慶聞抄(きょうもんしょう)
今年も咲いてくれたTさんの蓮
先輩を送る
安倍元首相の銃撃事件には驚きました。7月8日の正午のニュース。しかも、懐かしの近鉄西大寺駅前とは!そして、運ばれたのも親族一同大いにお世話になった奈良県立医大。(そういうことはこの際関係なし)
参議院選真っ只中でもあるし、テロか!と思いきや、なんか容疑者の母親が全財産を入れあげた宗教団体への恨みが動機とか。まだよくは分かってないけれど、子どものころの母親との関係や、父親の自死、兄弟の病気など過酷な状況にまたびっくり。寄る辺ない41歳男の「死なばもろとも」殺戮のもようです。
その10日後は、京都アニメーション放火殺人事件から3年目でした。自分も大やけどを負い逮捕された男も当時41歳。孔子さんの言では、とっくに「不惑」です。ですが、現代社会の40男は迷いに迷い、かつてあったであろう夢も果たせず、その孤独と絶望の深さを想像すると、起こした事件とは別に胸が痛くなってくるのです。
教員仲間の先輩で友人でもあった人が、安倍さんの前の6日に亡くなりました。お連れ合いの介護が始まった頃、その介護生活の愚痴を聞く友人のランチ会(グチラン)に誘われ、グループラインもあったりでけっこう楽しんでいました。お連れ合いが亡くなって数年後、今度は本人が病に倒れたのです。子どもさんがいないので、猫だけが同居。近くに住むグチラン仲間ら3人のお助け隊がローテーションを組んで、闘病生活と猫のお世話を支えました。
一旦退院して容態もいけそうと聞いたある日、お助け隊と私の分も入れてプリン5個をお土産に電車に乗ったら、緊急入院と。虚しくUターンして帰った日から13日目の訃報です。本人の意向通りお葬式はしませんとのメール。
病院から移され、24時間はここにと教えられたセレモニー会館は、梅田から阪急電車の急行で20分ほどの駅近くにありました。年の近い仲間数人とスマホの地図を頼りに訪ねてみると、小さな飲食店が連なる路地の先に、それらしい建物がありました。グチランの友人とも合流、入口すぐの「霊安室」のドアを開けると、白いお棺が壁際にあって、あとはお棺の幅だけのスペースのみ。
仲間の気持ちを込めたお花をお棺の上に置き、小窓から覗くと、少し小さくなったようだけど、穏やかないつものお顔が見られました。頭の方の小机に蝋燭と香炉が置かれていて、持ってきたお衣を羽織り「阿弥陀経」さんをあげ、移動もままならないスペースでしたが、順番にお焼香をしてもらいました。
「なごりおしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしておはるときに、かの土へはまいるべきなり。」*「歎異抄 第9条」
先輩は、お念仏のご縁はなかったものの淡々と自分の老(死)を受け入れられました。私たちは、貴女と同じ時代に一緒に仕事が出来て幸いでした。名残惜しく思える友人に恵まれ、力なくなるくらいの年まで生きられて、貴女も私も何と幸運なことでしょう。いいことばかりではなかったけれど、しんどいことも山盛りあったけれど、生きる気力と喜びをともにしていただいてありがとうございました。
因みに、国葬には反対です。今この時も、孤独と絶望の淵でギリギリ踏ん張っているすべての人の名において。第一、死んでからも忖度するわけ? ねぇ、赤木雅子さん・・。 合掌
今年も咲いてくれたTさんの蓮
先輩を送る
安倍元首相の銃撃事件には驚きました。7月8日の正午のニュース。しかも、懐かしの近鉄西大寺駅前とは!そして、運ばれたのも親族一同大いにお世話になった奈良県立医大。(そういうことはこの際関係なし)
参議院選真っ只中でもあるし、テロか!と思いきや、なんか容疑者の母親が全財産を入れあげた宗教団体への恨みが動機とか。まだよくは分かってないけれど、子どものころの母親との関係や、父親の自死、兄弟の病気など過酷な状況にまたびっくり。寄る辺ない41歳男の「死なばもろとも」殺戮のもようです。
その10日後は、京都アニメーション放火殺人事件から3年目でした。自分も大やけどを負い逮捕された男も当時41歳。孔子さんの言では、とっくに「不惑」です。ですが、現代社会の40男は迷いに迷い、かつてあったであろう夢も果たせず、その孤独と絶望の深さを想像すると、起こした事件とは別に胸が痛くなってくるのです。
教員仲間の先輩で友人でもあった人が、安倍さんの前の6日に亡くなりました。お連れ合いの介護が始まった頃、その介護生活の愚痴を聞く友人のランチ会(グチラン)に誘われ、グループラインもあったりでけっこう楽しんでいました。お連れ合いが亡くなって数年後、今度は本人が病に倒れたのです。子どもさんがいないので、猫だけが同居。近くに住むグチラン仲間ら3人のお助け隊がローテーションを組んで、闘病生活と猫のお世話を支えました。
一旦退院して容態もいけそうと聞いたある日、お助け隊と私の分も入れてプリン5個をお土産に電車に乗ったら、緊急入院と。虚しくUターンして帰った日から13日目の訃報です。本人の意向通りお葬式はしませんとのメール。
病院から移され、24時間はここにと教えられたセレモニー会館は、梅田から阪急電車の急行で20分ほどの駅近くにありました。年の近い仲間数人とスマホの地図を頼りに訪ねてみると、小さな飲食店が連なる路地の先に、それらしい建物がありました。グチランの友人とも合流、入口すぐの「霊安室」のドアを開けると、白いお棺が壁際にあって、あとはお棺の幅だけのスペースのみ。
仲間の気持ちを込めたお花をお棺の上に置き、小窓から覗くと、少し小さくなったようだけど、穏やかないつものお顔が見られました。頭の方の小机に蝋燭と香炉が置かれていて、持ってきたお衣を羽織り「阿弥陀経」さんをあげ、移動もままならないスペースでしたが、順番にお焼香をしてもらいました。
「なごりおしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしておはるときに、かの土へはまいるべきなり。」*「歎異抄 第9条」
先輩は、お念仏のご縁はなかったものの淡々と自分の老(死)を受け入れられました。私たちは、貴女と同じ時代に一緒に仕事が出来て幸いでした。名残惜しく思える友人に恵まれ、力なくなるくらいの年まで生きられて、貴女も私も何と幸運なことでしょう。いいことばかりではなかったけれど、しんどいことも山盛りあったけれど、生きる気力と喜びをともにしていただいてありがとうございました。
因みに、国葬には反対です。今この時も、孤独と絶望の淵でギリギリ踏ん張っているすべての人の名において。第一、死んでからも忖度するわけ? ねぇ、赤木雅子さん・・。 合掌