全然つつしむことも静かでもない人が、強引に事を進めるときに使います。)
 
「自粛しましょう」とやたら頻繁に声高に言われ続けると、何だか自発的にすることを強制されているようで言葉の矛盾を感じます。最近教育現場で「ボランティア」の課題や時間があると知ったときも変だなあと思いました。きっと生徒たちは、強制された課題を早く終わればいいなあと思いながらやっつけ仕事をしていることでしょう。ボランティアは、「自由意志」を意味するボランタスが語源。自分で考えて行動に移すことです。強制された生徒が将来ボランチィア活動をするようになるとは到底思えません。

正しいと思ったら、例え一人でもしましょう。正しくても他人に強制するのは暴力と変わりません。そこには、考え行動する一人の人間がいるだけです。

弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。   (歎異抄・後序)

親鸞聖人の常におっしゃっておられたことは、「阿弥陀さまが長い間思いをめぐらしてたてられた本願をよくよく考えてみると、この親鸞一人をお救いくださるためであった。何ともったいないことか。」ということでした。ご自身のことを深く静かに見つめられたゆえのお言葉でありました。          合掌
コメント
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