Fさんの焼き物。 ひとつ、花瓶の先が切れてしまった。ごめんなさい。
平和のとりで
プーチン戦争は、残念ですが年を越すことになりそうです。今すぐやめてと叫びたいけど、ここまで続くと双方ともやめるという選択は成り立たたなくなりました。これが戦争というものの真相です。
第2次世界大戦直後に誕生したユネスコ憲章は、冒頭でこううたいます。『戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなくてはならない。』相互の風習と生活を知らないことが、疑惑と不信を起こした共通の原因だと続きます。
疑惑と不信は、国と国との間だけでなく、人と人との間にこそ日常的に起こっています。会社、学校、ご近所、趣味のグループ・・、おっといけない家族も忘れてはならない、あらゆる人間関係で起こり得ますから、平和のとりで作りに油断はできません。
11月の半ばのある日、晩秋の奈良の街中を、案内ハガキを手に小さなギャラリーを訪ねました。高校の同窓生仲間13人による作品展です。民芸品のお店の2階、自分で作って用意した旧姓の名札で自己紹介したら、笑ってもらえました。絵画,墨絵、プラモデル、手芸、著作本・・。色彩、造形、着想、多種多様な創造物の陳列でした。
一つひとつ、作者の名前を確かめつつ説明文を読み進めていくと、陶芸品3点の前でFさんが自作の説明をしてくれました。芸術科目で美術を選択した私の前に立ちはだかったのが彼女でした。絵描きの子で高校生のくせして裸婦を描くと人づてに聞いてガーン、やる気を無くしたと言ったら、彼女もその後の美術学校で自分より凄い才能の前にガーン!で、いろいろあってこの焼き物に至ったと話してくれました。そして、その隣の壁に掛かっているM君の俳句の連作を案内してくれました。
私は知らなかったけど(後でライングループに話したら、当時から周知の事実!)、彼は同窓生のIさんと結婚して、彼女が19年前から若年性のアルツハイマーになったため、介護生活を俳句にした作品なのだそうです。そのうちの3つ。
初恋や続きつづきて古希の夏
介護するいまが倖せ秋日和
願の糸来世も君を介護する
帰りの電車の中で、とても幸せな気持ちになりました。お二人の深い縁に思いを馳せ、今のところ介護こそしなくてもいいけれど、我が連れ合いとの関係を振り返ったことでした。何にせよ、平和のとりでの分かりやすいのはアート・芸術です。学問・科学・スポーツ・・、人間の真摯な、また楽しい営みの全て。私の山登りも!
とりわけ、知恵。その科学的表現として。
「人はみな、自分でないものたちと混じり合い、響き合う生命の綱の一部である。そこにはすべてを無傷なまま見晴らせるような、清潔な安全圏はどこを探してもない。だからこそ、不都合な他者を「正しく」制御し、自分だけ清潔であろうとするより、純粋で清潔な「世界」という妄想を手放し、不可解な他者と共存していくための知恵をこそ、模索していく必要がある。」*独立研究者 森田真生
最後に、仏教的、浄土真宗的表現として。
「われかならず聖なるにあらず かれかならず愚かなるにあらず ともにこれ凡夫ならくのみ」 *聖徳太子・憲法十七条の第十
合掌