慶聞抄(きょうもんしょう)

朝のゴールデンタイム
念仏申し候へども
お参りのあとホッとしていると、オヨメから電話。孫娘が、オヨメの呼び方で言うと、ムッスメが、保健室のお世話になっていると。「宣言」解除のあと、受験生の優先枠で2回目の新型コロナのワクチン接種を日曜日にしたのですが具合が悪く、月曜休んでの火曜のことです。スワッ!出番とばかり着替えをして、自転車はいかんやろ、ここはタクシーでと思いなおし、信号でうまく捕まえることができました。
息子たちもお世話になったン十年ぶりの中学校。正面から入るのは初めて。当時は無かったインターホンで告げると、ガチャっと音がして横の扉が開きました。職員室は2階。階段を登りながら、3年はいいとして何組やったかな、担任の先生の名前ぐらい聞いときゃよかったなとか考えているうちに、若い男先生が(イケメンの)出てきてくださったので、焦って口に出たのが、「**のおばあさんですぅっ」
日頃、テレビに出るタレントが「うちのお母さんが」とか言うのを「違うやろ、謙譲語で言いなさい」と突っ込んでいるこの私が! (事態はもっとススンでいて、オカン!)思わぬ失態に、帰りのタクシーの中で打ちひしがれていることなど、ムッスメは知る由もなかったでしょう。
さて、息子たちが入学した頃は、まだ男子が頭髪の丸刈りを強制されていました。長男はしばらくの間抵抗したのち体制に従いましたが、生徒会の課題にしてみようかという時期もあったと聞かされました。その後、赤松良子文部大臣の「昔の兵隊を思い出す」との発言がきっかけとなり、見直しがなされました。これがもし、生徒自身の取り組みで変わったらどうだったでしょう。学校で学ぶことの、未来の主権者になる上の、最大の成果になりえたのになぁと残念な気持ちになります。
私が中学生の頃、学校には「生徒会の歌」があって、集会では校歌と並んでよく歌いました。戦後間もない開校時には、「朝日に開け 白い窓 世界の風が 吹いてくる」などと歌わせる自由な気風があったのでしょう。新卒で教員になった頃でも、「制服」ではなしにあくまでも「標準服」ですよ、と教えてくれる先輩もいてくださいました。
歎異抄9条は、「念仏申し候へども、踊躍歓喜(ゆやくかんぎ)のこころおろそかに候ふこと、またいそぎ浄土へまゐりたきこころの候はぬは、いかに」と始まります。念仏しておりましても、おどりあがるような喜びの心が湧いてきませんし、また少しでもはやく浄土に往生したいという心もおこってこないのはどう考えたらいいのでしょう、と尋ねる唯円さんに、親鸞聖人はこうお答えになりました。「あなたも同じ心持ちだったのですね。よく考えてみますと、喜ぶはずのことが喜べないのは煩悩のしわざなのです。阿弥陀仏の本願はこのようなわたしどものためにおこされたのだなあと気づかされ、ますますたのもしく思われるのです。」
「今さら何を言うか!」とどやされるかもしれないと唯円さんはドギマギしながら聞いたはずです。よくぞ聞いてくださった!聖人もよくぞ答えてくださった!「わたしもそうなんですよ」といったん受け止める、この度量。師弟の一番幸せな関係が提示されていると思います。
これがお手元に届く頃には衆議院選挙の結果はいかに。人類史に残る災禍の中での結果たるべく! 合掌

朝のゴールデンタイム
念仏申し候へども
お参りのあとホッとしていると、オヨメから電話。孫娘が、オヨメの呼び方で言うと、ムッスメが、保健室のお世話になっていると。「宣言」解除のあと、受験生の優先枠で2回目の新型コロナのワクチン接種を日曜日にしたのですが具合が悪く、月曜休んでの火曜のことです。スワッ!出番とばかり着替えをして、自転車はいかんやろ、ここはタクシーでと思いなおし、信号でうまく捕まえることができました。
息子たちもお世話になったン十年ぶりの中学校。正面から入るのは初めて。当時は無かったインターホンで告げると、ガチャっと音がして横の扉が開きました。職員室は2階。階段を登りながら、3年はいいとして何組やったかな、担任の先生の名前ぐらい聞いときゃよかったなとか考えているうちに、若い男先生が(イケメンの)出てきてくださったので、焦って口に出たのが、「**のおばあさんですぅっ」
日頃、テレビに出るタレントが「うちのお母さんが」とか言うのを「違うやろ、謙譲語で言いなさい」と突っ込んでいるこの私が! (事態はもっとススンでいて、オカン!)思わぬ失態に、帰りのタクシーの中で打ちひしがれていることなど、ムッスメは知る由もなかったでしょう。
さて、息子たちが入学した頃は、まだ男子が頭髪の丸刈りを強制されていました。長男はしばらくの間抵抗したのち体制に従いましたが、生徒会の課題にしてみようかという時期もあったと聞かされました。その後、赤松良子文部大臣の「昔の兵隊を思い出す」との発言がきっかけとなり、見直しがなされました。これがもし、生徒自身の取り組みで変わったらどうだったでしょう。学校で学ぶことの、未来の主権者になる上の、最大の成果になりえたのになぁと残念な気持ちになります。
私が中学生の頃、学校には「生徒会の歌」があって、集会では校歌と並んでよく歌いました。戦後間もない開校時には、「朝日に開け 白い窓 世界の風が 吹いてくる」などと歌わせる自由な気風があったのでしょう。新卒で教員になった頃でも、「制服」ではなしにあくまでも「標準服」ですよ、と教えてくれる先輩もいてくださいました。
歎異抄9条は、「念仏申し候へども、踊躍歓喜(ゆやくかんぎ)のこころおろそかに候ふこと、またいそぎ浄土へまゐりたきこころの候はぬは、いかに」と始まります。念仏しておりましても、おどりあがるような喜びの心が湧いてきませんし、また少しでもはやく浄土に往生したいという心もおこってこないのはどう考えたらいいのでしょう、と尋ねる唯円さんに、親鸞聖人はこうお答えになりました。「あなたも同じ心持ちだったのですね。よく考えてみますと、喜ぶはずのことが喜べないのは煩悩のしわざなのです。阿弥陀仏の本願はこのようなわたしどものためにおこされたのだなあと気づかされ、ますますたのもしく思われるのです。」
「今さら何を言うか!」とどやされるかもしれないと唯円さんはドギマギしながら聞いたはずです。よくぞ聞いてくださった!聖人もよくぞ答えてくださった!「わたしもそうなんですよ」といったん受け止める、この度量。師弟の一番幸せな関係が提示されていると思います。
これがお手元に届く頃には衆議院選挙の結果はいかに。人類史に残る災禍の中での結果たるべく! 合掌