♪♪ 私の お寺ライフ ♪♪

 ブログアップして9年目に突入。相変わりませんが、私の「如是我聞」をお送りします。南無阿弥陀仏

慶聞抄2020年11月号

2020-10-19 21:04:51 | 随想
慶聞抄(きょうもんしょう)



一定年齢以上の方


スマホの相談で訪ねた**ショップでのことです。私の操作上の悩みを聞いてくれた男性の係員は、「それ以外に貴女のご要望にお応えできることはないですね」とすぐさま買い替えの提案をしたのでした。この人がそう言うのだからそうなんだろうと思った私は、新機種に買い替えることを宣言し、出されたパンフの中からこれと思われるものの支払い計画書の説明を受けるところまで進みました。

が、その人の話ぶりが淡々として抑揚のない何とも無機質な感じで(マニュアルでもあるんだろうか、それとも同じことを何回も言ってる間に芝居のセリフのようになってしまったのか)、しかも彼の日本語がまるで外国語のように聞こえてきて、その居心地の悪さに我慢できなくなったので、持ち帰って相談してくると言って資料を請求したのでした。

その時、彼が手を伸ばして必要書類を取り出した引き出しには、黄色のテープが貼ってあって、「65歳以上用」と黒々と印字されていたのが読みとれました。私の視線に気づいた彼は「気分を害される方もおられるんですが・・」と言い訳めいたことを言うので、「いえいえ、事実ですから」とこだわらない風を装ったのでした。(ほな、やっぱりこだわっていたのか?)

まだ続きます。後日、この話をPCレッスンの先生にしたら「ご一緒しますから、iphone(アイホーン)に替えませんか」と言ってくださったので、さあ援軍を得た明智さんのようなこころもちで「敵は**ショップにあり」と出かけたときのこと。

今度は孫にしたいほど愛らしい女性。いよいよ新しいスマホを得る契約書を書く段になって彼女の一言。「一定年齢以上の方には、お家の方の同意を得てもらうようにしていますので。」えっ、それって保護者が要るってこと? しかも、連れ合いが元のスマホを引き続き使用することの説明を最初にしているのに? 「うちにいる人も一定年齢以上の方なのですが」と言いつつ、彼女の手にあった元のスマホを引きはがすようにして連れ合いに電話したことでした。

年をとることの悲哀は(悲哀と決めつけたくはないが)、体や頭の働きが衰えることもだけれど、それ以上に世の中の中枢から外れる存在にされることからくるのでしょう。ことに、昨今の、やれゴーツー何とかや、キャッシュレスでポイントゲットなど、耳にすることはあっても機器を使いこなすことが出来ないことの多いこと。時代の動きについて行けないデジタル難民としては、せめてこの寂しさに思いを寄せてくれる若いもんでいてほしい。

翻って思いを巡らすと、同じようなことにかつて若かった私はお年寄りに思いを寄せていただろうか? そして、ついに思い至るのです。人の価値を「できる、できない」で測ることはやめようと。少し寂しくは思うけれど決して悲しくはない。不幸でもない。若い頃には思いもよらなかったこころの中のお宝に気付くことができるのだから。

  清浄光明ならびなし
  遇斯光(ぐしこう)のゆゑなれば   ・・阿弥陀仏にもうあえたから
  一切の業繋(ごうけ)ものぞこりぬ  ・・罪の縛りを除き尽くす
  畢竟依(ひっきょうえ)を帰命せよ  ・・究極のよりどころをたのみなさい
                
             親鸞聖人作 讃阿弥陀仏偈和讃       
                             合掌
コメント (3)
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