慶聞抄(きょうもんしょう)()
青い実は白いマントですましてる・・近くのブドウ畑で
お疲れさま、Tさん
とうとう初めて新型コロナウィルスによってご門徒さんがお亡くなりになりました。既にお骨になられていたので、厳密にいえばお葬式と言えるかどうかわからないのですが、本堂で遅ればせながらのお勤めをさせていただきました。ご親族が差し出された医師の証明書に、COVID-19の文字を目にした時、紛れもない現実を前に体が硬くなるのを感じました。三度目の緊急事態宣言が出て間もない4月28日、入所されていた施設で発症から19日目のことでした。行年87歳。
一緒に入所されていたお連れ合いが、わずか4か月ちょっと前に亡くなられたところでした。まるで後を追うように。仲の良いご夫婦だったからかな。ブドウのジベレリン処理をしたすぐ後に雨が降って、「オカチャンとやり直しをせなあかんなとゆうてまんねん」と話してくださったことを思い出します。
私がお参りしたら、いつも「えらいすんませんなぁ」とご丁寧に迎えてくださるので、こちらが恐縮するほどでした。お仏壇のお給仕も、Tさん、ご自分でしておられましたね。ある日、仏間狭しと娘さんの結納の品々が、輝くばかりに並べられていました。満面の笑顔で「やっと決まりましたんや」と教えてくださって。でもその後しばらくして娘さんの訃報を聞くことになるのです。彼女の結婚生活は幸せなものではなかったようですね、どんなに心を痛められたことでしょう、Tさん。
JRの駅でお会いしたことがありました。お連れ合いをミニトラックで送って来られたところでした。引き返して今度は息子さんを。息子さんがお連れ合いの通院に付き添うということでした。同じ電車に乗ったので、見送っていただきました。
そのトラックで、今、本堂にある座敷机を運んでくれましたね。引っ越しされた方が寄付してくださった黒檀のとても美しいものです。凄く重かったぁ。おかげで、お寺カフェの時のお給仕ができました。
そのあとはもうトラックに乗ることはなく、自転車で畑や田んぼにお出かけされていました。長年の酷使で腰が曲がってきて、今度は自転車を杖代わりに引いてお買い物などされていました。田んぼや畑が草ぼうぼうに荒れていくのをどんな思いで目にされたことでしょう。
身自当之 無有代者
「仏説無量寿経」
身自ら之を当(う)け、代わる者あることなし。人生は、苦しいこと悲しいことがいっぱいです。誰も代わってくれる人はいません。Tさんは愚痴を言う訳でなく、淡々と自分がしなければならないことを誠実にやり続けて人生を全うされました。これは見事な引き受け方です。農に生き、家族を愛して生き切ったひとりの人の最期を胸に留めます。(ひょっとしたら「コロナ」罹患は私だったかもしれない。)
12年前の母の時以来のしつらえ
もうすぐ蓮の季節ですね。今年は何でも早いんです。ブドウ畑に蓮の一画があって、ここももう更地になってしまってそれもなくなりましたが、いつもお仏壇にお供えされていました。勿論、うちの如来さまにもあげていただきました。そちらでは年中咲いているのでしたね、
Tさん。 合掌
青い実は白いマントですましてる・・近くのブドウ畑で
お疲れさま、Tさん
とうとう初めて新型コロナウィルスによってご門徒さんがお亡くなりになりました。既にお骨になられていたので、厳密にいえばお葬式と言えるかどうかわからないのですが、本堂で遅ればせながらのお勤めをさせていただきました。ご親族が差し出された医師の証明書に、COVID-19の文字を目にした時、紛れもない現実を前に体が硬くなるのを感じました。三度目の緊急事態宣言が出て間もない4月28日、入所されていた施設で発症から19日目のことでした。行年87歳。
一緒に入所されていたお連れ合いが、わずか4か月ちょっと前に亡くなられたところでした。まるで後を追うように。仲の良いご夫婦だったからかな。ブドウのジベレリン処理をしたすぐ後に雨が降って、「オカチャンとやり直しをせなあかんなとゆうてまんねん」と話してくださったことを思い出します。
私がお参りしたら、いつも「えらいすんませんなぁ」とご丁寧に迎えてくださるので、こちらが恐縮するほどでした。お仏壇のお給仕も、Tさん、ご自分でしておられましたね。ある日、仏間狭しと娘さんの結納の品々が、輝くばかりに並べられていました。満面の笑顔で「やっと決まりましたんや」と教えてくださって。でもその後しばらくして娘さんの訃報を聞くことになるのです。彼女の結婚生活は幸せなものではなかったようですね、どんなに心を痛められたことでしょう、Tさん。
JRの駅でお会いしたことがありました。お連れ合いをミニトラックで送って来られたところでした。引き返して今度は息子さんを。息子さんがお連れ合いの通院に付き添うということでした。同じ電車に乗ったので、見送っていただきました。
そのトラックで、今、本堂にある座敷机を運んでくれましたね。引っ越しされた方が寄付してくださった黒檀のとても美しいものです。凄く重かったぁ。おかげで、お寺カフェの時のお給仕ができました。
そのあとはもうトラックに乗ることはなく、自転車で畑や田んぼにお出かけされていました。長年の酷使で腰が曲がってきて、今度は自転車を杖代わりに引いてお買い物などされていました。田んぼや畑が草ぼうぼうに荒れていくのをどんな思いで目にされたことでしょう。
身自当之 無有代者
「仏説無量寿経」
身自ら之を当(う)け、代わる者あることなし。人生は、苦しいこと悲しいことがいっぱいです。誰も代わってくれる人はいません。Tさんは愚痴を言う訳でなく、淡々と自分がしなければならないことを誠実にやり続けて人生を全うされました。これは見事な引き受け方です。農に生き、家族を愛して生き切ったひとりの人の最期を胸に留めます。(ひょっとしたら「コロナ」罹患は私だったかもしれない。)
12年前の母の時以来のしつらえ
もうすぐ蓮の季節ですね。今年は何でも早いんです。ブドウ畑に蓮の一画があって、ここももう更地になってしまってそれもなくなりましたが、いつもお仏壇にお供えされていました。勿論、うちの如来さまにもあげていただきました。そちらでは年中咲いているのでしたね、
Tさん。 合掌