慶聞抄(きょうもんしょう)
分陀利華(ふんだりけ)
元号が変わりました。さんざん「平成最後の」というのを聞かされているところに、また「令和初めての」が始まるのかと思うとうんざり。元号が変わると状況も何か変わるとでも?
初めて国書から元号が選定されたと強調する政府発表があった頃、ある漢籍の重鎮が中国の影響を被らない国書はないし、元号そのものが中国由来の、しかも皇帝が時空を支配する思想のものであると至極冷静にインタビューに応じておられたのが印象的でした。先月の統一地方選挙の平均投票率は、44.08%と戦後最低を記録しました。一体この国の民主主義はどうなっていくのでしょう?
津村別院で勉強した中央仏教学院(中仏)通信制の同窓生の旅行に行ってきました。春の海が見渡せる和歌山のホテルに集まったのは8人。出会って10年になるかけがえのない「法友」たちです。
食前の言葉を皆で。「多くの命と皆さまのおかげによりこのごちそうを恵まれました。深くご恩を喜び有難くいただきます。」 Aさん、「私は、お米の一粒も作れない。お魚一匹釣るわけでもない。こうしてよばれることができることは本当にありがたいことです。」Bさん、「連れ合いは真言宗の人でしたが真宗を有難く思ってくれて、自分から法名をもらってきてくれたのが一番嬉しいです。」Cさん、「孫たちにね、おじいちゃんが亡くなったら手紙を書いてお棺に入れてねって言っているんですよ。」
いずれ劣らず南無阿弥陀仏に出会ったことをこよなく喜んでおられる面々です。幹事のDさんは、次の吉野の本善寺報をマスプリして皆に配ってくれました。(以下はその大筋)
広島出身で戦前の政治家に望月圭介という方がいらっしゃいます。内務大臣をされていた時、現在の大阪城の天守閣が出来上がったのですが、休憩中の労働者に次のように話しかけました。「あなた方は一体何のために働いているのかね。」「そりゃ働かなければお金をもらえません」「お金を貰ってどうするのかね」「お米を買うためですよ」「何のためにお米を買うのかね」労働者は笑いながら「そりゃあんた食べるためですがな」望月氏が真剣な顔で「何のために食べるのかね」労働者たちの笑いは一段と高くなり「人間は食べなければ、死にますがな」 「食べなきゃ死ぬだろうが、食べてさえおれば死なずにすむのか」ついに大臣と知らずに労働者は「面倒なことを言う奴は叩きのばすぞ」と怒鳴ってしまったということです。
食べなきゃ死ぬ、は経済の問題ですが、食べても死ぬ、は宗教の問題です。望月氏は大臣をやめられてから、中之島であった「大阪真宗青年会連盟」の講演会で涙ながらにお話をされています。「大臣を三返やったという事で何が残っているか、ただこの望月が70年の人生体験において最後に残ったものは南無阿弥陀仏を聞かして戴いた、これ一つである」
もし念仏するひとは まさに知るべしこの人はこれ 人中の分陀利華なり(仏説観無量寿経)・・お念仏を喜ぶ人を白い蓮に例えて褒め称えています。
同窓会では、仏歴はどうかという話が出ていました。因みに今年は仏歴(BE)2562年もしくは2563年だそうです。 合掌
先月の ビハーラ花まつり の桂三金さんと笑金さん
*お寺カフェは第三水曜日に固定
分陀利華(ふんだりけ)
元号が変わりました。さんざん「平成最後の」というのを聞かされているところに、また「令和初めての」が始まるのかと思うとうんざり。元号が変わると状況も何か変わるとでも?
初めて国書から元号が選定されたと強調する政府発表があった頃、ある漢籍の重鎮が中国の影響を被らない国書はないし、元号そのものが中国由来の、しかも皇帝が時空を支配する思想のものであると至極冷静にインタビューに応じておられたのが印象的でした。先月の統一地方選挙の平均投票率は、44.08%と戦後最低を記録しました。一体この国の民主主義はどうなっていくのでしょう?
津村別院で勉強した中央仏教学院(中仏)通信制の同窓生の旅行に行ってきました。春の海が見渡せる和歌山のホテルに集まったのは8人。出会って10年になるかけがえのない「法友」たちです。
食前の言葉を皆で。「多くの命と皆さまのおかげによりこのごちそうを恵まれました。深くご恩を喜び有難くいただきます。」 Aさん、「私は、お米の一粒も作れない。お魚一匹釣るわけでもない。こうしてよばれることができることは本当にありがたいことです。」Bさん、「連れ合いは真言宗の人でしたが真宗を有難く思ってくれて、自分から法名をもらってきてくれたのが一番嬉しいです。」Cさん、「孫たちにね、おじいちゃんが亡くなったら手紙を書いてお棺に入れてねって言っているんですよ。」
いずれ劣らず南無阿弥陀仏に出会ったことをこよなく喜んでおられる面々です。幹事のDさんは、次の吉野の本善寺報をマスプリして皆に配ってくれました。(以下はその大筋)
広島出身で戦前の政治家に望月圭介という方がいらっしゃいます。内務大臣をされていた時、現在の大阪城の天守閣が出来上がったのですが、休憩中の労働者に次のように話しかけました。「あなた方は一体何のために働いているのかね。」「そりゃ働かなければお金をもらえません」「お金を貰ってどうするのかね」「お米を買うためですよ」「何のためにお米を買うのかね」労働者は笑いながら「そりゃあんた食べるためですがな」望月氏が真剣な顔で「何のために食べるのかね」労働者たちの笑いは一段と高くなり「人間は食べなければ、死にますがな」 「食べなきゃ死ぬだろうが、食べてさえおれば死なずにすむのか」ついに大臣と知らずに労働者は「面倒なことを言う奴は叩きのばすぞ」と怒鳴ってしまったということです。
食べなきゃ死ぬ、は経済の問題ですが、食べても死ぬ、は宗教の問題です。望月氏は大臣をやめられてから、中之島であった「大阪真宗青年会連盟」の講演会で涙ながらにお話をされています。「大臣を三返やったという事で何が残っているか、ただこの望月が70年の人生体験において最後に残ったものは南無阿弥陀仏を聞かして戴いた、これ一つである」
もし念仏するひとは まさに知るべしこの人はこれ 人中の分陀利華なり(仏説観無量寿経)・・お念仏を喜ぶ人を白い蓮に例えて褒め称えています。
同窓会では、仏歴はどうかという話が出ていました。因みに今年は仏歴(BE)2562年もしくは2563年だそうです。 合掌
先月の ビハーラ花まつり の桂三金さんと笑金さん
*お寺カフェは第三水曜日に固定