♪♪ 私の お寺ライフ ♪♪

 ブログアップして9年目に突入。相変わりませんが、私の「如是我聞」をお送りします。南無阿弥陀仏

慶聞抄2019年12月号

2019-11-28 13:34:27 | 随想
慶聞抄(きょうもんしょう)


今年4月、「ビハーラ花まつり」での三金さんと笑金さん

追悼 桂三金さん

電話は、11月10日朝のお参りの支度中にありました。「兄が亡くなりました。」兄とは、落語家・桂三金さん。受話器からの妹さんの声は、崩れ落ちそうなのを必死で持ちこたえているかのようでした。

前日朝、妻に「救急車よんで」というのが最後の言葉だったそうです。診断は、脳幹からの出血。生命の中枢が直撃されたのです。その夜、家族と、報せに集まった仕事仲間たちの願いもむなしく息が絶えました。行年49歳。

ネットでは11日、新聞の訃報は12日。その夜お通夜。天六から歩いて数分のところにある大ホール。ご本尊両脇の供物段には、大好きだったお菓子の数々。それもほとんど子どもが遠足なんかに欲しがる駄菓子類。続きの一角に、愛用の法被やポスターなど個人を偲ぶ品々の展示。仲間たちがワイワイ言いながら取り組んだそうです。周りの壁を取り巻く花、花、花・・・

13日お葬式。私の表白(お葬儀始めの言葉)の後、師匠の六代文枝(元桂三枝)さんの弔辞がすぐ後ろから聞こえてきます。「そんな狭いとこに入ってどうすんねん! 25周年でこれからやのに。ええ噺家になったはずや。私を師匠に選んでくれてありがとう。・・最後に言わしてくれ、三金のアホ!」ほとんどすすり上げておられました。

同期の仲間を代表して林家菊丸さん。「4日から始まった9人の25周年記念ウィークが、千秋楽には一人おらんて、それも発案者の三金がおらんて、どういうことや。・・最後に(弟子の)笑金に3つのお願いや。1、師匠の三金を誇りに思っていい。2、これからは俺らを頼ってくれ。3、太るな。」
 
 流石やなあ・・。弔辞もちゃんと落語の作品になっています。泣きながら笑いをとっている。ライブや。集まった300人?を超える弔問客も、笑いながら泣いている。(前を向いたままなので見えてへんけど) その人たちが、、特大のお棺(120キロなので、当初在庫があるかどうか心配された)に、一人一人お花を入れていく。どれだけ沢山の人々に愛されたのか、笑金さんの隣に並んで見ていました。やがて蓋が閉じられて、出棺の時、係の人の「通常は階段の所からですが、今回は大きいのでエレベーターを使用します。」との説明に、最後の笑いが起こりました。
 
お通夜にお話しさせてもらったのですが、私がいつもの元気な三金さんを最後に見たのは、先月26日。繁昌亭での恒例の独演会でした。お母さんからお逮夜参りの際に仕上がりぶりを聞いていた、文枝師匠作「大・大阪辞典」。東京から大阪に転勤が決まった夫婦が、大阪弁を解説する辞典でレッスンする想定。もうこれが面白くて。身をよじって笑いました。よっしゃ、来年の「ビハーラ花まつり」は、これをやってもらおうと思ったのでした。
 
突然の死。最後の最後まで笑わしてくれ、同時に、悲しいけれど大切なことを教えてくださいました。こんなこともあるんだよ。だから、元気なうちに確かなものに出遇ってほしい。
 
本願力ニアヒヌレバ ムナシクスグルヒトゾナキ 功徳ノ宝海ミチミチテ 煩悩ノ濁水ヘダテナシ (如来さまの願いに出会えば人生を虚しく過ごすことはない 煩悩まみれの私たちだけど 如来さまの功徳の中に抱きとられていくよ)*葬場勤行最後の和讃  合掌
コメント
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