慶聞抄(きょうもんしょう)

金剛山 国見城址より
道徳はいくつになるぞ
警察のお世話になりました。
晩秋の穏やかな日和に満を持して金剛登山に出かけました。口では常々「明日はどうなるかわからない」だの「コロナに罹るか否か、ではなくいつ罹るかだ」だの分かったようなことを言っているので、もし本当にこれで終わりだという時になって思い残すことはないのか、と考えました。すると、高校時代は山登り命の人だったのに未だ登ってない山だらけであることが無性に気になってきました。二上山や金剛山の尾根道=ダイアモンドトレールなんていつでも行けると思っていたら、金剛山から南は未踏のままでほったらかしです。で、河内天見に下りる計画で意気揚々と出かけました。
登山口を10時過ぎに出発。1時間半で国見城跡。快晴、遠くに青い六甲の山々を眺めながらお握りのお昼ご飯を済ませてさあ、いよいよこれからは未知のルート。2時半千早峠。ここで下りとけば良かったものを初志貫徹とばかり欲張ったのがいけません。後は誰一人会うこともなく、天見方面へ下りる道のはずが藪漕ぎのようなことになって慌てました。
やっとのことでダイアモンドトレールに戻ったところで連れ合いから電話。連絡がとれないものだから警察に電話したと。下山したら一緒に買い物をしようという約束も忘れるほど焦っていたのです。もがいている間に日はとっぷりと暮れて、よくぞヘッドランプを持ってきていたことよと思いました。
ほどなく警察から電話を受け、歩きながら言われたとおり110番すると、和歌山県警がGPSで私の位置をつかんでくれました。「寒くはありませんか、怪我していませんか?」民主警察はとても優しい。「大丈夫です。道はしっかりしています」結局、紀見峠駅に到着したのは6時40分ごろ。15キロほどの山行でした。
「勧修寺村の道徳、明応二年正月一日に御前へまいりたるに、蓮如上人仰せられ候ふ。道徳はいくつになるぞ。道徳念仏申さるべし。」*蓮如上人御一代記聞書
1492年の元日、道徳さんは蓮如上人のもとに赴き、丁重に新年のご挨拶をしたのでしょう。それに対して上人は、型通りの挨拶はいいから念仏申せとお諭しになりました。一つ年を重ねた節目に、念仏者の自覚を求められたのでしょう。(満井秀城「蓮如上人のことば」より)
お念仏は、阿弥陀さまの呼び声です。「私の名前を呼びなさい。私の国に生まれさせるよ」私はここにいるよ、いつもいるよ、という名のりです。いつでもどこでも誰にでも。(GPSだ!)力なくして命終わるときに、阿弥陀さまの他に頼れるものがあるでしょうか。でも普段は、私は大丈夫(何の根拠もなく)と思っているから有難みは感じないんですね。
大阪府の新型コロナウィルス感染による死者数464人、同日本全体2661人、同世界全体167万人。(12月18日調べ)
ひたひたと近くにまで来ています。もはや家族間の感染が一番心配なことになってきました。このお正月はみんな一緒のお祝いを取りやめるのが賢明です。死にはしなくても失業者、生活困難者が続出しています。
初春の お慶びは申せずに
連れ合いが警察に褒められたと教えてくれました。私の年を聞いて徘徊の捜索願だと思われたそうです。「早めに連絡いただいてよかったですよ。」・・ま、時間の問題ですが。 合掌

金剛山 国見城址より
道徳はいくつになるぞ
警察のお世話になりました。
晩秋の穏やかな日和に満を持して金剛登山に出かけました。口では常々「明日はどうなるかわからない」だの「コロナに罹るか否か、ではなくいつ罹るかだ」だの分かったようなことを言っているので、もし本当にこれで終わりだという時になって思い残すことはないのか、と考えました。すると、高校時代は山登り命の人だったのに未だ登ってない山だらけであることが無性に気になってきました。二上山や金剛山の尾根道=ダイアモンドトレールなんていつでも行けると思っていたら、金剛山から南は未踏のままでほったらかしです。で、河内天見に下りる計画で意気揚々と出かけました。
登山口を10時過ぎに出発。1時間半で国見城跡。快晴、遠くに青い六甲の山々を眺めながらお握りのお昼ご飯を済ませてさあ、いよいよこれからは未知のルート。2時半千早峠。ここで下りとけば良かったものを初志貫徹とばかり欲張ったのがいけません。後は誰一人会うこともなく、天見方面へ下りる道のはずが藪漕ぎのようなことになって慌てました。
やっとのことでダイアモンドトレールに戻ったところで連れ合いから電話。連絡がとれないものだから警察に電話したと。下山したら一緒に買い物をしようという約束も忘れるほど焦っていたのです。もがいている間に日はとっぷりと暮れて、よくぞヘッドランプを持ってきていたことよと思いました。
ほどなく警察から電話を受け、歩きながら言われたとおり110番すると、和歌山県警がGPSで私の位置をつかんでくれました。「寒くはありませんか、怪我していませんか?」民主警察はとても優しい。「大丈夫です。道はしっかりしています」結局、紀見峠駅に到着したのは6時40分ごろ。15キロほどの山行でした。
「勧修寺村の道徳、明応二年正月一日に御前へまいりたるに、蓮如上人仰せられ候ふ。道徳はいくつになるぞ。道徳念仏申さるべし。」*蓮如上人御一代記聞書
1492年の元日、道徳さんは蓮如上人のもとに赴き、丁重に新年のご挨拶をしたのでしょう。それに対して上人は、型通りの挨拶はいいから念仏申せとお諭しになりました。一つ年を重ねた節目に、念仏者の自覚を求められたのでしょう。(満井秀城「蓮如上人のことば」より)
お念仏は、阿弥陀さまの呼び声です。「私の名前を呼びなさい。私の国に生まれさせるよ」私はここにいるよ、いつもいるよ、という名のりです。いつでもどこでも誰にでも。(GPSだ!)力なくして命終わるときに、阿弥陀さまの他に頼れるものがあるでしょうか。でも普段は、私は大丈夫(何の根拠もなく)と思っているから有難みは感じないんですね。
大阪府の新型コロナウィルス感染による死者数464人、同日本全体2661人、同世界全体167万人。(12月18日調べ)
ひたひたと近くにまで来ています。もはや家族間の感染が一番心配なことになってきました。このお正月はみんな一緒のお祝いを取りやめるのが賢明です。死にはしなくても失業者、生活困難者が続出しています。
初春の お慶びは申せずに
連れ合いが警察に褒められたと教えてくれました。私の年を聞いて徘徊の捜索願だと思われたそうです。「早めに連絡いただいてよかったですよ。」・・ま、時間の問題ですが。 合掌