♪♪ 私の お寺ライフ ♪♪

 ブログアップして9年目に突入。相変わりませんが、私の「如是我聞」をお送りします。南無阿弥陀仏

慶聞抄 2018年11月号

2018-10-19 22:59:18 | 随想
慶(きょう)聞(もん)抄(しょう)
  2018(平成30)年 11月号
(NO、60) 了雲寺 釈幸華

シュウメイギク

ビハーラ活動者研修会

ビハーラ活動のまね事はしてきたつもりですが、きちっと研修を受けたことはないので、思い切って今年6月から来年7月の間に断続的に取り組まれる第27期活動者養成研修会に応募しました。既に福祉やカウンセリングの基礎知識など西山別院での学習を終え、9月末に実践実習として、特別養護老人ホーム・ビハーラ本願寺での1泊2日に参加しました。(実は、2泊3日だったのが台風24号のせいで<おかげで>最終日はカット)

京都府の城陽市、JR山城青谷駅から歩いて20分。甲子園でお馴染みの平安高校の運動場の跡地に、お坊さんのいる「あそかビハーラ病院」と並んで建っています。介護を必要とされる方がビハーラの理念のもとに、仏教・医療・福祉が協同したケアを受けられています。。入居者100名、短期入所者8名。私たち研修生の参加者は10名。北海道から九州から。JR1本で来られる私は、地元の方に次いで2番目に近い人でした。僧侶、介護士、看護師、医療関係者、学生、ご門徒さん、老若男女、いろいろ。


    安穏ホールでの餅つき・・ウェブサイトより

施設の特徴は、何といっても他ではない如来さまのいらっしゃる地域交流スペース、安穏ホールでしょう。お夕事は正信偈でしたが、中には教本も見ないで大きなお声でお勤めなさる方が何人かおられました。その後の5分間の法話が私の担当でして、こんなお話をしました。

お供えもの

おばあさんが一人でお住いのお家にお参りした時のことです。お勤めが終わって、お仏壇の手のとどくところにいつものように封筒が置かれてありましたので、今月のお布施は前回いただいたのにまた?と思いつつ、お経本とともに頂こうとしたその時、後ろから声がかかりました。「あっ、それ、違うんです!」 申し訳なさそうな声が続きます。「夏休みで帰ってきている孫が、大学に戻るので、今日挨拶に寄るって電話があって・・。どうせ、お目当てはお小遣いでしょうから、用意しているんです。」 

どおりでいつもの白いのと違う、ピンクの、しかも周りに可愛らしいお花が印刷してある封筒でした。「そら、そうですよね。おばあちゃんに若い人が期待するのっていうたらお金ですもんね」と、私も孫の顔を思い出して話を合わせながら、それにしてもこんなややこしいところに置かんでも・・と内心バツの悪さに耐えておりました。

しかし、思い返してみると彼女のしたことは道理です。お菓子や果物、買ってきたら先ずはお仏壇へ。いただきものならなおさらお供えします。孫の顔を見ると、おばあちゃんは言います。「お供え物、お下げしておいで」 言われて初めて孫はお仏壇の前に座ります。座ったら、手を合わせて頭の一つも下げるでしょうね、おばあちゃんがそうしてるの、見てるから。こうして、仏さまとご縁を結ぶきっかけが一回でもできるというものです。何と素敵なはからいではありませんか。

Aさんと

実習の中心は傾聴活動です。スタッフがAさんのそばに椅子を寄せてくださいました。Aさんは私の着ている赤いTシャツの色が綺麗だと褒めてくださいました。何回も。どこから来たのかと聞かれて、大阪からだと答えると目を大きく見開いて驚かれました。何回も。記憶が数分しかもたないのですね。そんなAさんがガラスの向こうの庭に、赤い花が咲いていることを教えてくださったのが今でも不思議です。 合掌


  記念撮影


*報恩講11月5日  お寺カフェ 11月21日
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慶聞抄 2018年10月号

2018-10-05 22:44:55 | 随想
慶(きょう)聞(もん)抄(しょう)
  2018(平成30)年 10月号
(NO、59) 了雲寺 釈幸華



AIとは

津村別院での教区門徒総代会の第2回全体研修会に、総代さん3人と出かけました。ご講師は、本願寺派総合研究所上級研究員の岡崎秀麿師。前回のテーマは「道徳(倫理)と宗教」でしたが、今回は「AIと宗教」。今年の総合テーマは「現代社会と宗教」、うーん、お勉強感満載です。

20年近く前、当時の総理大臣がIT革命を言うのに、「イット」と言ったのが懐かしいです。インフォメーション・テクノロジー、情報技術の略ですが、世界中のコンピューター端末が繋がるインターネットの普及により、物質やエネルギーと同様に、いやそれ以上に情報が私たちの社会や経済の中心になっています。卑近な話が、スマホ無くしては暮していけないのは若者だけではありますまい。

そして今やAIという言葉を聞かない日はありません。アーティフィシャル・インテリジェンス、人工頭脳です。お掃除ロボットや冷蔵庫、エアコンなど既に搭載されていますし、自動車の自動運転、ドローンでの宅配などが始まろうとしています。便利で快適、効率的。しかし反面、運転手がいらないなど雇用の減少、責任所在の不明、プライバシーの侵害など問題も多く指摘されています。

実は、問題はもっと深刻で、専門家たちは殺人ロボットの脅威を国連に警告しています。アーノルド・シュワルツェネッガーが主演したターミネーターを思い出す人もいるでしょうが、あれは未来から殺人命令を受けてタイムスリップしてきたロボットでした。核開発に匹敵する軍事利用の開発競争は始まっています。そうではなくて、人間が命令しようとしまいと自ら学習能力を持つAIは、やがて制御不能なものになっていくのではないかというのです。ただちに研究を止めるべきだと主張する学者もいます。

人間らしさとは

ともあれ膨大な量の情報を分析し認識し、それに基づいて予測し判断する能力は、ボードゲームの中で一番難しいといわれた囲碁の試合でも一年半前に人間を下しました。しかし、(今のところ)その能力は人間が設定した枠組みの中のことであり、「価値観」といった要素が関係する仕事は達成度が低く、想像力による芸術もそのようです。東大に合格できる学力をロボットに付けさせる実験でも、民主主義への理解度を試す問題への正答率は1割だったとの指摘もあります。

将棋の羽生善治さんは「AIが得意なのは組み合わせの中から最適な答えを見つけることです。ただ、人間が自然の風景を見て美しいと感じる美意識や感性を学習させるのは難しいと思います」と発言しています。

だとすれば、AIは私たちに人間らしさの追求を促す存在なのかもしれません。

仏の大悲心に学ぶ

LGBT(性的少数者)に対して「生産性がない」と誌上で発言した議員がいました。子供を産めないことをそう表現したのでしょうが、人の気持ちを理解することができない人ですね。人間を交換可能なモノとしてだけ見て、そのかけがえのなさに思いを致すことのできない感性のなさに心が凍り付きます。




AIと決定的に違う点は、私が死すべき身体を持っていることです。愛別離苦の悲しみとともにある命をどう見ていくのかということです。阿弥陀仏が、智慧(人間の知恵と違うことに注意)と慈悲の仏さまが、ますます大切な現代社会です。  学仏大悲心(帰三宝偈より)         合掌

*お寺カフェ 10月17日  報恩講 11月5日
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